前回の記事で紹介した『小悪魔ageha』という雑誌がどんな雑誌なのか気になったので、書店に出かけてみた。普通の書店だったのに、アンアンやキャンキャンなどと並んで平置きされていた。
女の子雑誌の前にあまりに長く初老のおじさんが立っていたら変態だと思われるので、手早く観察することにした。本来なら購入して読むべきなのだろうが、どうしてもカウンターへ持っていく勇気がなかった。 確かに、表紙がほかの雑誌とは違っている。モデルの視線の力が違うのだ。のほほんとした表情のモデルたちの中で、一際異彩を放って存在感があった。VOGUEの表紙のモデルの迫力とも違う独特の雰囲気がある。 こんな雑誌を20代の娘たちが喜んで読むのだろうかと不思議に思って、中をのぞいてみて仰天した。見開きに新聞の広告のチラシのように、小さめのモデルの写真を商品のように並べ、その周囲に化粧法のポイントが書き込んである。しかも、それがほとんど雑誌のすべてのページを埋め尽くしているのだ。目がくらくらした。お世辞にも美しいとは言えない。 しかし、美しい写真を見るために女の子たちがはたして雑誌を買うだろうかと考えたらなんとなく納得できた。彼女らは、「かわいさの」基準を知りたいだけだし、自分たちの小遣いの範囲でどれだけかわいくなれるか、その方法を知りたくて雑誌を買うのだろう。そのためには、自分の目指す化粧法がカタログ的に並べられていて、さっと目を通すことができるほうが効率がいい。美しい女性を観賞したい男性の感覚からは出てこない発想だ。 『小悪魔ageha』の編集長は自分で言うほど頭が悪いわけではない。 ここで、結論めいたことを述べるならば、「やはり、現場を熟知した人間の独創的な発想が大事なのだ」ということになるだろうが、そのような評論めいたことを言うのがむなしくなるような現実性を感じた。ブログで、言葉遊びをやっている暇があったら、もっとまじめに本業のことを考えたほうがいいのかもしれない。
by tnomura9
| 2011-02-05 07:45
| 考えるということ
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