前回の『記憶の絞込み検索』でキーワードをふくらませて記憶するようにしたら、簡単に想起できるようになって自分でも驚いた。
記憶法には興味があって、視覚化すると記憶しやすいのは知っていたが、何でも視覚化するというのが面倒ですぐに頭が疲れてしまうので、結局実際の記憶法には使わなかった。 記憶の絞り込み検索の過程でも、この視覚化が重要な要素となっているのはまちがいない。記憶の絞込み検索でキーワードをふくらませるときは、その過程で自然に視覚化が起きている。例えば、鉛筆とアヒルの連想をする時に、鉛筆で描いていたら、描いたアヒルが動き出したところをイメージしたら自然に視覚的なイメージを作っていることになる。 違いがあるとすれば、アヒルに鉛筆を突き刺したというふうな不自然なイメージを作るのではなく、鉛筆の働きを連想していると自然にアヒルにたどり着くようなイメージを作ることが出来るということだ。自然に発想できるものをつなげるので脳が疲労しない。 しかし、今日の記事のテーマはキーワードと視覚イメージとの関係ではない。 キーワードをふくらませる操作をしながら気がついたのは、思考法の本質が「キーワードをふくらませる」という操作と「キーワードに収斂させる」という二方向の思考の操作に集約できるのではないかということだ。キーワードを膨らませる操作は「作文」であるし、文章をキーワードに収斂させる操作は「要約」だ。 シャーロックホームズの名言を借りると 「理想的な推理家というものは、一つの事実を提示された場合、その事実からそこに至るまでの全ての出来事を隈なく推知するばかりでなく、その事実から続いて起こるべき、全ての結果をも演繹するものだ。」(シャーロックホームズ名言集)ということと、 「探偵術において最も重要なのは、数多くの事実の中から、どれが付随的な事柄でどれが重大な事柄なのかを見分ける能力です。これができないと、精力と注意力は浪費されるばかりで、集中させることができません」(シャーロックホームズの名言)ということだ。 そう考えると、効果的に思考法を鍛える方法がわかる。ひとつは作文だ。自分で思いついたアイディアでも、ネットや雑誌で見つけたキーワードでもいいが、それを元に思いついたことを文章にまとめてみる。もうひとつは要約だ、いろいろな記事を「要するにこういうことだ。」と一言でまとめてみる。 さらに、この2つは相補的だ。作文から要約が作られなくてはいけないし、要約からもとの文章が復元できる必要がある。 ふくらませて、収斂させるという操作に全ての思考法は要約することができる。 蛇足 ふくらませて、収斂させるという操作は思考法に限らずいろいろなものに当てはめることが出来る。それは、この命題が高度に抽象的だからだ。高度に抽象的な表現はどのような具体例にも当てはめることができる。よく当たる予言は高度に抽象的な表現になっている。 方法論とはこのような落とし穴を常に抱えている。 さらに、この文章自体が、「ふくらませて、収斂させる」というキーワードをふくらませた実例となっている。キーワードから推論した結果がそれを否定するような結論を導き出し、同時にそのキーワードを実証する具体例となっている。
by tnomura9
| 2012-04-05 05:49
| 考えるということ
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