A -> (B -> A)

ウカシェビッチの次の公理と前件肯定 modus ponens を組み合わせるとどんなことが言えるだろうか。

P1. A -> (B -> A)

これは公理だから前件肯定の推論から A が定理であれば、

B -> A

は定理である。この時、B が定理なら、やはり前件肯定から A は定理である。そうするとこの推論は循環論法に陥ってしまい、新しい定理を見つけることはできない。したがって、公理 P1 については、これに前件肯定を適用しても新しい定理は導けないことがわかる。

それゆえ、公理 P1 については、これを条件文として前件肯定を適用するというよりは、

A -> (B -> A)

自体が定理であるということが重要な意味を持っていることがわかる。なぜなら、B にどのような命題を持ってきてもこれは定理であるからだ。A -> (B -> A) が定理であることの重要性は次のような推論でわかる。

A -> (B -> A) を公理 P2. (A -> (B -> C)) -> ((A -> B) -> (A -> C)) の前件に置き換えると、

(A -> (B -> A)) -> ((A -> B) -> (A -> A))

が定理である。この論理式の前件は定理(公理)なので後件も定理である。

(A -> B) -> (A -> A)

そこで、B を (B -> A) に置き換えると、

(A -> (B -> A)) -> (A -> A)

となり、前件は公理だから前件肯定によって、後件

A -> A

が定理であることがわかる。P1 に前件肯定を適用しても循環論法だったのが、P1 を P2 の前件に置き換えることにより新しい定理 A -> A を導き出すことができた。

また、A -> (B -> A) が公理だから、A が定理の時、

B -> A

は定理である。つまり定理が後件の場合、前件が任意の命題でもその命題は定理だ。したがって、B -> A が定理なので、

C -> (B -> A)

は定理である。こうして定理を後件にすることによって、任意の命題を前件に持ってきたものは定理なので、

D -> (C -> (B -> A))
E -> (D -> (C -> (B -> A)))
.....

と、どんどん新しい命題を導入した定理を作ることができる。しかし、このようにして作られた定理は、含意の入れ子の階層の最も深いところの後件が定理であるという共通した性質がある。

また、A -> (B -> A) からは、前件肯定によらなくても原始式の置き換えによっても定理を導くことができる。例えば、

A -> ((C -> D) -> (E -> F)) -> A)

なども定理となる。これらの定理も A と B を置き換える論理式によって、無限の組み合わせが考えられるが、含意の階層の際上層では P -> (P -> Q) というパターンを取るところは共通である。

このように、A -> (A -> B) という公理と前件肯定からは無限の定理が演繹できるが、そのパターンは、前件肯定によるものと、公理図式のプレースホルダーの任意の論理式の置き換えによるものの2つのあり方がある。

そこで興味が湧いてくるのは、A -> (B -> A) という公理と前件肯定から演繹される定理を要素とする集合はどのようなものになるかということだ。それは、次のようなものになるだろう。

まず、A -> (B -> A) は公理なので定理である。これは定理の演繹をするときの根幹になるもので、演繹されずに定理であるのは、この論理式だけである。これは、構成的集合を作るときの唯一の集合が空集合であるのと似ている。

次に、公理図式の A, B を任意の論理式で置き換えたものは定理である。公理図式の性質から、A, B に置き換える論理式には制限がないので、論理式全体の集合を L とすると、このようにして作られる公理の全体は L の直積である L x L 個存在することになる。

次に、A -> (B -> A) を唯一の公理とした時に、これに前件肯定を適用した時にどのような定理が得られるだろうか。表現を簡単にするために P = A -> (B -> A) と置くと、まず考えられるのが、

P -> (C -> P)

である。これは明らかに公理 A -> (B -> A) のプレースホルダーの置き換えで作られているから公理である。この条件文について、P は公理だから前件肯定によって

(C -> P)

も定理である。このようなやり方で次のように定理を次々に演繹していくことができる。

D -> (C -> P)
E -> (D -> (C -> P))
F -> (E -> (D -> (C -> P)))
....

ここで、プレースホルダーの置き換えで作られた公理の集合と前件肯定を用いた定理の集合に共通部分がないかどうかという興味が湧いてくる。そこで、これらの論理式の含意の入れ子構造の最上層の構造を見てみると、プレースホルダーの置き換えで作られた公理は全て P -> (Q -> P) という構造をしている。C -> P という定理は明らかにこの構造は取らない。その他の論理式もあきらかに A -> B -> C というパターンを取るものはない。このようにして作られた定理は原始式の数と同じくらい作ることができるので加算無限である。

しかしながら、D を P に置き換えた P -> (C -> P) は公理の形態をとる。したがって、P に前件肯定を適用して作られた定理のプレースホルダーの置き換えかた次第では、公理の集合との共通部分が存在することが分かる。

さらに、このようにして作られた無数の公理や定理に対してそれぞれにプレースホルダーの置き換えや、前件肯定による演繹を行ってさらに多くの定理を演繹することができる。A -> (B -> A) というたった1個の公理からは無限の定理が演繹できてしまうのだ。そうしてこのようにして演繹された定理全体の集合の性質は掴み難いものがある。この定理の集合が、全てのトートロジーを網羅しているのかそうでないのかすら判然としない。

このように公理系によって演繹される定理全体の性質を推論規則から調べるのは非常に困難だ。命題論理の完全性定理によって、これが命題計算のトートロジーと同値であることが証明されているのは非常にありがたいことなのだ。

命題論理というと、公理から2、3の定理を証明したり、トートロジーを真理表で確認したりしたら学ぶことはそれでおしまいと考えやすいが、実際には、まだまだ未踏の不可思議な世界が広がっているような気がする。その不可思議な性質の根元の一つは、プレースホルダーの原子命題を任意の論理式に置き換えていいという定理やトートロジーの驚くべき性質だろう。この性質が、論理式に幾重にも重なった含意の入れ子構造を与え、その全体像を見極めるのを難しくしている。

この記事を持って、一連の命題論理の記事の最後としたい。命題論理について考えることよりもさらに学習することの方が大切になってきたような気がするからだ。知識の森は入り口は簡単なように見えるが、入り込めば入り込むほどその奥行きがさらに広がっていくという感覚がおもしろい。この感覚に早くから気付いていれば、もっとマシな人生が遅れたのではないかと思うが、手遅れだ。

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by tnomura9 | 2016-09-27 23:42 | 考えるということ | Comments(0)
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