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複雑さとの戦い

結局のところ考えたり、理解したりすることは、思考の対象であるシステムのモデルを脳の中に形作ることなのだ。

なぜそれが難しいのかというと、思考の対象は複雑なことが多いからだ。脳の容量も十分に巨大なのだが、残念ながら人間は意識の上にあるものしか認識できない。そうして、意識が活用できるワーキングメモリーはわずかに7つなのだ。そのうえ、脳というのは基本的に連想で動く機械のようだが、その連想たるや、基本的に1対1しか受け付けないように見える。

脳というのは、このように巨大な外部メモリーと、パターン認識機械としては優秀だがレジスタ数のきわめて貧弱なCPUで動いているようなものだ。したがって、脳を働かせるコツは、巨大な情報をどうやって貧弱なワーキングメモリーでカバーするかという問題になってくる。

例えば、脳が数千個のワーキングメモリーを持っていてそれを同時に働かせることができたとしたら(将来はそういうロボットができるかもしれないが)、詰め将棋なんて簡単なものだろう。しかし、管理人の頭では一度にひとつの駒の効きしか認識できないので、簡単な詰め将棋を解くのにも苦労するのだ。

分かりやすく説明する方法を解説した本には、たいてい、プレゼンテーションをするときの項目数を少なくするように勧めている。どんなに優秀な頭脳を持った人も百個もの項目を一度に把握することはないためだ。

同様に、ユニックスのファイルが階層性になっているのも、暗記をするときに木構造を作るのも、意識が一度に把握できる項目数が少ないために他ならない。

数学の問題でもそうだ。基本問題は当てはめる公式のパターンがひとつしかないからすぐに解けるが、応用問題はパターンの組み合わせになっているのでパターンの組み合わせ数が飛躍的に増大し、どのパターンを当てはめてよいかが分からなくなって解けないのだ。それで、応用問題を解くときには、問題からどの公式のセットを使うと解けるだろうかと使うパターンをあらかじめ絞っておくと、たとえパターンの組み合わせでもその可能性を減らすことができるので解くことができる。

大量の用語を覚えるのと、数学の応用問題を解くのは全くちがった思考法に見えるが、その本質はどちらもどうやって情報を分割して意識の貧弱なワーキングメモリーに扱えるようにするかということなのだ。
by tnomura9 | 2007-10-09 20:06 | 考えるということ | Comments(0)
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