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『考える脳・考えない脳』の感想

講談社現代新書の『考える脳・考えない脳』、信原幸弘著を読んだ。

人間の情報処理の方法として、古典的計算主義(記号論理学のことか?)とコネクショニズム(ニューロコンピュータ)をとりあげてその違いを述べていた。著者の意見では人間の情報処理の本質はコネクショニズムであり、また、人間の心は脳と身体と環境からなる大きなシステムで構成されているということだった。はっきりとは述べていないが、古典的計算主義はこの大きなシステム、特に、外部環境の影響下で発生した二次的なものとの仮説を持っているように思えた。古典的計算主義とコネクショニズムという全く性質の異なる情報処理機構を結合させる考え方として面白いアイディアだ。

古典的計算主義というのが何をさすのか、もうひとつ良く分からなかったが、記号論や、記号論理学の形式的体系のことを言っているのだろう。つまり、コンピュータプログラミングのことだ。形式的体系の情報処理の特徴は演繹により無限の命題を生成できることだ。一方、ニューロコンピュータには経験から学習する機能がある。また、両者の性質はかなり異なっており相互に移行はできないように見える。

しかし、古典的計算主義とコネクショニズムが相互に全く移行できないというわけではない。コネクショニズムに見られる神経細胞のネットワークは、処理時間を考えなければコンピュータシミュレーションでモデル化できるし、ニューラルネットで言語処理をすることも可能なのではないだろうか。問題は、この両者の違いではなくて、一体、情報処理というものが本質的にどういうことなのかということだ。

コネクショニズムの例として三層のニューロンネットワークが示されていたが、二層と三層の本質的な違いなどは解説してなかった。層が何層であろうが、前方結合の場合入力層から出力層への単なるベクトル関数になるのではないだろうか。後方結合の場合は層の数で変化が起こるかもしれないが、ベクトルパターンの安定性が問題になってくるような気がする。したがって前方結合の場合は単に空間的パターンを考えておけばよいが、後方結合の場合時間的なパターンの変化も考えなくてはならなくなるだろう。しかし、その場合でも出力細胞からのフィードバックが非線形的であれば、つまり、出力層が入力層の空間的パターンに対し、時間的にパターンを変化させていくようなモデルを考えれば、入力層と出力層の2層だけで十分なのではないだろうか。ニューロン結合の多層性の本質的な意味とは何なのだろう。

予備知識が無いのでこれ以上考えてもどうしようもないが、脳の研究も最先端ではそろそろ出口が見えてきているのではないだろうか。そうなると人間並みの創造性を持ったコンピュータが出現するわけで、人間の存在価値が危うくなることも懸念される。恐ろしい時代になったものだ。
# by tnomura9 | 2006-02-19 16:52 | 考えるということ | Comments(0)

英語の聞き取り

シャドーイングを使って、イングリッシュ・シャワーを浴びるようになって2週間たったが、すこし聞き取れるようになった。もちろん、言い回しを完全に復唱できるほど上達した訳ではないが、ところどころ単語が聞き取れるので、映画の内容が最後まで分からなかったというような不満を感じる終わり方ではなくなってきた。

字幕を消したおかげで、映画の内容を完全に把握しようという気持ちがなくなったせいか、いつのまにか英語の音の世界に引き込まれるようになっている。それに、たいていの映画は、台詞が全く理解できなくても目だけで理解できるのに気がついた。朝のニュースや連ドラがうざいが、時間は知りたいので、音声を無音にしてみたが、結構、ニュースなどの内容は伝わってくる。最近は字幕が出ると却ってうっとおしいい感じさえするようになってきた。

せっかく金を払って映画を見ているのだから、完全に理解しなくてはもったいないなどという生真面目な考え方が、字幕なしで映画を見るという楽しみを奪っていたのだ。どこまで100点主義という受験勉強の毒気にあたっているのだろうと思うとおかしい。
# by tnomura9 | 2006-02-18 22:01 | 考えるということ | Comments(0)

「である」と「ではない」

雑誌のページのスキミングをしながら要点を見つけるのに、「要するにどういうことが言いたいのか」と考えながら読むといいが、それでもすぐにはポイントが見つからないときがある。

そのときは、そのページで著者が「何である」と言いたいのか、「何ではない」と言いたいのかと自問自答すると良い。「要するにどういうことか」という質問では、肯定的な記述も否定的な記述も含めて問うとい方なので、やや適応範囲がひろい。しかし、「著者は何を肯定的に考えているのか」という質問は答えの範囲が限定されてくるので、中心文が見つかりやすくなるのだ。

また、文章で主張されることは、肯定的な記述と、否定的な記述しかないのだから、「何であるか」という質問と「何ではないか」という二つの質問さえあれば、その答えを見つけるのに十分なのだ。

「あるのかないのかそれが問題だ」というハムレット的な問いは、文章の要点をつかむのにたいへん重宝する質問なのである。
# by tnomura9 | 2006-02-18 13:32 | 考えるということ | Comments(0)

究極の速読術、「要するに」

究極の速読術は読まないことだ。ページをざっと眺めて、記者が「要するに」何を言いたいのかを考えることだ。

「速読術」をネットで調べたら、様々な方式の速読術を解説したページが検索された。そこで、「要するに」を使ってそれぞれのページを速読したら、結論は「金払え」だった。

もちろん、速読という特殊な技能を伝授してもらうのだから、それ相応の対価を払うのは当然だ。それでも、宣伝ページの結論は「金払え」ということなのだ。
# by tnomura9 | 2006-02-14 18:16 | 考えるということ | Comments(0)

読まずに読む

フォトリーディングというのが在るらしい。本を写真に写すようにぺらぺらとめくっていくだけで内容が理解できてしまうというものだ。

管理人もまねをしてやってみたが、全く頭に入っていなかった。しかし、ページをめくったときにすぐに読まずに、ぼんやりと眺めながら何が書いてあるのかを予想し、関係のありそうなキーワードを拾い読みするという読み方をやってみたら、これが意外に頭の中に入るし、読書スピードも上がることに気がついた。

考えてみると、本を読むといっても、読むことで頭に入るのは自分で理解した部分だけだ。先に自分の印象をはっきりさせておいてそれに拾い読みをしたキーワードを追加していくという方法のほうが確実に知識として定着するのは、当然といえば当然のことなのだ。

長い間本を読んできたが、意識的にこういう風な読み方をしたことはなかったので、目から鱗の体験だった。音読といい、フォトリーディングといい、体験してみないと分からないことは多いものだ。
# by tnomura9 | 2006-02-09 07:25 | 考えるということ | Comments(0)