LQ 公理系の推論規則に C -> A ならば C -> ∀x.A というのがあるが、なんとなく納得できなかった。C -> A がトートロジーであっても C が F であれば A は T の値も F の値もとれるので、∀x.A すなわち A はいつも T とは言えない。そこで次のように真理表を作ってみた。
C | A | ∀x.A | C -> A | C -> ∀x.A | (C -> A) -> (C -> Ax.A) T | T | F | T | F | F T | F | F | F | F | T F | T | F | T | T | T F | F | F | T | T | T この真理表は領域 D について A の真理値が T の場合も F の場合もある時のものだ。この場合当然 ∀x.A の真理値は F だ。しかし C -> A が定理だとすると、この場合 C -> A が F となることはありえないので、真理表は次のようにならないといけない。 C | A | ∀x.A | C -> A | C -> ∀x.A | (C -> A) -> (C -> ∀x.A) T | T | F | T | F | F F | T | F | T | T | T F | F | F | T | T | T しかし、この場合でも C と A が共に T の場合 (C -> A) -> (C -> ∀x.A) の真理値は F になってしまう。つまり、どう考えても (C -> A) -> (C -> ∀x.A) はトートロジーにはならないのだ。実際、対象 a について C(a) と A(a) の真理値が共に T であっても、領域 D 全体を見たとき、A(b) が F になるような対象 b があったときは ∀x.A の真理値は F である。もっとも、NQ の自然演繹では、 A ならば ∀x.A であるがこれは納得できる。A が常に T であれば当然領域 D の全ての対象 x について A の真理値は T である。したがって A が常に真なら ∀x.A の真理値は T だ。しかし、これと (C -> A) -> (C -> ∀x.A) とでは話が違う。どうしてもこのような推論をしたいのなら、C, C -> A ならば C -> ∀x.A ではないのだろうか。しかし、それであれば推論規則は NQ のように、 A ならば ∀x.A とすべきなのではないだろうか。 全称命題の真理表については以前の記事に書いたが、量化子のつく命題の真理値のパターンによって真理値を真理表上に決めることができる。ただ、その命題の真理値の現れ方にしたがって、T も F もあらわれる場合、T のみの場合、F のみの場合と3つの真理表をつくらなければならない。このように3つの真理表を作った場合でも、2つの命題の真理値がどの真理表の場合も一致すればそれらは同値ということができる。例として ∀x.A と ~∃x.~A が同値であることを次に示す。 A | ~A | ∀x.A | ~∃x.~A T | F | F | F F | T | F | F A | ~A | ∀x.A | ~∃x.~A T | F | T | T A | ~A | ∀x.A | ~∃x.~A F | T | F | F C -> A ならば C -> ∀x.A という推論規則を適用した証明では C も定理の場合は問題ないのだろうが、やっぱりなんか変。
by tnomura9
| 2017-09-18 02:03
| ラッセルのパラドックス
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