知識に対する忘却の影響を過小評価してはならない。
知識というものは、貯金のように一度蓄積したらいつまでも利用できるという類のものではない。スポーツの技能の様に、使わなければすぐに錆びてしまう。また、植物のように手入れをしないと花が咲かなかったり枯れてしまったりする。 知識というものは、常に現在の自分の状態と関連しているものだ。教養の様に直接には実用と関係ないように思われるものでも、目に見えない形で現在の自分の行動に影響を及ぼしてくる。また、知識の影響は意識に上らないところでも意識の行動にあらわれる。 学習というものは、このように、意識と無意識の相互作用によって成立する。学習活動はそれ自体の慣性力を持っており、意識はその舵取りをしているにすぎない。言い換えると、学習活動はそれ自身の自然法則で成り立っており、意識的な操作で簡単に動かせるようなものではないということだ。 他の人に有効だったやり方がうまくいかないのもそのせいだ。方法として語られていない部分の影響が無視できないからだ。 思考力を育てるための即効性の薬はない。問題意識を持ちつづけ、訓練し、訓練の結果を観察し、方法を工夫する。他の人のやり方を研究し自分に応用してみる。スポーツの訓練や花を育てるときの方法と変わりはない。 思考力を鍛えるのに本当に有効なのは、問題意識を持ち続けることだ。
by tnomura9
| 2008-06-30 08:18
| 考えるということ
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