ツタヤで「グランドフィナーレ」というDVDをさした考えもなく借りてきて観た。親友の年老いた作曲家と映画監督が超豪華な山間のリゾート・ホテルでの滞在を楽しむというドラマだった。素晴らしい映像美だったが、見終わったあと老いるということの底知れないさみしさだけが残った。
若いときに成功し名声を博した二人だが、すでに人生の黄昏にある。実力も気力もまだまだと自負しながらも、周囲の若者の人生を謳歌するさまに疎外感を感じざるをえない。若者はその苦しみにさえリアリティがあるが、彼らにはそれすら乏しくなっている。豪華な施設も彼らの衰えを救ってはくれない。概念的に捉えた老年には、すさまじいまでの虚無感が伴うものだと思った。 救いがたい気分でチャンネルをひねったら。高齢の森林作業員のドキュメンタリーをやっていた。木を植えてから30年後の木材を想定して地道な剪定を続けるのだそうだ。山の中の道路も100年先の伐採を考えてその人が道路の設計をしたという。電動車椅子が必要な状態だが、剪定のときは立ち上がって指揮をする。大地と繋がったこの人の命はその死後もずっと続いていくのだろうと感じさせられた。 自分で経験しないと分からないのが晩年だ。自分のはどんな晩年になるのだろう。
by tnomura9
| 2016-12-11 12:32
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