ゲシュタルト心理学という心理学の一学派がある。人間の認知は要素的な感覚の単なる集合ではなく、構造を持った要素の全体として認識されるという考え方だ。この全体性を持ったまとまりのある構造をドイツ語でゲシュタルト(Gestalt 形態)と呼ぶ。全く同じ図形が見方によってことなる意味にみえる多義図形で有名だ。
多義図形の「婦人と老婆」では同じ図形が若い婦人に見えたり老婆に見えたりする。しかし、婦人と老婆が同時に見えることはない。また、「ルビンの壷」では向かい合った人間の顔に見えたり、中央に壷があるように見えたりするが、やはり、人間の顔と壷が同時に見えることはない。 複雑系のことは啓蒙書程度の知識しかないのでなんともいえないが、ゲシュタルトというのは複雑系のアトラクタの概念に相当するものではないだろうか。多義図形がある意味をもつ図形に見えたときは認知システムのポテンシャルが一つの平衡点に達しているのではないだろうか。したがって、一度認知された図の意味は安定していてなかなか変更することができない。そこに意識的にほかの意味を見つけようと意図するという外部からの神経エネルギーを加えると、平衡状態が別のアトラクタに移動して突然に同じ絵が全く別の意味づけをもって認知されるのだろう。 ゲシュタルトを形作りやすい性質としてあげられる、「近接の要因」、「類同の要因」、「閉合の要因」、「よい連続の要因」の法則なども認知システムの状態のポテンシャルが低いところに落ち着きやすい様子を反映しているのではないかと思う。 本を読んでいて分かったような分からないような気分になるときは、このゲシュタルトが認識されていないからだ。また、「書いてあることの意味が分かった」と感じるのは、脳の中でゲシュタルトが形成された瞬間なのかもしれない。 気をつけなければいけないのは、一つのゲシュタルトが認識されると、他のゲシュタルトを認識することが不可能になってくると言うことだ。「分かった」と思ったことが、著者の意図とは全く異なる場合、著者の真の意図を認識するのが不可能になることがある。 「ルビンの壷」のような多義図形のゲシュタルトを切り替える訓練をするのは、柔軟な視点を持つということがどのようなものなのかを直感的に教えてくれる。 考えるということが脳の神経システムという複雑系の働きであるなら、有効な思考はどのように行われるのかといった方法論が、複雑系の振る舞いという観点から導き出される時代が来るかもしれない。しかし、今の時点でも、ゲシュタルト心理学の考え方から発見された多義図形の見え方から、現象についての解釈が安定していて容易に変更ができないこと、さらに、観点を変えることで、同じ現象について全く別の解釈もまた安定して現れる可能性があることが分かる。視点の転換が大きなブレークスルーをもたらすことがあることの理論的説明にもなる。 ゲシュタルト心理学についての概要は、子猫の遊び場というサイトの心理学のページが分かりやすい。
by tnomura9
| 2007-07-26 05:51
| 考えるということ
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