日本語は主語を明示しない言語だといわれることがあるが、参考書を読解するとき主語に下線を引いておくとよく分かることが多い。
たとえば、次の例文を見てみよう。(文中の下線は管理人による。) 哺乳類の脳は、生物の恒常性や機能維持としての働きを司ることにより生命の維持にとって非常に重要な器官として機能するだけでなく、記憶や学習などに代表される高次神経機構の中枢として必要不可欠な役割を担っている。脳は膨大な数の細胞により複雑に構築された臓器であるが、その基本素子は神経細胞であり、それらのすべては神経上皮と呼ばれる神経外胚葉由来の層状構造物により生み出される。神経上皮層は神経上皮細胞(神経前駆細胞)により構成され、その細胞核が多相に積み重なっていることから偽上皮細胞と呼ばれる形態を持つ。 下線は、主語に引いてあるが、読み返すときに下線の部分を眺めるだけで、この文章が、「哺乳類の脳について」 -> 「脳の基本素子である神経細胞について」 -> 「その神経細胞を生み出す神経上皮について」 -> 「その神経上皮細胞の偽層状構造について」というふうに、議論の焦点がズームインしたりズームアウトしたししている様子を見て取ることができる。 文章を書くとき、書き手は、まず何に焦点をあてて書くのかを考えるだろう。その焦点となるものを表しているのが主語であるから、まず主語に注目することは、読み手の視線を書き手の視線に合わせることになり、それ以後の記述の内容を読解する準備ができる。 今までのマーキング法だと、主語に下線を引くことは少ないのではないだろうか。重要なキーワードは、「これは、~と呼ばれる。」というように述語の中に現れるからだ。しかし、このマーキング法だと、読み返した時に著者の視点が分かりにくくなるので、ばらばらな印象になり、そのキーワードが全体のどの位置にあるのかの位置づけができない。そのため、自分が引いた下線なのに、その意味が分からないという状況が発生してしまうのだ。 したがって、読み返すためのマーキングを著者の思考の流れを再現するようなやり方にすると、重要なキーワードのマーキングよりは逆に読み返した時に内容を想起しやすくなる。
by tnomura9
| 2009-01-26 07:19
| 考えるということ
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Comments(2)
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normal
at 2009-01-26 23:36
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とても面白い内容でした。主語が読み手に準備させるのですね。
発展させて考えると、文章というのは日常の発想の流れにカタチに沿ったものが理解しやすいのかもしれませんね。日本文と英文の違いもそういうところからきてるのかなとも思いました。
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tnomura9 at 2009-01-27 07:03
normalさん、コメントありがとうございました。
一般的には、読書は必要な情報を得るという目的で行うわけですが、書き手の思考過程を追体験するという視点で考えると、文章の構成に注目するほうが良いこともあるようです。同じような発想で、文の冒頭部分に注目すると、書き手が何について論じようとしているかが推測できます。また、御指摘の通り、日本文と英文の語順の違いは、両者の発想がかなり違うことを表しているのではないかと思います。チョムスキーの唱える生得的な言語能力(しかし、生成文法そのものではないのではないでしょうか)から、どう日本語と英語の体系にわかれていくのかが分かると面白いでしょうね。
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