高校生の頃、数学が不得意で、どうしたら数学ができる頭になるのだろうと不思議に思ってからずっと、思考力をつけるためにはどうすればよいのかということに興味があったが、その答えは連想力だったような気がする。
コーネル大学方式やマインドマップなど、考えを整理するのに有効な方法は皆、連想を補助するツールだ。コーネル大学方式のノートは、左側の余白に書いた自問や、キーワードから内容を連想することができるし、マインドマップは連想の過程をそのまま記録してしまう。 物を失くしたとき失くした時の前後の状況を思い出していると、物を置いた場所を思い出したりすることがある。人間の場合、思考するというのは連想することなのではないだろうか。 ただし、連想することがそのまま密度の高い思考に結びつくわけではない。連想に志向性を持たせる何かが必要なのだ。それは、質問なのだ、質問を持つことによって連想に方向性が生まれ、問題解決へと導いていく。よい質問を思いつくのは、問題を解くことと同じくらい重要なのだ。 だから、ノートの内容についての質問が書いてないノートは価値が低い。講義を受けたあとは、何らかの自問を書き込むべきなのだ。
by tnomura9
| 2005-12-04 07:40
| 考えるということ
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