tnomuraのブログ
2024-03-19T05:24:53+09:00
tnomura9
日記
Excite Blog
公理的集合論における普通の集合
http://tnomura9.exblog.jp/29976288/
2024-03-17T04:27:00+09:00
2024-03-19T05:24:53+09:00
2024-03-17T04:27:07+09:00
tnomura9
命題論理
最初のフォン・ノイマン順序数
0 = {} =∅
1 = {0} = {∅}
2 = {0, 1} = {∅, {∅}}
3 = {0, 1, 2} = {∅, {∅}, {∅, {∅}}}
4 = {0, 1, 2, 3} = {∅, {∅}, {∅, {∅}}, {∅, {∅}, {∅, {∅}}}}
なんか、きつねに抓まれたような気になる。公理的集合論ではものの集まりという直感的な集合は定義できないのではないかという気がしてくるのだ。
ところで、公理的集合論では、変数は一階述語論理の個体変項だが、意味論的には変数の全ては集合として扱うようである。したがって、任意の2つの要素 x, y からなる集合を定める対の公理は次のようになる。
x と y が集合である場合、xとyを元として含む集合が存在する。
ただし、上の公理は一階述語論理で記述されているので、x, y が集合であると指定されているわけではなく単に個体 x, y を意味していると考えたほうが良い気がする。すなわち、
任意の個体 x, y について x と y を元として含む集合が存在する。
と表現しても問題はない気がする。
この公理を使えば x = y のときは、シングルトン集合 {x} が存在することが言える。直感的な要素を表すこのようなシングルトン集合をたくさん集めると、和集合の公理でその和集合としての集合を定義することができる。
一般的な直感からは、要素 x は個体であって、要素のシングルトン集合 {x} は個体ではないということになるが、{x} そのものを個体と認めると、そのシングルトン集合は {{x}} となるので、個体とシングルトン集合の区別はちゃんとできる。
公理的集合論の公理は、全てが集合である異世界の原理のような気がしていたが、シングルトン集合をたくさん作ってやってこれを個体要素と考えれば、ちゃんと普通の集合も定義できるような気がする。
追記
厳密に言うと、対の公理で一階述語論理の個体変項である x を要素とするシングルトン集合を作り、{x}, {y}, {z}, ... をもとに、和集合の公理で {x, y, z, ... } を作るという手順になるのだろうが面倒くさい手続きであることには変わりない。
ただし、一旦集合が定義できれば、あとは普通にラッセルのパラドックスを発生しない集合として扱うことができる ... のかもしれない。
追記2
特定の理論の要素をすべてシングルトン集合でくるんでしまうと、シングルトン集合の集合演算で、「シングルトン集合すべての和集合の冪集合」の要素をすべて集合演算で生成できる。この冪集合はブール代数になる。すなわち、その理論の要素について集合演算や論理の適用が制限なく行われることが保証される。
また、a ∈ A のような要素の所属関係も、{a} ⊂ A のようなシングルトン集合と集合の包含関係に翻訳すれば、要素と集合の所属関係を含むすべての集合演算を、冪集合の上で行うことができる。ラッセルの述語では、このようなシングルトン集合 {R} を」定義できないから、この述語を含む理論体系には集合演算と論理演算が適用できないことが分かる。
論理と集合は同じ構造でブール代数(束)なのだ。これらを適用できる理論は、ブール代数にたいして準同型でなければならないことが分かる。
追記3
ラッセルの述語を実現するためには「自分自身を要素として含まない集合」や「自分自身を要素として含む集合」を記述できないといけない。それは、集合の定義を個体と集合の所属関係によって定義することで可能になる。
個体も集合も全て対象として抽象化し、対象間の所属関係のみを考える定義法だ。対象 a と 対象 b のあいだの所属関係 a ∈ b があるとき対象 a は対象(集合) b の要素である。集合 b の外延は、b に所属する対象全ての集まりとして自然に定義できる。
このような定義において「自分自身を要素として含まない集合とは、対象 a について a ∉ a となる場合を言う。また、自分自身を要素として含む集合とは a ∈ a となる対象 a のことを言う。
対象の集合 A = {a0, a1, a2, ... } について任意の2つの要素の所属関係を全て考えると、これは、A の要素をノードとし、所属関係をエッジとする有向グラフになる。これらの中では自分自身にエッジを張る「自分自身を要素として含む集合」であるノードと、自分自身にエッジを張らない「自分自身を要素として含まない集合」であるノードに分かれる。
ところで、ラッセルの述語は「自分自身を要素として含まない集合」すべてにエッジを張る集合(ノード)を定義する。
このノードを r とすると、r はグラフのノードのうち自分自身にエッジを張らないノード全てにエッジをはることになる。しかし、r は r 自身にエッジを張ることができるだろうか。この問題がパラドックスになるのはラッセルのパラドックスから明白だ。
すなわち「自分自身を要素として含まない集合の集合」という述語によって定義できる集合 r はグラフの内部のノードには存在できないのだ。ただし、グラフの外にあるノードからはこのようなノードは存在可能だ。
したがって、ラッセルの集合は対象の集合 A の中には存在しないため、そのシングルトン集合 {r} も存在できない。すなわち、シングルトン集合から定義できる集合の中にはラッセルの集合は存在できず、ラッセルの集合を含む理論は、Aの冪集合という集合や論理のフレームワークに乗せることができないことがわかる。
