床屋のパラドックスへの答え

床屋のパラドックスとは村人の中に、「自分の髭を剃らない人の髭を剃る床屋」がいたら、その床屋は自分の髭を剃ることも剃らないこともできないというパラドックスだ。すなわち、床屋が自分の髭を剃れば、床屋は「自分の髭を剃る人」の髭を剃ることになり、床屋のルールに反するし、床屋が自分の髭を剃らなければ、床屋は自分の髭を剃らない人の髭を剃らなくてはならなくなる。

このジレンマはしかし、床屋が村人の外の人であれば起きない。床屋は村人ではないので、村の全ての「自分の髭を剃らない人」の髭を剃ることができる。

だから、床屋のパラドックスに対する答えは、「村人の中には、全ての自分の髭を剃らない人の髭を剃る人は存在できない。」というものだ。しかし、村人でなければそのような床屋は存在する。つまり、床屋の存在を村人の中に求めたのがパラドックスの発生原因だ。

床屋のパラドックスが問題とされるのは、村人は確かに自分の髭を剃る人と剃らない人に分かれるはずなのに、村人の中にそれを判断する床屋が居ると考えるとパラドックスになるというところだ。

同じことはラッセルのパラドックスについても言うことができる。任意の集合の集合 A について、「A の要素のうちで自分自身を要素として含まない集合の集合」は A の要素として見つけることはできない。A の外であれば、そのような集合を見つけることができる。

上の説明がわかりにくいのは集合をものの集まりとして漠然と捉えるからだ。上の集合 A の要素である集合には暗黙に二つの要素が混じっている。一つは他の集合の要素となることのできる個としての集合だ。もう一つは、その集合が指示する個の集まりとしての集合である。この二つが混同されていたために集合にはパラドックスがあるような印象を受けるのだ。

このような集合の二面性は、ソシュールの記号論の概念を借りるとはっきりと表現できる。集合を外延的に定義すると次のようになる。

a = {a1, a2, a3}

これはものの集まりを a という記号(記号表現)で表すとき、それは 記号表現 a1, a2, a3 の集まり(記号内容)を表している。つまり、集合とは集合そのものを表す記号表現 a とその記号表現が指し示す a1, a2, a3 の集まり(記号内容)から構成されているのだ。

したがって、厳密に言うと上の 集合 A の要素は、集合の記号表現の集合である。ラッセルのパラドックスでは、この記号表現の集まりの中に、それらの記号表現のうち、「自分自身を要素として含まない集合(記号表現)を集めた集まり(これは確かに存在する)を指示する記号表現は A の中には存在できないということを示しているのだ。

つまり、集合 A の要素の中に「自分自身を要素として含まない集合」という集合 A の部分集合を記号内容とする集合(記号表現)を集合 A の中には見つけることができない。しかし、A の外部にはそのような集合を表す記号(記号表現)を見つけることができる。

このように集合を集合(記号表現)とその外延(記号内容)からなっているものと捉えることで、ラッセルのパラドックスの発生原因を特定することができる。

ラッセルの集合を表す集合は、常に集合の集合の外に存在する。このため、ラッセルの集合がその集合の中に存在すると考えるとパラドックスになってしまうし、全ての集合の集合は、ラッセルの集合を中に含まないといけないので、そのような集合を矛盾なく見つけることができない。

また、集合の集合 A を考えた時、その集合の要素の数は、その冪集合の要素の数に比べて不足するので、必ず、A の部分集合のうち A の要素では表現できないものが存在することがわかる。一般に言われる集合とはこの A の要素としての記号表現であり、この記号表現を持たない A の部分集合はクラスとして集合とは区別されると考えると、素朴集合論を別に公理的に定義しなくても矛盾なく集合を扱えるのではないだろうか。

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by tnomura9 | 2016-05-13 08:16 | 考えるということ | Comments(0)
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