幸運な人は自分の幸福を気にかけない、不幸な人は感謝するような幸運を持たない。人間はあまり感謝というものをしないのかもしれない。
幸運な人のことは放っておいて、不幸な人と感謝との関係を見てみたい。こんなに不運なのに何に感謝できようかと思うかもしれない。しかし、それでも一個か二個は感謝をする種があるのではないだろうか。何にもなくても生きているということを感謝しよう。とにかく、何でもいいから感謝するのである。宗教を持っている人なら自分の神に感謝すればよいし、無宗教の人は宇宙霊でも大自然でもなんでもいい。すると、不思議なことに自分の苦悩が和らぐのだ。 不幸の苦しみは「自分は不幸だ」と思うことで倍加する。しかし、感謝をすると同時に自分を不幸だとは思えないので、ほんの少しの間であっても苦痛が軽減するのである。嘘のようだが体験済みの事実だ。理屈から言えば感謝の回数を増やすほど不幸を嘆く苦しみから解放されるはずである。 聖書に書かれている、 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。 という言葉は意外に心理学的にも正しい方法なのかもしれない。
by tnomura9
| 2005-05-19 13:15
| 幸福論
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