目的を明確にする

少ない情報処理能力で大量の情報処理をやろうとするとき、質問力以上に大切なのは、適切な目標設定をすることだ。

目標は具体的なものでなければならない。具体的でかつ、達成できたかどうかをはっきり確認できるような目標設定にする必要がある。したがって、現在の問題点をしっかりと把握し、その現実に立脚した目標でなければ無意味だ。

売り上げを前年比何%増にするというのは目標ともいえない。現状分析も全くなされていないし、何を改善すれば目標達成とすることが出来るかもはっきりしていない。また、改善によるノウハウの蓄積の価値を全く無視している。こんな目標しか立てられない会社は早晩破綻するだろう。

個人の学習についても同様だ。能力を高めたいという抽象的な目標設定では、果たして、能力が高められたのかそうでないのか全く評価することが出来ない。論理力を高めたいというのも、同じようなものだ。命題論理学を学びたいのか、述語論理学を学びたいのか、文章を論理的に読む力をつけたいのか、発想を引き出す論理能力を身に着けたいのか、論理学の知識といっても多岐にわたっているからだ。

また、期限が切られていない目標は達成できないのと同じだ。いつかは達成できるのではないかといった目標では、生きているうちに到達することはほとんど不可能だろう。

具体的に目標設定することと、期限を切ることは目的設定に不可欠な要素なのだ。
# by tnomura9 | 2005-09-25 00:39 | 考えるということ | Comments(0)

質問力

速読法も記憶法もだめな管理人が学習の効率を上げるためには、質問力を鍛えるしかない。参考書の中身を読む前によい質問を作っておくのだ。

何がよい質問かはっきりと言うことは出来ないが、いくつかの質問のパターンを持っているとよいだろう。たとえば、新聞の記事は、いつ、どこで、誰が、何を、どのようにしたのかという4W1Hで書かれているといったものである。

また、これは何であって、何ではないというような二分法で考えるという方法もある。

新聞の記事で「流通・外食 売り手市場」という見出しがあったとする。まずはこの言葉が何を指しているかという疑問が湧いてくる。売り手市場というのは何について述べているのだろうか。株ではないようだ、どうも就職の話のようである。就職でも色々あるが大卒者の就職のことだ。

流通・外食産業で売り手市場ということは、求職より求人活動のほうが盛んであるということである。この分野で新規採用があるということは、これらの業種の業績が好調であるはずだ。にも関わらず求職者が不足しているということは、他業種の求人も盛んだろう。全体に景気がよいのだろうか。それとも、団塊の世代の大量の退職者がでるという事情もあるのだろうか。

流通・外食産業で求職者が不足しているということは、大卒者にとってこの業界があまり魅力がないのだろうか。この産業は栄枯衰勢が激しく将来に不安があると考えているのだろうか。また、産業側も使い捨ての人材を欲しているのだろうか。かりに就職するとして、中年以降の人生設計に独立起業を考えておいたほうがよいのだろうか。

また、去年と比べてどれくらい好調なのか、その要因は何だろうか。等々。

あまり質問の数が多くても収拾がつかなくなる。質問のほうもマインドマップで構造化しておく必要があるかもしれない。頭のよい人なら全て頭の中で考えることが出来るだろうが、凡人は一旦紙に書き出したほうがよいだろう。

質問のノートを作って質問力を鍛えるという方法もよい方法かも知れない。
# by tnomura9 | 2005-09-24 07:52 | 考えるということ | Comments(0)

それでも残る勉強法についての興味

「ドラゴン桜」が面白かったのは、普通の生徒を勉強法を工夫することによって高嶺の華である東大に合格させてしまうという所だった。受験というのは特殊なルールで戦う知識ゲームのようなものなので、もはやゲームとは関係なくなった管理人には縁のない話である。

しかし、実務に携わっていrても、受験勉強と共通するような学習のテクニックが必要な場合は多々ある。そのヒントとなるような工夫が、あのドラマで見られたのが、興味をかきたてられた理由だったような気がする。

管理人の場合も知っておかなければならない知識は、日に日に増大している。そのうえ、仕事に追いまくられて、ゆっくり本を読む時間もないのだ。大量の情報をどう自分の物にするかというのは、切実な問題でもあるのだ。

それで、記憶法や速読法の本をかなり読み漁ったが、思うように効果が上がらない。特殊な技術をマスターするには、特殊な才能が必要なのではないだろうか。そこで、普通の人が、普通に努力していれば、効果の上がる方法はないだろうかと考えたのだ。

そうして得た結論。大量の情報を短時間で正確に学習する方法はある。しかし、管理人にはそれは出来ないということだ。出来もしないことを追いかけるより、今自分の出来る方法でやってみるしかない。ドラゴン桜は管理人にとってはやはりドラマの中の出来事でしかない。

