自分のすぐそばにいる人を愛するために絶対に必要なものは何だろうか。
それは時間だと管理人は思う。 知り合いのお母さんで日がな一日でも子供と碁盤で遊べる人がいた。もちろんそのお母さんも小さい子供も囲碁なんてできないから、ただ交互に白黒の石を碁盤に置いていくだけだ。子供がひとつ置いたら、つぎにお母さんが置く、それを延々と繰り返しても飽きないというのだ。その単調な時間の流れの中で、どれだけたくさんの愛情をこどもが受けたのだろうと思うとうれしくなってくる。 愛することとは、お互いの時間を分かち合うことなのだ。 少々感傷的になりすぎたので軌道修正。愛について言葉で美化すればするほど、うそ臭くなってしまうのはなぜだろう。愛というものはもともと実践だし、額に飾って鑑賞するようなものでもなく、散文的なものだ。純粋な愛とか、完璧な愛などというものはないのだ。上のお母さんの例でもほかの人が真似をしようとしたら発狂してしまうかもしれない。 ただし、愛するためには自分の時間を割いて、それもたっぷりと、与えなければならないというのは本当だ。
by tnomura9
| 2005-12-12 01:08
| 心の話
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