自分のすぐそばにいる人を愛するためには、相手の話をよく聞かなくてはならない。
語られる言葉が自分の気に入らないものであっても、注意深く聞く必要がある。気に入らないからといって心を閉じてしまっては相手の心を知る手立てがなくなってしまう。自分のすぐそばにいる人が自分とは異なる、かけがえのない人だと気づくまで、よく話に耳を傾ける必要がある。 しかし、もっと大事なのは、神が語る言葉を聞き取るということだ。神は人には直接には語らないから、ひとの言葉を通じて聞き取らなくてはならない。自分のすぐそばにいる人の言葉は、同時に、神からの言葉かも知れないのだ。 神は在ると思っている人には在るし、ないと思っている人にはない。しかし、神を信じている人も、自分の願いを神が聞き遂げてくれるように祈ることはあっても、神の言葉を聞こうと願う人は少ない。 ともあれ、神は愛だから、自分のすぐそばにいる人を愛さなければ、神を知ることはできない。自分のすぐそばにいる人を愛すれば愛するほど、神が自分のことをどんなに愛しているのかを実感することができる。そうして、神に愛されていることを知れば知るほど、よりよく自分のすぐそばにいる人のことを愛することができるようになる。 愛は実践しなければ理解することができない。自分のすぐそばにいる人の言葉を注意深く聞くことはその第一歩なのだ。
by tnomura9
| 2005-12-15 07:13
| キリスト教
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