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命題論理の Hasse 図
http://tnomura9.exblog.jp/29950236/
2024-03-10T05:44:00+09:00
2024-03-11T13:45:45+09:00
2024-03-10T05:44:10+09:00
tnomura9
命題論理
原子命題が A と B だけなので冪集合の台集合として {A, B} を考えそれらの join と meet からなる論理式について考えれば良いようであるが、A と B の meet は 0 ではない。それは A ∧ B という論理式になるからだ。
また、命題論理の論理式には否定演算という単項演算があり、A ∧ ~A = 0, A ∨ ~A = 1 という補元律を満たさなければならない。そこで工夫をして、基本となる論理式として A とその否定命題 ~A、B とその否定命題 ~B という4つの命題を考えることにする。
さらに A∧B, A∧~B, ~A∧B, ~A∧~B という論理式を考えてみる。このとき、
(A∧B)∧(A∧~B) = 0
なので A∧B と A∧~B の meet は 0 すなわち矛盾式だ。上の4つの論理式はすべて2つの論理式の meet が 0 になるので、論理式の冪集合は台集合、
{A∧B, A∧~B, ~A∧B, ~A∧~B}
について考えることにする。
議論の見通しをよくするために p = A∧B, q = A∧~B, r = ~A∧B, s = ~A∧~B とおくと、この台集合の冪集合について、前回の記事のように要素のレベルを考えると、次のようになる。
第0レベル:0(矛盾式)
第1レベル:p, q , r, s
第2レベル:p∨q, p∨r, p∨s, q∨r, q∨s, r∨s
第3レベル:p∨q∨r, p∨q∨s, p∨r∨s, q∨r∨s
第4レベル:p∨q∨r∨s = 1(恒真式)
ここで
p∨q = A
p∨r = B
p∨s = (A∧B)∨(~A∧~B)
q∨r = (A∧~B)∨(~A∧B)
q∨s = ~B
r∨s = ~A
p∨q∨r = (A∧B)∨(A∧~B)∨(~A∧B) = A∨(B∧~B)∨(~A∧B) = A∨(~A∧B) = (A∨~A)∧(A∨B) = A∨B
p∨q∨s = (A∧B)∨(A∧~B)∨(~A∧~B) = A∨~B
p∨r∨s = (A∧B)∨(~A∧B)∨(~A∧~B) = ~A∨B
q∨r∨s = (A∧~B)∨(~A∧B)∨(~A∧~B) = ~A∨~B
なので、整理された Hasse 図の要素は次のようになる。
第0レベル:0(矛盾式)
第1レベル:A∧B, A∧~B, ~A∧B, ~A∧~B
第2レベル:A, B, (A∧B)∨(~A∧~B), (A∧~B)∨(~A∧B), ~B, ~A
第3レベル:A∨B, A∨~B, ~A∨B, ~A∨~B
第4レベル:1(恒真式)
これで Hasse 図の各レベルでの要素が分かったのであとは0レベルから始まって、順序関係の線分でノードをつないでいくだけだ。パソコンで絵を描いてみようと思ったが意外に面倒で挫折した。
作図ソフトに慣れていないせいで、絵は描けなかったが、命題論理のHasse図の特徴を見てみよう。
先ず目につくのが、Hasse図のノードとして現れる論理式の数が16しかないということだ。命題論理の論理式の式はどれだけでも長いものを作ることができるが、論理演算の交換律、結合律、分配律、補元律から縮約できるものは同値な論理式なので、結局のところ原子命題が2個の場合は、同値類の数が(2*2)^2 = 16 個になってしまうからだ。2*2 になるのは命題論理の演算子の補元律を満たすためには、原子命題とその否定命題が必要だからだ。
次に Hasse 図を作成するときの基本の要素が、原子命題ではなくて要素命題の論理積の形になっているのは、その論理式の真理表が、1行だけが真になる真理表になるからだ。それを論理和で組み合わせることによって、すべての種類の真理表を作り出すことができる。ちなみに A∧B と A∧~B の真理表は次のようになる。
A B | A∧B
T T | T
T F | F
F T | F
F F | F
A B | A∧~B
T T | F
T F | T
F T | F
F F | F
つまり、有限個の原子命題からなる命題論理の論理式は、基本の論理式を組み合わせた有限個の同値類(の代表元)で記述できることがわかる。
ところで、命題論理で重要なのは、どのような論理式がトートロジーになるかということだが、それは、この Hasse 図で示すことができる。すなわち、P, Q という論理式に順序関係 P ≦ Q といいう順序関係があるとき、論理式 P -> Q はトートロジーとなる。なぜなら、このような場合 Q = P∨X の形をしているが、
P->Q = ~P∨Q = ~P ∨ P ∨ X = 1
となるからだ。Q = P∨X の形にならない場合は P->Q がトートロジーにはならない。有限個の原子命題からなる命題論理の論理式については、トートロジーであるかどうかは Hasse 図で証明できることが分かる。
トートロジーについては上記の P ≦ Q 以外にも P ∨ ~P の形の論理式もあるが、これは P -> P または ~P -> ~P という論理式と同値だ。P ≦ P の線分は Hasse 図では省略されるがこれも P -> Q 型のトートロジーである。
冪集合の Hasse 図では補元は明記していないが、補集合がその役割を果たしており、冪集合の任意の要素の補集合は、冪集合の要素の中に存在する。
このように、冪集合と論理式の集合のブール束(可補分配則)は異なる点もあるが、同様にブール束として記述することができることが分かる。冪集合のブール束が一番わかりやすいので、束論を学習するときは冪集合をモデルとして理解するのが便利だ。