まあ、あせらないで、出来ることだけをやってみることにしよう。
# by tnomura9 | 2005-09-22 18:50 | 考えるということ | Comments(0)

大学受験はゲームだ

大学受験も高校野球のようなスポーツやゲームの一種と考えてもいいのではないだろうか。

野球の場合甲子園へ出場できるのは一部のエリート球児だけだが、だからといって、他の人たちが野球をプレーして楽しんで悪いということにはならない。それぞれのレベルで楽しめばよいし、練習すればそれなりに上手くなるのだ。将棋だって、碁だってゲームだから面白いので、将棋や碁の力で一生が決まってしまうと考えると大変だ。

大学受験だって将棋や碁とそう変わったものではない。高校の同窓会をやってみると分かるが、有名大学を出たからといって、その後の人生が平坦とは限らない。また、有名大学を出なくても社会で活躍するのになんの妨げもないのである。頭のいい人間が勝つとは限らないのだ。

大学受験を特別なものと考えなければ、それは、思考力を鍛えるためのいいゲームになる。記憶力を鍛えるにはどうすればよいか、数学パズルを上手に解けるようになるには、どんな訓練をすればよいのか。どうすれば、疲れずに長時間勉強を続けることが出来るようになるのか。いろいろな面白い課題が発生してくる。

このような技術の開発については、一般的な方法がある。要素技術をどう上達させるかということと、その要素技術をどう組み立ててゲームに役立てるかという二本立てで考えることだ。受験を一生を左右する一大事とは考えず -- 実際、受験が一生を左右することはあまりない、そう考えているのは受験後の生き方の責任を全部受験に転嫁しているだけに過ぎない --  思考力を使うゲームと考えれば、思考力の使い方を楽しみながら鍛えることができる。

変な話だが、社会人になってからでもセンター試験の模試を受けても構わないのではないか。偏差値が高校のときとくらべて格段に上がっていれば、自尊心を満足させることができるだろうし、受験なんてたいして意味がなかったのだと実感することもできるだろう。あるいは若ければリターンマッチで難関校に挑戦してもいいだろう。

いずれにしても、大学受験に挑戦した2、3年で一生が決ってしまうと考えるのは納得がいかない。
# by tnomura9 | 2005-09-21 05:46 | 考えるということ | Comments(0)

空のマインドマップ

マインドマップを作ってみると、知識というものが、項目と項目のネットワークで構成されていることが分かる。

それでは、マインドマップの丸印のなかの項目を隠してしまったらどうなるだろうか。ラベルのついていない丸印と線だけのマインドマップはその知識の構造を表している。

たとえば、単純な木構造の知識は、部分木の集合からなっているし、TCAサイクルの化学反応の図式は、アセチルCoAによって注入されたアセチル基が化学反応のサイクルの間で消費され、3分子のNADHと1分子のGTPと1分子のFADH2を産生するという機能の概略を表している。

マインドマップを構造という観点から見直してみると、意外に多くの知識が似たような構造になっていることに驚かされる、と言うより、ほとんどが階層構造なのだ。階層構造の知識と言うのは、互いに無関係な部分に分割できるということなのだ。それだけ、知識の相互関係が整然としていて単純なのだ。

それとは逆に、階層構造にならず、ループやフィードバックなどの相互作用のある知識構造は、全体の振舞が複雑でそれゆえ理解が難しいと言える。

いずれにせよ、知識の構造に注意を払うことによって、その知識をマスターするための戦略がたてやすくなるだろう。
# by tnomura9 | 2005-09-18 10:18 | 考えるということ | Comments(0)

生涯ノート

一生のうちに考えたこと全てを記録するノートを作ると面白いかもしれない。

毎日毎日思いついたことを一冊の大学ノートに記録する。ジャンルはごちゃ混ぜで構わない。ジャンル別のノートが必要ならコピーして製本すれば良い。ルーズリーフは使わない。

ノートは見開きで使い、左にマインドマップ、右にそれを文章化したものを書く。文章化はブログの要領で、段落の行数を少なくし、段落の間は空行で開ける。

ワープロで打ったものを印刷して貼っても構わない。

こうやって手当たり次第に書いていっても、一生のうちに1000冊溜るだろうか。ノートパソコンなら1台に収まってしまうかもしれない。邪魔にはならないだろう。

やってみると、これが楽しいのだ。マインドマップを書くのは楽しいし、それを文章化するのも、ちょっと苦労はするが苦しいと言う程でもない。

生涯ノートを作るくらい、安上がりで楽しめるものはない。
# by tnomura9 | 2005-09-17 00:21 | 考えるということ | Comments(0)

