流通しない通貨は通貨ではない。
ちょっと、考えればわかることだが、ここに100万円の札束があったとしても、札束そのものは食べることもできないし、自動車を動かすこともできない。貨幣が貨幣としての働きを果たすのは、それが、サービスの対価として支払われる場合だけだからだ。 誰かが食品や燃料や衣料品をサービスとして提供し、そのサービスの対価として貨幣が支払われる。ただの紙くずが自分たちの生活を支えるサービスに変化するのだ。これからもわかるように、貯蓄として動かない貨幣は何の役にも立っていない。貨幣とは、血液と同じように流通してこそその役割を果たすことができるのだ。 経済の中で、貨幣が流通しなくなるのは、人間の体に血液が流れなくなるのに喩えることができる。血液の流れなくなった生体は次第に衰弱していく。体の場合は臓器の虚血として様々な障害が発生するが、経済の場合の虚血現象は貧困だ。 貧困はもちろん働かないことによる結果としてもおきるだろう、しかし、社会のシステムが貨幣の不均等分布を必然的に発生させているのであれば、政策としてその不均等分布を是正する必要があるだろう。 貨幣の非流動化を引き起こしている原因は、マタイ伝の法則のように、「持てるものはますます持つようになり、持たないものは自分の持っているものまでも取り上げられる。」という競争原理と資本の集中によるものばかりではない。普通の生活をしている人が将来に不安があるために、自己防衛策として貯蓄をするという至極当然なことによっても、貯蓄という死に金が増えてしまう。 子供手当てや福祉の充実については、働かないものに金をばら撒くのはよくないという意見が主流のようだが、そのことが、ますます、自己防衛のための貯蓄を増やし循環する貨幣を減少させていくことになることについての危機感を訴える意見は少ない。 福祉を改善することは、こういう貨幣の不均等分布を是正するための特効薬となる可能性があるのだ。将来への不安が少し減れば、財布の紐を少し緩めて我慢していた食事や娯楽や教育のために貨幣を支払うことになるだろう。そうして、流れ始めた資金は、市場を循環して、様々なサービスを生み出し、新しい財を生み出す元になる。 管首相は石にかじりついてでも首相を辞めてはいけないだろう。少なくとも、子供手当てのシステムが軌道に乗るまでは頑張らないといけない。子供手当てを継続的に支給するという制度は、未だ嘗て行われていなかった制度であり。その効果は未知数だからだ。しかし、可能性として貨幣の非流動化に対する特効薬になる可能性がある。社会システムを変えるということの大きな特徴は、実験ができないということだ。その効果も弊害も、実は、全く未知数なのだ。どんなに識者が先を見越したような発言をしても、どうしても、やってみないとその可否はわからない。 ただ、ひとつだけいえることは、社会のシステムに行き詰まりが見られるときに、今までのシステムにしがみつくことは決して解決につながらないということだ。
by tnomura9
| 2011-02-12 21:35
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