論理のフレームワークで論じられる体系は、このようにブール束である必要があることが分かる。ブール束ではない理論は、部分的にしか論理を適用できない。論理は適用する相手を選ぶのだ。
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Hasse 図を作る
http://tnomura9.exblog.jp/29948270/
2024-03-09T20:15:00+09:00
2024-03-09T20:15:38+09:00
2024-03-09T20:15:38+09:00
tnomura9
命題論理
{x, y, z}, {x, y}, {x, z}, {y, z}, {x}, {y}, {z}, {}
この冪集合は束であることが分かっているが、その Hasse 図をどうして作ることができるのだろうか。これは、束の任意の2つの要素の meet と join は必ず存在するという性質を考えると機械的に作れることが分かる。
あとの説明に便利なように p ⊂ q のとき p は q より小さい、または、q は p より大きいと表現することにする
まず、これらの要素の内で最も小さいものを見つける。それは空集合 {} である。すなわち {} より小さい要素は {} 以外にはないからだ。そこで 空集合 {} を第0レベルの要素と呼ぶことにする。
次に、それより小さい集合は空集合しかない要素を見つけ、それらを第1レベルの要素と呼ぶことにする。第1レベルの要素に含まれるのは、
{x}, {y}, {z}
の3つだ。これらの要素の間には包含関係⊂はないので、順序関係はない。また、これらの meet を考えるとそれらはすべて空集合 {} である。すなわち、
{x}∧{y} = {}, {x}∧{z} = {}, {y}∧{z} = {}
だ。
さらに、これらのうちの2要素についての join を考える。
たとえば、{x} ⊂ {x, y} かつ {y} ⊂ {x, y} であるから {x}∨{y} = {x, y} だ。同様に、{x}∨{z} = {x, z}、{y}∨{z} = {y, z} だ。これらの3つの要素を第2レベルの要素と呼ぶことにする。すなわち、つぎの3つの要素は第2レベルの要素だ。
{x, y}, {x, z}, {y, z}
これらも第 1 レベルの要素と同じようのお互いの間の順序関係はない。第2レベルの任意の2つの要素の meet は第1レベルの要素の一つになる。また、join は {x, y} ⊂ {x, y, z} かつ {x, z} ⊂ {x, y, z} から {x, y}∨{x, z} = {x,y,z} だ。他の組み合わせについてもすべてその join は
{x, y, z}
になる。これを第3レベルの要素と呼ぶことにする。
各レベルの要素を下から、第0レベル、第1レベル、第2レベル、第3レベルと並べていくと、隣のレベル間の要素は Hasse 図に線分としてあらわされる直接の順序関係があり、同じレベルの要素間には順序関係がない。したがって、0レベルから始まって隣のレベルの要素の間に考えられる順序関係をすべて線分として記入していくと、前回の記事の Hasse 図が出来上がる。
冪集合の束はそれだけではなく、join と meet の交換則が成り立っている。すなわち同レベルの2つの要素 a, b をとると、
a∧b = b∧a, a∨b = b∨a
である。さらに meet と join は結合律も満たす。たとえば、
({x}∨{y})∨{z} = {x,y}∨{z} = {x,y}∨{x, z} = {x, y, z}
となることが、Hasse 図の線分をたどっていくことで分かる。
これは,
{x}∨({y}∨{x}) = {x, y}∨{x,z} = {x, y, z}
でもあるので、結局、
({x}∨{y})∨{z} = {x}∨({y}∨{z})
となり、join についての結合律が存在することが分かる。同じように meet についての結合律の存在も分かる。
さらには、Hasse 図の線分をたどると、
(a∧b)∨c = (a∨b)∧(a∨c) または (a∨b)∧c = (a∧c)∨(b∧c)
のような分配則が成り立つことも分かる。
このように冪集合は分配法則の成り立つ分配束である。また、冪集合が束である性質を利用して、Hasse 図を機械的に作成できる。
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束
http://tnomura9.exblog.jp/29945937/
2024-03-08T23:23:00+09:00
2024-03-08T23:23:11+09:00
2024-03-08T23:23:11+09:00
tnomura9
命題論理
次のHasse図は、集合 {x, y, z} の冪集合の間の包含関係⊂を示している。矢印は、冪集合の要素のあいだの包含関係を表し、矢印の始点の集合は終点の集合の部分集合である。包含関係の推移律から、矢印を次々にたどっていった先と最初の矢印の始点の集合も最終的な終点の集合の部分集合である。このことから、半順序集合の推移律は視覚的にイメージできる。
上のHasse図の {x} と {y} を始点とする矢印は同じ {x, y} を終点としている。このような集合 {x, y} は {x} と {y} の上限 meet と呼ばれる。逆に {x, y} と {y, z} を終点とする矢印を逆にたどると、{y} に辿り着く。この場合 {y} は {x, y} と {y, z} の下限 join である。
これらの関係を記号 ∨ と ∧ で表すと、
{x} ∨ {y} = {x, y}
{x, y} ∧ {y, z} = {y}
