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論理は万能か

集合とは物の集まりであるという素朴集合論の定義では、ラッセルのパラドックスという矛盾が発生してしまう。したがって、公理によって集合の定義を制限することによって論理と整合性のあるものを集合と考えようというのが公理的集合論なのだろう。

この発想のもとになっているのは、論理はどのような場合にも正当性があるので、集合の定義をそれに合わせなければならないという暗黙の了解である。したがって、物の集まりが集合であるという定義は本当の集合を定義できていないという表現も生まれてくるのだろう。しかし、その場合、公理的集合論で定義される集合とはどのようなものかという疑問に答えてくれる記述が見あたらない。公理的集合論の公理に適合するものが集合だというのは答えにはなっていない。正当な集合につての直感的なイメージが作れないのだ。

状況を整理するために、一度、論理は万能だという考えを疑ってみる必要があるのではないだろうか。論理は多様なシステムの記述に効果を表すが、論理が効果を表せないシステムも実際に存在する。それはラッセルのパラドックスから明らかだ。集合も個体も等しく対象と考え、集合の定義は対象間の所属関係を表す特性関数で決定するというシステムでは、自分自身を要素として含まない集合の集合は定義できず、論理演算が行えなくなるからだ。

論理は論理演算が適用できるシステムしか記述できないと考えるべきだ。それでは、論理が適用できるシステムとはどのようなものだろうか。

束論では束の代表例として領域集合の冪集合を挙げている。冪集合は和集合、共通部分の演算について閉じており、集合の包含関係による大小関係も存在する。このようなシステムの要素には、集合演算が矛盾なく適用できる。この場合、冪集合の要素は物の集まり、すなわち、領域の要素の集まりと考えても全く矛盾はない。つまり、束は集合の定義と集合演算を矛盾なく適用できる構造を持っているのだ。

同様の事情が論理についてもいえるような気がする。論理にもそれが適用できる特定の構造があるということだ。論理は万能ではなく、論理が適用できる構造を必要としているのではないだろうか。

by tnomura9 | 2021-05-31 07:11 | 命題論理 | Comments(0)
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