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構成的集合と排中律

構成的集合 (constructive set)とは個体のクラス(ゲーデルの構成的集合では空集合 φ )を出発点として次々に集合を作っていける集合のことである。構成的集合の全体を構成的宇宙 (constructive universe) と言う。

構成的集合におけるランク (rank) とは、ある構成的集合が個体のクラスから出発してどの段階で作られるかという段階のことだ。個体のみからなる集まりの要素(個体)はランク0の構成的集合だ。またランク0の個体全体の集合を R(0) で表す。R(0) の要素、つまり、個体 a1, a2, a3, ..., an から作ることのできる集合は {a1}, {a2}, ..., {an}, {a1, a2}, ..., {a1, a2, a3, ..., an} であるが、これらをランク1の集合という。これらは R(0) の部分集合の全てであるから、R(0) のべき集合の要素からなっている。この R(0) の要素と、ランク1の集合を合わせて R(1) で表すことにする。一般に第 α 段階で現れた集合全体の集合を R(α)で表す。したがって、集合 A のべき集合を P(A) で表すことにすると、P(R(α)) = R(α + 1) という関係がある。

ここで、任意の R(α) すなわち α 段階までに出現した構成的集合全ての集合について、それらの要素を要素とするクラス A について考えて見る。また、このクラスについては述語 P(x) による内包的定義ができて A = {x| P(x)} であるとする。そうすると、R(α) の A に属さない要素からなる集合(クラス)Ac が存在し Ac = {x| ¬P(x)} である。この A が R(α) の要素と一致していれば A は R(α) に含まれる構成的集合である。このとき、クラス Ac に一致する構成的集合を R(α) に求めることはできない。なぜなら、Ac が R(α) に含まれていると、Ac は A には含まれない(A は確定している)から、Ac は Ac に含まれなければならないが、構成的集合の作成過程では自分自身を要素として含む構成的集合は発生しないからだ。

さて、この R(α) について P(x) の振る舞いを見てみる。あきらかに、P(x) は R(α) の全ての要素について真または偽の値をとる。すなわち、R(α) の要素については P(x) は排中律を満たしている。そうして R(α) は、A = {x| P(x)} と Ac = {x| ¬P(x)} の二つのクラスに分かれる。この際 A ∈ R(α) であれば、Ac /∈ R(α) であるが、内包的定義によって集合ではなくクラスが定義されると考えると要素に制限のない内包的定義 A = {x| P(x)} ができることがわかる。

このように R(α) については述語 P(x) は排中律を満たし、制限のない内包的定義がクラスを定義することが分かったが、この関係は全ての α について成立するので、構成的集合の全体である構成的集合の宇宙 (constructive universe) についても P(x) の排中律と A = {x| P(x)} という制限のない内包的定義がクラス(集合または真のクラス)を定義することがわかる。

前回の記事では集合をもののあつまりという「もの」と考えることによって論理と集合のあいだの同値関係が失われることを述べたが、構成的集合の宇宙について考えることによって、制限のない内包的定義がクラス(構成的集合または真のクラス)を定義することがわかり、この意味で排中律と集合のあいだの同値性が保たれることがわかる。

要素 a1, a2, a3, ..., an の集まりから要素を集めて作られた集合 A と述語 P(x) による内包的定義との同値性、

a ∈ A ⇔ P(a)

は集合 A が要素 a1, a2, ..., an の中に現れないときは問題がない。このような場合は集合と論理の同値性はイメージ的にも明白だ。ところが、集合をものの集まりという「もの」と考えることによって、集合の表現力は飛躍的に増したが、反面、このような集合と論理の同値関係を保つのが難しくなった。そのため、公理的集合論では、公理によって「集合とは何であるか」ということを限定しながら論理を適用しなくてはならなくなり、素朴集合論の簡明なイメージを失ってしまった。

NBG 集合論のイメージ化を行ったからといって、必ずしも直観的になったとは言いがたいかもしれないが、少なくとも問題がどこにあるのかは感覚的に分かるのではないだろうか。

追記(真のクラスの正体)

集合にならない真のクラスというもののイメージが作りにくいが、構成的集合の補集合は全て真のクラスである。なぜなら、どのような α についても R(α) の要素である構成的集合 A の補集合(クラス)Ac は R(α) の要素として見つけることはできない。したがって、このような Ac は構成的集合の世界 L には構成的集合としては含まれない(クラスとしては存在する)。また、「全ての構成的集合の全体」は何かの構成的集合の補集合としては定義できないが、R(α) の部分クラスの中には必ず R(α) の要素の構成的集合としては含まれないものがあり(構成的集合は自分自信を要素としては含まないので R(α) は R(α) の要素としては存在できず、 R(α+1) に存在する)どんな α についても R(α) は全ての集合を含むことはないため、全ての集合の集合/クラスは真のクラスである。ただし、もし、集合が存在しないこと nil を構成的集合とみなすことができれば、全ての集合の集合は nil の補集合ということになる。また、全ての構成的集合は自分自身を要素としては含まないため、ラッセルの集合は全ての集合の集合と同じものであるから、これもまた真のクラスである。

by tnomura9 | 2015-09-20 19:55 | 考えるということ | Comments(0)
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