である。これらの記号は論理記号の論理和と論理積、または、集合の和集合と積集合に似ているが、あくまでも半順序集合の性質から導き出されたものである。半順序には集合や論理式の演算の意味はないが、同じような性質がみられる。すなわち、集合と論理式はともに半順序集合の性質として記述できる。すなわち、両者には、共通の構造としての半順序集合があると考えられる。
このように半順序集合の性質は Hasse 図として視覚化されるが、これによって、半順序集合の一つである束についても視覚化できる。束の定義は次のようになる。
束(そく、英語: lattice)は、任意の二元集合が一意的な上限(最小上界、二元の結びとも呼ばれる)および下限(最大下界、二元の交わりとも呼ばれる)を持つ半順序集合である。
抽象的な定義だが、上の Hasse 図をよく観察すると、どのような2つの集合についても meet と join が存在することが分かる。束とはこのような構造の半順序集合なのだ。束の抽象的な定義も、視覚化された Hasse 図によって、その性質を理解することができる。
もちろん Hasse 図であらわされる半順序集合すべてが束になるわけではなく、束にならない構造がある。束は半順序集合ではあるが、そのうちの特別な構造であるということができる。命題論理の構造である Bool 束もやはりこのような束だ。
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Hasse 図
http://tnomura9.exblog.jp/29933388/
2024-03-05T21:56:00+09:00
2024-03-05T21:56:25+09:00
2024-03-05T21:56:25+09:00
tnomura9
命題論理
反射律:x ≦ x
推移律:x ≦ y かつ y ≦ z のとき x ≦ z
反対称律:x ≦ y かつ y ≦ x ならば x = y
半順序集合の代表例は冪集合だ。集合 D の部分集合すべてからなる集合の集合は冪集合 P(D) であるが、その要素である D の部分集合の間には包含関係 ⊂ があり、これは明らかに半順序集合の演算規則を満たしている。すなわち (P(D), ⊂) は半順序集合である。
しかし、これだけでは冪集合の全体の構造は見えてこない。Hasse 図はこのような有限半順序集合の全体の構造を見えるようにしてくれるのだ。
Hasse 図の作り方は簡単だ。まず半順序集合の要素を点で表す。つぎにその要素間に半順序関係がある場合は要素を表す点と点を線分で連結する。しかし、その時に点と点が直前直後の関係にある時のみに線分で連結する。すなわち x と y の間に半順序集合があるとき x ≦ z ≦ y のような x と y の間に要素が存在しない、すなわち、x ≦ y でしかないときのみ線分で連結する。この操作を半順序集合全体に行ったときのグラフの全体が Hasse 図である。
このようにして作った Hasse 図には半順序集合の半順序関係が余すところなく表現されている。すなわち、半順序集合の任意の要素間に半順序があるかどうかは、点 x から点 y が線分で連結されるかどうかで判別することができる。すなわち、半順序集合のすべての要素間の半順序関係はすべて Hasse 図で判断できることが分かる。
Hasse 図は半順序集合の順序関係を見える化したものだ。集合 {a, b, c} の冪集合はたしかに ⊂ という集合の包含関係によって、半順序集合であるが、これだけでは全体像は見えてこない。しかし、つぎのような Hasse 図をつくると、冪集合の要素間の半順序関係を俯瞰的にとらえることができる。
このように、有限集合の半順序集合について Hasse 図はその完全な全体像を表示してくれる。
命題論理の論理式の間には含意という半順序集合がある。したがって、命題論理の論理式の集合の Hasse 図をつくれば、命題論理の論理式の間の関係の全体像を表示することができる。
命題論理の主な関心事は論理式のトートロジーだが、Hasse 図によって、トートロジーの全体像を見える化することができるのだ。
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半順序集合
http://tnomura9.exblog.jp/29925710/
2024-03-02T17:19:00+09:00
2024-03-05T00:34:24+09:00
2024-03-02T17:19:48+09:00
tnomura9
命題論理
ブール束は可補分配束に分類される代数系だ。これだけを聞くとお手上げのように思われるが、有限個の原子命題からなる命題論理をブール束で理解するのはそう難しくはない。半順序、束、分配束、補元、可補分配則の順に理解していけばいいだけだ。
そこで、この記事では、先ず、半順序について考えてみる。
ある集合の要素に2項関係 ≦ があって、次の演算規則を満たしていれば、その集合は半順序という2項関係を持つ、半順序集合である。
反射律: x ≦ x
推移律: x ≦ y かつ y ≦ z ならば x ≦ z
反対称律: x ≦ y かつ y ≦ x ならば x = y
この演算規則は整数の大小関係にみられる。1 ≦ 1 は正しいし、1 ≦ 2 かつ 2 ≦ 3 のときは 1 ≦ 3 である。1 ≦ 2 であるが 2 ≦ 1 となることはない。整数の場合はこのような大小関係がどの2つの数をとってもみられる。面白くもなんともない。
ところが上の演算規則は x /> y を y を x で割り切れると定義したとき、/> という関係についても成り立つ。
2 />4 は 4 が 2 で割り切れるから正しいし、2 /> 4 がつ 4 /> 8 のとき 2 /> 8 である。すなわち、4 は 2 で割り切れ、8 は 4 で割り切れるが、このとき、8 は 2 でも割り切れる。
しかし、/> の2項関係は ≦ の演算子と根本的に違うところがある。≦ の関係は、整数の集合のどの要素の間にも成立するが、2 /> 3 も 3 /> 2 も成立することがない。つまり、/> という2項関係は、要素の組み合わせによっては、「2項関係が成立しない場合もある。」のだ。
