成功した人の教訓は、自分の経験や能力からかけ離れているので参考にならない。
地獄を見た人の手記は、すごすぎて真似したくない。 普通の人の人生観は、もうひとつ突っ込みが足りないような気がする。 自分の信念だって、どこかで書かれたり話されたりしたことの寄せ集めだ。 一体全体、「為になる人生観」というような薬のようなものはあるのだろうか。 それにもかかわらず、人生観や自分史を書いた文書はあふれている。ただ生きるだけでは、物足りないのだろう。思ったり、感じたりしたことを表現したくてたまらなくなるのだろう。おそらく、それもまた、飯を食うことや、眠ることと同じように、人間の本能なのかもしれない。 しかし、人生観がどうのこうのと論じるゆとりもないほど必死に生きているときが、本当の人生なのではないか。これこそ本当に生きていることの真実だと感じていることも、言葉にしてしまうと、毒にも薬にもならない空虚な表現になってしまう。 言葉、言葉、言葉。言葉があふれるほどに真実が消え去ってしまう。
by tnomura9
| 2005-11-21 11:03
| 心の話
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