本を読んでいて、はっきりとは分からないが、何となく分かるという気持ちになることがある。この何となく分かるという感じが気になってきた。
はっきりとは理解していないのだから、文章の全てにわたってわかっているわけではない。それでも著者の意図というか思考の流れをつかんだという確信のようなものがある。著者が何を考えて何をどう操作しようとしているかが分かったという感じだ。操作の具体的な方法は分からなくても、何をしようとしているかは見当がつくという状態だ。 知識の階層構造と言ってしまえば身も蓋もないが、それだけでは言い尽くせないものがある。知識の階層構造の最上層ではあるが、それを他の所に利用したりなど操作したり加工したりできる程度には知っている必要があるからだ。 テレビのリモコンのことを考えてみるとよい。テレビの内部構造については全く知らなくても電源を入れたり、チャンネルを選択したり、音量を調節したりするのに不便を感じることはない。また、リモコンにはめまいのするような数のボタンがあるが、その全てを知らなくても不便を感じることはない。 知識の階層構造がそれぞれのレベルで利用可能であるために、あまり細部に踏み込まなくても知識の活用ができるという。知識の構造の特徴が「何となく分かる」という便利な状況を作り出している。 気になったのは、この何となく分かるという感じを積極的に学習の戦略として使えるのではないかと思ったからだ。つまり、意図的に何となく分かるという状況を作り出すためにはどういうことに留意したらよいかということだ。 思いつきなので、これといったアイディアがあるわけでもない。まずは、いま読んでいる箇所が何となく分かっているかどうか自問自答することから始める必要があるだろう。何となく分かると感じていたら、それを自分の言葉で表現できるかどうか試してみる。さらに何となく分からないことはないだろうかと考える。 こういう自分との対話を繰り返すことくらいしか今のところ思いつかない。いずれにせよ、何となく分かるということに意識的になってみるのも面白いだろう。 追記 この記事の最初の原稿はスマホで書いてブログに送信した。画面の小ささのためかパソコンで読むと段落が細切れになっていたので修正したが、手書きで入力するのにあまりストレスは感じなかった。XPERIA に搭載されている手書き入力は優れものだ。これでひらがなだけでなくデジタル速記でも入力できれば完璧なような気がする。
by tnomura9
| 2014-04-25 22:23
| 考えるということ
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