講演などのノートをとるときに、手元を見ないで記録をとると疲労が少ない。
キーボードはブラインドタッチでないと、とても長時間入力できるものではないが、文字を書くときも文字を見ないで書くと疲れないのだ。視力による情報処理がどれほど脳のパワーを要求するかということなのだろう。 中学のときに体育の先生が、「眠れなくても、目をつぶっているだけで疲労がとれる」と言っていたが、疲労が激しいときは、意識的に目を閉じて脳の負担を減らすと良いのかもしれない。 いろいろな学習法が提唱され続けているが、本当に大切なのは、どう疲労しないようにするかということなのではないかと思う。もちろん、ガウスは仕事のために失明したし、自分の脳を極限までいじめることが必要な天才もいるだろうが、凡人の場合は、できるだけ疲れずに、長く続けるというのが大切なような気がする。
by tnomura9
| 2006-02-20 07:58
| 考えるということ
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