最近ニューロコンピュータの本を読み始めた。ニューロコンピュータとは、一口に言うと、人間のパターン認識能力をコンピュータでシミュレーションさせようという研究だ。
ニューロコンピュータでは、コンピュータのプログラミングは、アルゴリズムのプログラム言語への翻訳ではなく、パターンを学習させるという方法が取られる。 具体的には、たくさんの画像データとその解釈を機械に与えて、手書き文字のようなパターンを判別できるようにしたり、あるいは、多量のビッグデータからそのデータに内在する傾向を読み取らせたりする。このようにニューロコンピュータでは、プログラムの動作を決めるのが、プログラミングではなくて学習であることが特徴だ。 この学習によるパターン認識が、今までの手続き型のプログラミングをはるかに越えるパターン認識力をもたらしてくれることが注目されている。しかし、人間の脳は、すでにそのような高度なパターン認識を獲得する能力を有している。これを読書に活用できないだろうか。 パターン認識の観点から読書法を考えたとき、今までの文章を逐次的に追いかける普通の読書法とは全く異なってくる。 先ず、ページをパラパラと気ままに繰りながら、目についた所、興味のありそうな所をちょっとだけ読んでいく。スキミングと呼ばれる手法で、雑誌やグラビアを読むときに無意識にやっている方法だ。 パターン認識読書法では、このスキミングを行う際に内容をあまり詮索しない。チラチラと読みとった内容が自然にパターンを形づくるまで、ひたすら情報のインプットだけを続けるのだ。したがって、ページを開く順序はランダムでいいし、知らない用語が出てきても特に調べることもしなくて良い。意味の理解はパターンがひとりでに現れるまで待つことになる。 ただし、本に書かれていることの意味が自然に理解できるためには何回も本に目を通す必要がある。普通に読む場合より効率がいい訳ではない。脳の中でパターン認識の結合ができるためには、シナプス結合の効率がそれにあわせて変化する必要がある。ニューロコンピュータのアナロジーが脳でも働いているとすれば、刺激の提示に対して、シナプスの結合性の変化は徐々にしか起こらない。きちんとしたパターンが生成するためには、原則刺激の提示の十分な回数が必要だからだ。 それでは、なぜ、そのような効率の悪い読み方をするのかという話になるが、この方法は、あまり馴染みのない知識の本を読むときに便利なのだ。良く知らない分野の知識は、そもそもフレームワーク自体を持ち合わせていない。しかし、意味不明のまま、スキミングで眺めているうちに、何となくパターンが見えてくる。脳のパターン認識能力のおかげだ。 全てをパターン認識でやりとおすことはかえって効率が悪いだろう。ある時点で通常の読み方に切り替える必要がある。しかし、パターン認識で概要が掴めた後は、普通の読み方をする場合も随分楽に感じる。 脳のパターン認識の力は普段あまり意識することはない。パターン認識の作業が無意識に行われているからだ。しかし、ノイマン型のコンピュータが苦手なことをスイスイこなすスーパーコンピュータを自前で持っているのだから、意識的に活用することも考えて良いのではないだろうか。
by tnomura9
| 2015-05-12 10:05
| 考えるということ
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