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思考法

書店に行って「思考法」に関する本を探し出すのは簡単だ。ビジネスコーナーをざっと眺めただけで思考法に関する本を十冊以上は見つけることができるだろう。誰もが皆自分の思考力を強化したいと思っている証拠だ。

思考法に対する興味は、「自分が理解したいと思っていることが理解できない」という体験から発生していることはあり得ることだ。自分が知りたいと思っていることを簡単に理解できるのなら、そもそも思考法など必要ではない。

参考書を最後まで読みとおせない。読んでも何が書いてあるのか全く理解できない。こういう事態に接すると、「これはきっと自分の思考方法が悪いからに違いない。何か脳の生理学的な性質を利用した画期的な思考法を習得すれば、この参考書もスラスラ読めるようになるに違いない。」と考えるのは自然の理だろう。

そうであれば、次に起こす行動はこのような思考法を求めて書店やネットを彷徨するということになる。そうして、そこで出会うのはやはり一読してもまったく意味のわからない参考書だ。そこで、この参考書を理解するためのもっと理解しやすい参考書はないかと探し始める。

そうこうしているうちに思考法についてもだんだん詳しくなってくる、いろいろな図解の方法やノートの取り方や、論理的な思考法などにも詳しくなってきた。ところが、大変な時間をかけて思考法を習得したのに、最初に読めなかった参考書はやはり読めないままだった。

なにかを学ぶためになにか別のことを学ぶというのは、合理的なようでかえって効率の悪い方法ではないのだろうかと最近思うようになった。
by tnomura9 | 2008-05-22 07:11 | 考えるということ | Comments(0)
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