ある集合の部分集合を全て集めたものがその集合の冪集合だ。例えば A = {a, b, c} の全ての部分集合の集合 B は、B = {{}, {a}, {b}, {c}, {a, b}, {a, c}, {b, c}, {a, b, c}} である。
あたりまえのことだが、この冪集合は集合演算について閉じている。B の任意の2つの要素の和集合は A の部分集合なので和集合の演算は B について閉じている。同様のことが、共通部分や、差集合や、補集合についても言うことができる。 このように冪集合は集合の演算に親和性が高い。また、同時に冪集合の要素は論理とも整合性がある。論理とは表現を変えた集合演算であるので、集合演算について閉じている冪集合については、常に破綻なく論理を適用することができる。冪集合は集合の考え方と論理との理想的なペアを体現している。 上の例では有限集合の冪集合について考えたが、無限集合についてもその冪集合は有限集合と同じように論理演算について閉じている。 したがって、数学のある分野について、それを記述する冪集合を考えることができれば、その数学的対象は論理的に考察できることが保証される。 ところが、集合の考え方にはもう一つの特徴がある。それは、集合を一つの対象と考えて集合の集合を考えることができるということだ。残念ながら、冪集合には集合の集合は存在しない。 集合の集合を考えるためには「帰属関係の導入された対象の集まり」を考える必要がある。しかし、これは本質的にラッセルのパラドックスを抱えているので、論理とのすり合わせができない。 この「帰属関係の導入された対象の集まり」を冪集合に変換することができれば、論理と破綻なく整合性があり、かつ、集合の集合のような高階の集合も扱える集合論を構築できる。.... 筈だ。
by tnomura9
| 2017-07-05 02:32
| ラッセルのパラドックス
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