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理論と論理

ある理論が論理的かどうかを判定するにはどうすればいいかを考えてみた。素朴集合論の世界には論理は適用できないが、それはなぜなのかという疑問から発生した問だ。そこで理論と論理の関係をを次のように考えてみた。今までの記事で何度も主張してきたが、少し整理が必要だと思えたからだ。

まずは、領域 D は何らかの理論の対象 a, b, c, ... の集合であるとする。

また、対象 a, b, c, ... の属性を表す述語を A, B, C, ... で表す。

述語と対象を組み合わせると A(a) などの命題ができる。命題は真が偽のどちらかの値をとる。対象 a が述語 A を充足していれば A(a) は真で、そうでなければ A(a) は偽である。

述語 A を充足する対象の集合を述語 A の真理集合であるといい A* で表す。明らかに A* は領域 D の部分集合である。したがって、真理集合を全て集めたものは領域 D のべき集合になる。

ところで、対象 a が命題 A を充足することと、対象 a が真理集合 A* の要素であることとは同値である。したがって、述語 A は述語の真理集合 A* と同一視できる。

対象 a に対する述語 A は無数に考えることができるが、命題 A(a) の真偽について考えると、述語 A の真理集合と述語 B の真理集合が等しいとき、述語 A と述語 B は論理的には同等と考えることができる。また、この同等の関係は反射律、対称律、推移律を満たす。したがって領域 D の述語は同等関係によって類別され、論理的に個別の述語は真理集合の数すなわち D のべき集合の要素数しかない。そこで、真理集合の集合を領域 D の述語空間 P と呼ぶことにすると、命題は領域 D の対象と述語空間 P の要素の対で表すことができる。この場合、対象 a が真理集合 A* の要素であれば、対象 a と述語 A* からなる命題は真であり、対象 a が真理集合 A* の要素でなければ命題は偽である。

また、述語空間 P は集合演算の 和、積、差、補集合について閉じでいる。どの演算の値もすべて述語空間 P の要素であるからだ。したがって、領域 D についてのすべての述語の論理演算は述語空間 P の集合演算に変換できる。

このように、ある論理の領域 D についての論理的な操作はその述語空間 P の集合演算に置き換えることができる。ある理論に論理演算が適用できるかどうかは、その理論の述語すべてが述語空間 P に対応付けることができるかどうかにかかっている。

素朴集合論の世界では、その要素である集合についての述語空間を素朴集合論の世界自身のなかに見つけ出そうとしたが、どうしても素朴集合論の世界内部の集合では表せないクラスという述語が存在するため、論理的演算のできない述語が発生してしまったのだ。

追記

ここで言いたかったのは、領域 D の述語は領域 D の冪集合であるということだ。それは領域 D の要素と領域 D の部分集合との対を作れば命題の真偽を決定できることからも分かる。

素朴集合論の領域 D を「属性の定義された対象の集合」として捉えると、領域 D の全ての部分集合を領域 D の中に求めなくてはならなくなるが、それは不可能だ。なぜなら、領域 D の濃度よりその冪集合の濃度のほうが大きいからだ。ラッセルの集合のような述語は領域 D の定義に収まらない領域 D の部分集合だ。しかし、領域 D に定義された集合を含み領域 D では定義できない部分集合を含めた広義のクラスとしての領域 D の冪集合を考えると、広義のクラスでは領域 D の全ての述語に対し論理操作を行うことができる。

ラッセルのパラドックスは素朴集合論の本質的な矛盾というよりは、素朴集合の世界を「属性の定義された対象の集合」と定義することによる表現力不足がその原因だったのだ。

by tnomura9 | 2017-08-02 22:02 | ラッセルのパラドックス | Comments(0)
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