何か新しいことを学ぼうとすると、大量の文字の洪水に悩まされる。それらの中から自分に必要な情報を取り出すのは結構骨の折れる仕事だ。世に多くの勉強法の本が流布しているのも、この大量の情報の中から有意義な情報を取り出すにはどうすればいいのかという切迫感に答えてのことだろう。
しかし、本当に必要な情報は文字ではない。必要な情報は文字そのものではなく、文字によってあらわそうと試みられている文字以外の知識や情報なのだ。それらの知識を表現するのに文字は必ずしも適切ではない。実際、文字よりも、文字を使って著者が表現しようとした文字ではないイメージのようなものが本当は必要とされている。 文字情報から、文字ならざる情報を取り出すには、どうしても文字によって喚起される情報のイメージ化が必要だ。文字情報がこのようなイメージ的な知識を脳の中に生成できない限り情報の伝達は不可能だ。全ての文書の情報は一旦脳に取り込まれない限りは役に立たない。 この文字に非ざる情報は、一度文字の情報が脳の中に取り込まれて脳内でそのイメージを作られるまでは、理解されたとは言えない。ところが、脳というものは一度に大量の情報を取得するようにはできていない。また、書かれてあることを理解する速度もそんなには早くない。残念ながら大量の新しい情報を一気に処理する能力を脳は持ち合わせていない。 一方一旦脳に取り込まれた情報を利用するのは非常に高速にできる。神経の伝達速度は遅いかもしれないが、けた外れの並行処理によって、脳はそこに取り込まれた情報を効率的に取り出すことができる。 要するに、脳は全く初めての知識を理解するのは苦手だが、一度脳に取り込まれた知識を検索したり加工したりすることには長けているのだ。 このことから、初めての知識を習得する際には、その大量の文字情報の中から手掛かりとなるイメージを脳に作るということが大切になることが分かる。それは、大量の情報から限られた範囲の知識を脳に入力し、それに習熟するということで成し遂げられる。言い換えると大量の情報の中から少量の知識を選び出し、理解して、さらにそれが反射的に出てくるまで繰り返すということでその知識に慣れる必要があるということだ。 こうやって、理解のきっかけとなる少量の知識を自家薬籠中の物としておくことで、大量の文字情報に漕ぎ出すための橋頭保にすることができる。 新しい知識を学ぶときは一気に習得しようとせず、関連する小さな知識が簡単に理解できるようになるまで時間をかけて、それをアンカーにして知識を広げていくことが肝要だ。
by tnomura9
| 2018-05-03 16:02
| 考えるということ
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