時間と空間は別のもののように見えるが、部屋のこちらの端から向こうの端へ移動するのにさえ、時間が使われる。全てのことは時間と関係なしには起こりえない。
勝ち組が自分の幸運を楽しむのにも時間が使われ、負け組みが不運を悲嘆するのにも時間は使われる。しかし、喜んだり悲しんだりしている彼らが気づかない間に、時間は着々と彼らを非存在へと運んでいるのだ。やがて彼らの手の中からは傲慢も憤懣も跡形も無く消え去ってしまう。彼らが大切にしているもののどこに確実さがあるだろう。それらは、今の今も過ぎ去ってしまうものなのに。 諸行無常という言葉は、真実だからこそ、千年の時を経ても古びないのだ。
by tnomura9
| 2005-11-22 05:16
| 心の話
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