このように、半順序関係は大小関係より制限が少なく、より抽象的な定義なので、数の大小関係にかかわらずいろいろな集合に適用させることができる。
例えば集合 D の冪集合 P(D) について考えてみる。P(D)の要素間の包含関係 ⊂ は半順序の演算規則を満たす。x ⊂ x だし、x ⊂ y かつ y ⊂ z のときは、x ⊂ z である。しかし {a} と {b} について考えてみると {a} ⊂ {b} とも {b} ⊂ {a} ともいうことができない。
このように、冪集合 P(D) の要素について半順序関係 ⊂ が成り立つので、冪集合 P(D) と2項関係 ⊂ の組 (P(D), ⊂)は半順序集合である。
一般に、集合 A に半順序関係 ≦ が成り立つとき、集合 A と半順序関係 ≦ の組 (A, ≦)を半順序集合 Poset という。
命題論理の複合命題の集合もこのような半順序集合である。2項関係は -> (含意)だ。命題 A と B の間に含意の関係 A -> B があるとき含意の半順序関係があるという。
たとえば、A ∧ B と A の含意を考えると、
A ∧ B -> A
はトートロジーだ。真理表はつぎのようになる。
A B | A ∧ B | A ∧ B -> B
T T | T | T
T F | F | T
F T | F | T
F F | F | T
すなわち、A ∧ B と A の間には含意という順序関係があると考えられる。すなわち、A ∧ B が真なら必ず A は真だ。しかし、
A -> B
はトートロジーではない。真理表は次のようになるからトートロジーではなく事実式だ。
A B | A -> B
T T | T
T F | F
F T | T
F F | T
すなわち、原子命題 A と B の間には含意という半順序関係はない。A が真でも B の真理値は不確定だ。
このように命題論理の論理式の集合には、-> (含意がトートロジーである)という半順序関係があるので、半順序集合である。
それだけでなく命題論理の論理式の集合は、可補分配束という代数構造でもあるが、これからの記事でそれを確認していく。
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名辞の集合のブール束化
http://tnomura9.exblog.jp/29909628/
2024-02-25T10:23:00+09:00
2024-02-25T10:39:01+09:00
2024-02-25T10:23:27+09:00
tnomura9
命題論理
その哲学の名辞の集合を T とする。その要素となる名辞のうち、述語になれない、すなわち、主語としか使用できない名辞を集め、これをアトムの集合 A とする。次にこの A をジェネレータとする自由ブール束が求める哲学のブール束の骨格となるのでこれを B とする。あとの作業は元の哲学の名辞を、他の名辞との主語述語関係から、それに一致する B のブール束のノードに張り付けるだけだ。
このやりかたなら、どのような哲学の名辞の集合もブール束化することができる。
ただし、なんでもブール束化できるわけではなく、ラッセルの述語のような自己言及性の述語はこのフレームワークに乗せることはできない。
これで、名辞論理学をブール束化するアルゴリズムが分かったので、名辞論理学を記号化することができたと考えてよい。
文章だけではわかりにくいのでイメージを作ってみる。ブール束の基本となるモデルはある集合の冪集合だ。次の図は、skzy' diary からの引用だ。
このハッセ図では集合と集合の順序関係は包含関係だ。このうち {0}, {1}, {2}, {3} は部分集合が Φ しかない。これらがアトムだ。そうして、アトムの集合 {{0}, {1}, {2}, {3}} をジェネレータとする自由ブール束の構造が上のハッセ図だ。
名辞論理学の場合、{0}, {1}, {2}, {3} に相当するのがアトムとなる名辞である。それを主語とする述語、さらにの名辞を主語とする述語の名辞は上のハッセ図のノードのどこかに存在するから、それを各ノードに張り付ければ、名辞論理学のブール束が完成する。
このように、名辞論理学とは名辞の主語述語関係によるブール束であることがわかる。
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全称命題と特称命題
http://tnomura9.exblog.jp/29905661/
2024-02-23T21:49:00+09:00
2024-02-23T21:52:17+09:00
2024-02-23T21:49:14+09:00
tnomura9
命題論理
「すべての A は B である。」という命題になる。
ところで、アリストテレスの命題の分類では命題は次の4種類になる。
A(全称肯定判断)すべての人間は生物である。
E(全称否定判断)すべての人間は不死ではない。
I(特称肯定判断)ある人間は学生である。
O(特称否定判断)ある人間は学生ではない。
A と E は全称命題なので、名辞を用いて (B, C)、(B, C') で表現できる。しかし、I, O は特称命題なので、名辞だけでは対応できない。
特称命題に使う名辞は「ある A」という新しい名辞を考えて、名辞集合の要素に加えてもいいが、「ある A」という特称名辞はその記号内容が判然としなくなる。このような名辞をブール束の名辞の集合の要素にするのは少々危ない気がする。
そこで、妥協点として一時的に「ある A」をあらわす A* という名辞を作って、一時的な名辞間の順序関係を考えることにする。たとえば、特称肯定判断「ある A は B である」から、特称名辞 A* を考えると、名辞 A, B との間に、
A* > A, A* > B
