学習がうまく進まない第二の原因は時間だ。
大雑把に見ても、個人に与えられた時間は100年に満たない。物心ついてから一心不乱に勉強しても、一生の間に学んだり発見したりする知識は高が知れている。自分が生きている世界のほんの一部すら理解したということにはならないだろう。 書店に数多並んでいるハウツー本で解説されている勉強法は、実際の仕事に役立つ知識を得るにはどうするかという実務的な方法論でしかない。本質的には、効率的に金を儲けるにはどうするかということだ。 しかし、それは合理的なことで、無限の知識を得るのは無理なことだし、目的を絞って達成水準をはっきりさせなければ、とうてい到達不可能だからだ。 また、たとえ目的を絞ったとしても同じ分野の競争相手と戦うには少しでも情報が多いほうが良い。だから、どうやって時間を作るかという方法論も、やはり、本屋に氾濫している。それらの方法を学ぶことは有益だし、いつ本屋にいっても探し出すのに困らないだろう。 くどくどと論証しなくても、学習の目的をはっきりさせ、学習の時間を捻出することが大切なのは考えなくても分かることだ。ところが、これが、面白くないのだ。仕事の勉強ほど退屈なものはない。実はこれが最大の問題なのではないだろうか。やらなくてはいけないことは分かっているが、やる気がもう一つおきないのだ。 他の人が見つけたことをそのあとをついて学ぶだけの勉強は考えただけでうんざりする。自分でないと出来ないことでないと、達成したという充実感を味わえないのだ。おそらく、それが、素人をフェルマーの定理のようなものに駆り立てて、一生を浪費させた原因なのだろう。 未知のものを探索したいという気持ちが、自分を学習へ動機付け、同時に、非合理的な目的への学習に駆り立てる原因にもなっているのだ。
by tnomura9
| 2005-10-10 05:30
| 考えるということ
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