ブログの文体

ブログを読んだり、書いたりしていて気づいたのだが、
ブログの文体は通常の紙の文章とは違っている。

紙に書く要領でブログに文章を載せると、段落がべたっと重たい感じがして読みたくなくなる。逆にブログの文章を紙に印刷してみると行間がスカスカした感じで軽すぎるのだ。

それから、ブログの文章は一画面で読みきるくらいが丁度良い。スクロールしなければ読めない長い文章は読むのがおっくうになる。

したがって、ブログの文章は、改行が多く、段落の文の数が少ないという特徴がある。

しかし、これはノートを取るときには都合の良い文体なのだ、なにより読みかえしやすい。ノートの目的は頻繁に見かえすことなのだが、通常の文章では読みかえすのに時間がかかるし、箇条書では意味が分からなくなる。ブログの文章くらいが丁度いいのだ。

ノートを取るときに、箇条書ではなく、ブログの文体を意識して書くといいのではないか。
# by tnomura9 | 2005-09-16 11:43 | 考えるということ | Comments(0)

マインドマップ

発想や学習のための特殊なノートのとり方としてマインドマップがよく引用される(『人生に奇跡を起こすノート術 マインドマップ 放射思考』 トニー ブザン著 田中孝顕訳 きこ書房)。作り方は概ね次のようになる。

  1. 中心となるテーマをノートの真ん中に書き、丸で囲む。
  2. そのテーマに関連する事項をその周囲に書き丸で囲んで、中心のテーマの丸印と放射状に線で結ぶ。
  3. それらの子項目にさらに孫項目を結び付けていく。

マインドマップを発想法に使う場合はこのように組織化せず、気ままに関連のありそうな項目を線で結んでいくのである。

しかし、実際にやってみると、この方法では出来上がったマップを後で見返したときに意味がかえって分かりづらいという欠点がある。書いたときの思考の流れを見返したときに忘れていることが多いからである。

マインドマップは、本質的には、2つの項目を連想で結び付けただけのものである。作成する時点ではあまり構造化や論理の流れは考慮されていない。思考というものは、本来そのようなものかもしれないが、読み返す際にはあまり雑然としていても困るのである。

したがって、マインドマップを有効に活用しようと思うなら、これを文章化しなければならない。実際にマインドマップから文章を起こしてみると、いろいろな細かい点で変更を余儀なくされることが多い。マインドマップではひとつの項目から次にどの項目へ移ればよいのか分かり辛いが、文章化することでその順序が指定され、思考の流れが整理されるのである。

こう考えると、ノートを見開きで使い、左にマインドマップ、右にそれを文章化したものを書くというのはよい方法のような気がする。
# by tnomura9 | 2005-09-14 16:53 | 考えるということ | Comments(0)

ドラゴン桜

テレビ番組のドラゴン桜の受験指導法がおもしろかったので、原作のまんがを買い込んで読んだ。

このまんがを読んで思ったのは、結局主人公達がやっている受験勉強は、東大理1に入るということに目的を特化して合理的に受験勉強の手順を組み立てていると言うところが面白いのだ。メモリーツリーなど様々なテクニックが出てくるが、それ自体はそう珍しいものではない。しかしながら、意外に使われていないというのも事実なのだ。受験というのは結局多量の情報を期日内に習得するということに尽きるだろう。その意味でこのまんがに書かれている方法は、使いようによっては、充分実務にも役立つものである。

目的の明確化、合理的な学習法について少し実践してみるのも面白いかも知れない。
# by tnomura9 | 2005-09-13 16:04 | 考えるということ | Comments(0)

ノートの意味

以前、「プロジェクトX」を見たときに、ミシンの開発者が段ボール箱一杯のノートを持っているところが写っていた。

ノートをとる意味はいろいろあるだろうが、いちばん先に思いつくのが講義ノートなど、消失してしまう情報の記録をとることだ。そのほか、同時通訳の人がつかう使い棄てのノートがある。発言者の長いコメントを正確に訳すためにはどうしても記憶だけでなくノートを活用しないといけないようだ。そのための速くメモをとる技術もある。しかし、記録すると言っても、参考書の丸写しのようなノートではあまり意味がないような気がする。

管理人の今の情况では、自分の思考の過程を外在化させるという意味のノートがいちばん有意義なような気がする。自分の思考の過程をノートに記述することによって、それを、客観的なものにする。さらに、それを、見直しながら自分の思索を深めて行くような型のノートである。そのようなノートであれば、段ボールにいれて永久保存したくもなるのではないだろうか。
# by tnomura9 | 2005-09-04 14:22 | 考えるということ | Comments(0)