という順序関係がある。それだけでなく、ある B は A という性質を持っているわけだから、特称名辞 B* を考えると、
B* > A
という逆の順序関係もあることになる。特称命題 (A*, B) から上の二つの順序関係が一時的に発生すると考えると、アリストテレスの三段論法の第三格の三段論法が正当であることが証明できる。第三格の三段論法とは Wikipedia の例を引用すると次のようになる。
第三格のAII、すなわち「MaP MiS SiP」の三段論法は、以下のようになる。
大前提:「全てのM」は、Pである。(MaP)
小前提:「あるM」は、Sである。(MiS)
結論:ゆえに(∴)、「あるS」は、Pである。(SiP)
具体例。(M=ウサギ、S=ペット、P=有毛生物)
大前提:「全てのウサギ」は、「有毛生物」である。(MaP)
小前提:「あるウサギ」は、「ペット」である。(MiS)
結論:ゆえに(∴)、「あるペット」は、「有毛生物」である。(SiP)
すなわち、次のふたつの命題
(M, P)
(M*, S)
から、一時的な命題 M* と S* が発生し、M* > M, M* > S, S* > M という順序関係がある、これらを使って、
S* > M
M > P
S* > P(推移律より)
(*S, P)
すなわち、「あるペットは有毛生物である」という結論が導き出される。このように、名辞論理学によって全称命題や特称命題も扱えることが分かる。
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名辞論理学と自由ブール代数
http://tnomura9.exblog.jp/29903570/
2024-02-23T09:18:00+09:00
2024-02-23T09:24:48+09:00
2024-02-23T09:18:27+09:00
tnomura9
命題論理
しかし、名辞がすべて独立であれば、自由ブール代数を生成することができる。そこではすべての複合名辞の論理演算について閉じている。おそらく、一般の名辞の集合もこのようなブール代数に取り込む形で構築できると思うが、知識がないのでわからない。
名辞論理学をはじめて整理したのはアリストテレスに遡るが、名辞論理学をきちんと定式化しようとすると、かなりの予備知識が必要になる。管理人の手には負えないようだ。
しかし、直感的には名辞論理学は名辞のブール束と考えると、ポール・ロワイヤル論理学でなにを言いたかったのかが、現代的な視点から把握できるような気がする。とりあえずは、それでいいとしよう。
まあ、手に余るのは分かるが、ほちぼちやってみたい。たぶんもっと整理した形ですでに考察されているのは確かなのだろうから、そういう参考書も探していきたい。
自由ブール代数については、次のサイトの説明が簡潔でイメージがつかみやすかった(わかりやすかったとは言わない)。
ブール代数からストーン表現(ストーン双対)まで
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名辞論理学の対偶
http://tnomura9.exblog.jp/29903315/
2024-02-23T01:32:00+09:00
2024-02-24T01:19:02+09:00
2024-02-23T01:32:49+09:00
tnomura9
命題論理
x ∧ y = x または x ∨ y = y
この時次のように ~y > ~x が証明できる。
x ∧ y = x
~(x ∧ y) = ~x
~x ∨ ~y = ~x
~y < ~x
名辞論理学の名辞の集合もブール束であるから同様の議論で、
A > B
ならば
~B > ~A
である。逆も言えるので、すなわち、命題 (A, B) と 命題 (~B, ~A) は同値である。名辞論理学らしい言い方をすれば、
「ソクラテスは人間である」
という命題と、
「人間でないものは、ソクラテスではない」
という命題は同値な命題である。
このように、名辞論理学の性質は、名辞の集合がブール束であるという性質から演繹することができる。つまり、名辞論理学の本質はブール束なのだ。
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命題
http://tnomura9.exblog.jp/29902200/
2024-02-22T18:26:00+09:00
2024-02-22T18:26:31+09:00
2024-02-22T18:26:31+09:00
tnomura9
命題論理
名辞を A, B とすると A is B という肯定文と、A is not B という否定文がある。しかし、本質的には命題は、2つの名辞の順序対と考えることができる。すなわち、肯定文の場合は順序対 (A, B) で否定文の場合は B の補元 B' を用いて (A, B') の順序対と考える。すなわち、
肯定文: (A, B)
否定文: (A, B')
である。
命題の真偽は、名辞間の半順序関係で定義される。すなわち、(A, B) が真であるのは A > B と同値である。すなわち、
(A, B) が真 <=> A > B
である。命題の真偽をこのように定義した場合、命題による三段論法は、名辞の順序関係に読み替えて推論することができる。たとえば、
人間は死すべきものである。
ソクラテスは人間である。
ソクラテスは死すべきものである。
という定言的三段論法の場合。人間という名辞を A, 死すべきものという名辞を B, ソクラテスという名辞を S とおくと。
命題 (A, B) が真ならば A > B
命題 (S, A) が真ならば S > A
半順序の推移律から、 A > B かつ S > A ならば S > B なので、
S >B
すなわち、命題 (S, B) は真である。
のように命題を名辞の順序関係に置き換えて三段論法の推論を行うことができる。
