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横町の御隠居のすすめ

横町の御隠居は落語の人気者だ。人が良く世話好きで、あらゆることに蘊蓄を語るのが好きだ。しかしそれは系統だって得られた知識ではないので、八つあん熊さんにちょっと突っ込まれると、苦しい言い訳をしなくてはいけなくなる。

しかし、この御隠居さんの学習の仕方は案外重要だ。ウェブのCMSのPHPのソースを読むと、プログラムの知識そのものよりも、サーバーの知識や、多言語化の知識など雑多な知識が幅広く要求される。それぞれについてそれほど深い知識が必要なわけではないが、どういうものかくらいは知っていないとソースの意味がわからない。

このちょっと知っておかないといけない知識の範囲が意外に広範囲にわたっているので、プログラムのソースを読むのと並行に学習することは不可能だ。むしろ、日ごろ雑学的につまみ食いをしていて、深い知識もなしに、そんなものだとイメージを作っていたものが結構役に立つ。雑学をため込むためには、たっぷりとした暇な時間が必要なのだ。

ちょっとした空き時間に、ちらっと眺められるような細切れな知識をため込んでおくのは大切なことだ。

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by tnomura9 | 2018-05-31 15:37 | 考えるということ | Comments(0)

フリーセル中毒

管理人は完全なフリーセル中毒だ。ちょっと暇があるとついスマホでフリーセルをやってしまう。いったん始めると10回でも20回でも続けてやることができる。家族には呆れられているが、単純なゲームなのにとにかく飽きない。

これにはいくつか理由を思いつくことができる。それは一つは5分で決着がつくということ。クリアまでの時間が長すぎると空き時間にちょっとやるというわけにはいかない。ゲームをクリアするために毎回違った工夫が必要になってくること。必勝法のパターンなどないので、クリアするための戦略が毎回異なっている。何回も同じことをやるというマンネリ感がない。難しい局面をクリアしたときの達成感が結構ある。クリアするためには必ず難局のようなものがあるので、そこをかいくぐって札を全部山に戻したときの喜びが大きい。

これらは、学習の戦略にも共通するものがある。難しすぎることと、分かり切った単調なことはやりたくない。長時間を要するような学習はごめんだ。自分の工夫が結果に影響を及ぼすような参加感がなければいやだ。わがままな学習者の欲求をみたしてやるような、カリキュラムの研究が大切だということだ。

自習するときも継続するためには上に述べたような戦略が必要かもしれない。

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by tnomura9 | 2018-05-21 15:06 | 考えるということ | Comments(0)

ハードルを下げる

NHKの『ガッテン』で慢性疼痛の特集をしていた。はっきりした原因がわからないのに激しい痛みで苦しめられている患者さんが、脳を訓練することで痛みから解放されるという内容だった。

慢性疼痛ははっきりした原因もないのに激しい痛みを感じる病気だ。痛みの原因がないので原因対策では痛みはとれない。ところがそういう病気の人の脳の PET をとってみると大脳皮質の広範な領域で血流が低下している。一方脳の中心部の扁桃核というところは逆に興奮が見られるようなのだ。扁桃核は恐怖や怒りや不安といった感情に関係する神経の領域だ。この領域が興奮することで広範囲の脳の活動が低下し、それが痛みにつながっているらしい。

これとは別に脳の中心部の近くにある側坐核という領域は、快感や報酬と関連している。モルヒネや覚せい剤が効果を発揮するのは最終的にこの側坐核を刺激するからだといわれている。ところで、この側坐核は抑制性の神経線維を扁桃核に送っており、側坐核が興奮すると、扁桃核の活動が低下し、大脳全体の活動が増加する。したがって、側坐核を興奮させてやれば、扁桃核の興奮を抑えることで慢性の疼痛を緩和させることができる。

この側坐核は、しかし、簡単な方法で興奮させることができる。つまり、課題を設定してそれを達成したときの達成感を感じるとき、この側坐核が興奮しているのだ。

先ほどの慢性疼痛の患者も、小さな目標を設定しそれを達成したときの達成感を繰り返すことで側坐核を刺激し慢性疼痛から解放された。激しい腰痛に悩まされていた男性の患者さんは軽い筋トレを繰り返すことで筋トレをやり切ったという達成感を繰り返しているうちに腰痛がなくなってしまった。腰痛で歩くのも大変だった若い女性は階段を1段のぼるという課題から初めて、課題をクリアしているうちに2回まで階段を登れるようになり、スキップできるまでに腰痛が焼失した。激しい頭痛に悩まされていた女性は、書道をしている間は頭痛がないことに気が付き、意識的に書道をするうちに頭痛から解放された。

学習目標がうまく達成できないときは、ほんを読むのもつらくなるが、上手にハードルを下げることによって苦手感を低減できるようになるのではないだろうか。学習の技術にはモチベーションを保つための技術も含まれるのではないか。

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by tnomura9 | 2018-05-14 18:45 | 考えるということ | Comments(0)

文字の洪水

何か新しいことを学ぼうとすると、大量の文字の洪水に悩まされる。それらの中から自分に必要な情報を取り出すのは結構骨の折れる仕事だ。世に多くの勉強法の本が流布しているのも、この大量の情報の中から有意義な情報を取り出すにはどうすればいいのかという切迫感に答えてのことだろう。

しかし、本当に必要な情報は文字ではない。必要な情報は文字そのものではなく、文字によってあらわそうと試みられている文字以外の知識や情報なのだ。それらの知識を表現するのに文字は必ずしも適切ではない。実際、文字よりも、文字を使って著者が表現しようとした文字ではないイメージのようなものが本当は必要とされている。

文字情報から、文字ならざる情報を取り出すには、どうしても文字によって喚起される情報のイメージ化が必要だ。文字情報がこのようなイメージ的な知識を脳の中に生成できない限り情報の伝達は不可能だ。全ての文書の情報は一旦脳に取り込まれない限りは役に立たない。

この文字に非ざる情報は、一度文字の情報が脳の中に取り込まれて脳内でそのイメージを作られるまでは、理解されたとは言えない。ところが、脳というものは一度に大量の情報を取得するようにはできていない。また、書かれてあることを理解する速度もそんなには早くない。残念ながら大量の新しい情報を一気に処理する能力を脳は持ち合わせていない。

一方一旦脳に取り込まれた情報を利用するのは非常に高速にできる。神経の伝達速度は遅いかもしれないが、けた外れの並行処理によって、脳はそこに取り込まれた情報を効率的に取り出すことができる。

要するに、脳は全く初めての知識を理解するのは苦手だが、一度脳に取り込まれた知識を検索したり加工したりすることには長けているのだ。

このことから、初めての知識を習得する際には、その大量の文字情報の中から手掛かりとなるイメージを脳に作るということが大切になることが分かる。それは、大量の情報から限られた範囲の知識を脳に入力し、それに習熟するということで成し遂げられる。言い換えると大量の情報の中から少量の知識を選び出し、理解して、さらにそれが反射的に出てくるまで繰り返すということでその知識に慣れる必要があるということだ。

こうやって、理解のきっかけとなる少量の知識を自家薬籠中の物としておくことで、大量の文字情報に漕ぎ出すための橋頭保にすることができる。

新しい知識を学ぶときは一気に習得しようとせず、関連する小さな知識が簡単に理解できるようになるまで時間をかけて、それをアンカーにして知識を広げていくことが肝要だ。

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by tnomura9 | 2018-05-03 16:02 | 考えるということ | Comments(0)