優秀だと評判の先輩に質問に言ったら、「そのことなら、何と言う本の何ページの下のほうに書いてあるから読んでみて」と言われたという伝説はよく耳にする。
さすが秀才は違うと感心するが、ひょっとすると彼らは情報の内容と同時に情報のある場所を記憶しているのではないかという気がする。 管理人だって、街の何処の本屋のどの棚に『ドラゴン桜』が置いてあるか知っているし、橋を渡ったところのショットバーのドライマティーニは美味いとか、丸々ビルの3階の伽場蔵には若い子がいるとか特に記憶しようと思わなくても結構頭に入っている。 だから、管理人も情報の中身を覚えようとせず、その情報がどこにあったかを覚えるようにするといいのかもしれない。難しい本を通読するのはほとんど不可能だが、必要な情報が何処にあるのかだけなら割りに覚えやすいのではないか。それに情報なんてものは理解していなくてもあり場所を知っているだけで随分役に立つものだ。
by tnomura9
| 2005-09-29 21:00
| 考えるということ
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