ソクラテスは個体の名辞で人間や死すべきものは概念の名辞であるが、名辞論理学の推論においては、名辞の順序関係だけが問題になるので、ソクラテスという個体とソクラテスという概念を区別する必要はない。
前回の記事に述べたように、論理的推論の対象となる名辞の集合 T と、名辞間の半順序 > の組 (T, >) はブール束である。
したがって、名辞論理学の論理的推論は、名辞の集合 T の半順序構造に基づいていることが分かる。
哲学の場合、その全容は名辞のブール束構造だが、名辞間の順序関係の根拠は主に哲学者の認識に依存していて、目に見えない。
しかし、二人の哲学者が名辞の順序関係に同意した場合は、共通の基盤で論理的討論を交わすことができる。哲学の論理とはこのような哲学者と哲学者の合意に基づいた議論になるのだ。
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名辞 term
http://tnomura9.exblog.jp/29893261/
2024-02-20T23:22:00+09:00
2024-02-20T23:43:21+09:00
2024-02-20T23:22:05+09:00
tnomura9
命題論理
《term》論理学で、概念を言語で表したもの。実際上、概念と同じ意味に用いられる。
しかし、名辞イコール概念ではない。名辞は概念の名前(記号表現)であり、概念は名辞の指し示す名辞の意味(記号内容)だからだ。名辞は音として聞き取ったり、文字列として見たりできるが、概念は目には見えないものだ。例えば、「人間」という概念をイメージできるだろうか。人間のモデルを思い浮かべても、それは人間という概念ではない。概念とはこのように、その内容を見ることができない抽象的なものだ。
しかし、人間はこのような名辞を駆使して様々な概念を表現することができる。
ところで、様々な名辞は多種の概念を表現できるが、名辞の間には関係がある。すなわち、主語と述語の関係だ。たとえば、「人間は動物である。」というとき、主語は人間であり、述語は動物だ。しかし、どのような名辞の間にも主語述語の関係が成立するわけではない。「木は動物だ」ということはできるが、このような文は不適切な文だ。名辞と名辞の主語述語の関係が適切かそうでないかは、それぞれの名辞の指し示す概念の意味に依存している。
さらに名辞の主語述語の関係は2項関係である。「人間」という名辞と「動物」という名辞の間には、「動物」は「人間」の述語であるという2項関係がある。この2項関係を > で表し、任意の名辞を x と y で表すと、次のような演算規則がある。
反射律: x > x .... 「人間は人間である。」は正しい。
推移律: x > y かつ y > x ならば、x > z .... 「人間は動物である」かつ「動物は死すべきものである。」ならば「人間は死すべきもの」である。
反対称律:x > y かつ y > x ならば、x = y .... 「人間は動物である。」と言えるが、「動物は人間である。」とは言えない。
このように、名辞どうしが主語述語の関係であるかどうかという2項関係 > は、半順序関係である。なぜなら、「男」と「女」という名辞は、「男は女である」とも「女は男である」ともいうことができないので、主語述語の関係をもたせることができない、すなわち T の要素である名辞の中には順序関係がない者どうしが含まれているからだ。したがって、名辞すべての集合を T とすると。
(T, >) の組は半順序集合になる。そうして、この半順序集合に x ∧ y と x ∨ y という複合名辞が定義できるとすると、(T,>) は束になる。
さらに、名辞 x に対応してその否定を表す名辞 x' を導入する。そうして x ∧ x' = O, x ∨ x' = I とする。これは 「人間」かつ「人間でない」という複合名辞は「存在しない」という名辞になるし、「人間」または「人間でない」という名辞は「存在する」という名辞になることからも適当だと思える。
このように名辞の補元が導入された場合、(T, >) は補元分配束、すなわち、ブール束になる。
名辞全体の集合は、ブール束として扱うことができるのだ。
実は2つの名辞の間に主語述語の関係があるとして、具体的にそれがどのようなものであるかというのは難しい。なぜなら、概念を見えるようにすることはできないからだ。見えない概念どうしの関係性を見えるようにすることはできない。これが、冪集合の要素間の包含関係と名辞の間の主語述語の関係との違いである。
しかし、名辞どうしの関係ははっきりと認識できるし、それをもとに論理的推論を適用することもできる。これもまた、厳密な論理学の適用の対象であることが分かる。
哲学の論理的推論を、命題論理や、述語論理に還元することは難しい。すなわち、哲学を数学で記述することは難しい。しかし、名辞論理であれば自然に哲学の問題に適用できるだろう。哲学の議論が分かりにくいと思ったら、その論理が名辞論理に翻訳できないかと考えるといいのかもしれない。
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観念
http://tnomura9.exblog.jp/29887671/
2024-02-18T23:02:00+09:00
2024-02-19T09:27:38+09:00
2024-02-18T23:02:19+09:00
tnomura9
命題論理
プラトン哲学におけるイデアとは、weblio によると次のように定義される。
プラトン哲学におけるイデアは、知覚を超越したところにあり、直接には知覚できない、ただ想起によってのみ認識し得る、抽象化された純粋な理念であり、しかも対象を対象たらしめている根拠であり本質、真の存在です。理念として思い描かれた(想起された)、理想的・理念的な、「それそのもの」という理念・観念・概念です。
現代風に言うと、個々の三角形が三角形であると認識できるためには、三角形の元型というものがあって、人間はその三角形のイデアを認識できるために、実際の様々な三角形を三角形と認識できるのだという主張だ。
しかし、三角形を認識するには実体としてのイデアがなくても、脳の中に三角形の特徴を抽出してそれを三角形と認識する神経回路が存在すれば十分だ。このような、特徴抽出なら、AIという人ならざる機械も行うことができる。そうであれば、三角形のイデアは人間やコンピュータとは独立して存在するともいえないこともない。
ポールロワイヤル論理学の最初の章は観念の解説に割かれている。哲学が論理によって真理を探究する学問であれば、その根底となる観念の真理性は重大な問題になる。観念は論理的推論の根底をなすものであるし、すべての演繹はこの観念を基礎に行われるからだ。
しかし、純粋に論理学の立場からは、観念とは公理であって、その真理性の証明は論理学の関心にはない。論理学はそのような公理としての観念を出発点として論理的に矛盾のない推論を行うだけだからだ。観念は真であると認めるが、それは仮にそう認めるというだけで、観念の真偽は論理学では論証できない。
観念のもうひとつの特徴は、それが名辞(記号表現)とその内容(記号内容)から不可分に構成されるということだ。ソシュールのシニフィアンとシニフィエだ。名辞は語として音あるいは文字列(記号表現)として認識することができるが、観念の場合記号表現が指し示す記号内容は目には見えない。
論理学の場合、操作できるのは名辞(記号表現)だけなので、ポール・ロワイヤル論理学の著者からは誤謬として退けられたホッブスの
おそらく推理とは、であるという語によって名前を寄せ集め、連結したものにほかならないだろう。そこから帰結するのは、われわれが理性によって結論することは、ものの本性に関することではまったくなく、むしろものの名称に関するもののみであることである。つまり、その意味に関してわれわれが恣意的に結んだ協約にしたがって、ものの名称を首尾よく集めているかどうかを、単に見ることだけである。
の意見の方が厳密なのだ。論理学とはこのような統語論による形式的体系だと言える。ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」という言葉はこのことを表しているような気がする。
しかし、論理学をそのようにとらえるとき、アリストテレスの発見した形式論理学は普遍性をもち何千年も、それだけでなく、今でもその真理性を失っていない。なにゆえに、アリストテレスの著作が現代にいたるまで魅力を失わないのかということにたいする答えでもある。
もちろん、命題論理学や述語論理学は統語論だけではない。意味論てきな考察も必要だ。意味論のない単なる形式的体系は意味がない。哲学というのは、単なる記号操作だけでなく、その記号の意味を考えるときに真価の光を放つことになる。
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アリストテレスの論理学
http://tnomura9.exblog.jp/29884348/
2024-02-17T12:14:00+09:00
2024-02-17T12:29:03+09:00
2024-02-17T12:14:00+09:00
tnomura9
命題論理
アリストテレスの論理学 - Hitopedia
アリストテレスの論理学は論理学であると同時に言語学でもある。アリストテレス論理学のいろいろな概念も、言語の論理的構造に関連していると考えると分かりやすいのではないだろうか。
例えば、カテゴリー論の第1章は、同音異義個、同音同義語、派生語について述べられている。言語の最小単位としての単語の働きの分類をしているのだ。
同音異義語とは、単語(記号表現)と意味(記号内容)の恣意性を表しているし、同音同義語とは記号表現と記号内容との関係が普遍的に安定している場合を示している。派生語は古代ギリシア語の特徴だが、同じ概念が派生語という文法によって拡張される。しかし、派生語も単語として扱われるので論理学の最小単位だ。
統語論と意味論は現代論理学の重要な関心事であるが、おなじことが名辞論理学についても言えるのではないだろうか。名辞論理学にも統語論と意味論が適用され、統語論の構造には命題論理や述語論理にも負けない緊密な論理構造があるのではないかと思う。
名辞論理学には歴史的論理学では片づけられないような魅力がある。現代風に整理された「記号名辞論理学」があってもいいような気がする。
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明晰
http://tnomura9.exblog.jp/29880032/
2024-02-16T01:44:00+09:00
2024-02-16T01:44:47+09:00
2024-02-16T01:44:47+09:00
tnomura9
考えるということ
めい‐せき【明×晰/明×晳】
1 明らかではっきりしていること。また、そのさま。「—な文章」
2 論理学で、概念の外延が明確で他とはっきり区別できること。明白。→判明
管理人の論理学や哲学に対する興味はこれに尽きるような気がする。論理学に興味を持ったのは、高校のときに数学の教科書がまったく理解できなかったからだ。
理解できないものを理解できるようにする方法は、理解できないものを明晰に理解しているものに分解する、あるいは、関連付けることだ。
例えば、箱入り娘のパズルを闇雲にやっても解けないが、コマの移動の可能性のパターンについて理解できれば、それを組み合わせることで盤面をコントロールすることができる。
この場合、パズルの解法は明晰ではないが、コマの移動のパターンは明晰に理解できているのだ。
自分にとって明晰なものは何かを知っているということは、工作で使い慣れた工具をたくさん持っているようなものだ。
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