なぜ

管理人は記憶力が弱い。しかし、そんな自分でも意味記憶は比較的よく覚えている。「名前は忘れたが、ああいうものがあって、ああいう場合に、ああいうふうに使える。」などということはあまり忘れない。

記憶力の弱い人間は、このように意味記憶を先に作って、それに個々の名前を関連付けて覚えるしかないのではないだろうか。

しかし、意味記憶はどうやったら形成できるのだろうか。それは、記憶する事柄の要素間の因果関係を徹底的に理解することだろ。

そのためには、「なぜ?」という問を徹底的に発する必要がある。Aという要素はなぜBという要素がないといけないのか、また、Aという要素があるとなぜCという結果が発生するのだろうか。などと個々の要素の因果関係について納得するまで考えることだ。

「なぜ」という問いの重要性は記憶の問題に限らない。

たとえば、雇用問題だが、雇用に対する補助金などの対策を講じる前に、「なぜ」雇用が落ち込んでいるのだるうかと考える必要があるのではないだろうか。賃金のコストが問題であれば、どうすれば国民の生活レベルを落とさずに、賃金のコストを下げることができるかを考えなければならない。

円高の状況では原材料費の購入については有利だが、人件費の負担が重くのしかかってくる。国内雇用に関連しての思い切った法人税の減税などを検討しなければ、産業の海外流出は避けることができないだろう。そうなると一段と雇用は悪化し、いまよりもっと状況が悪くなるだろう。

また、企業が流動的な労働力を望んでいるのであれば、労働力の流動性を保ったまま労働者を保護する方策を検討する必要があるだろうし、個人事業を振興する方策も考えなくてはならない。一律に雇用奨励金を支給したり、職業訓練をおこなっても、労働需要の「なぜ」を解明しない限り、有効な解決とはならないだろう。

今の時代ほど「なぜ」という問いが重要な時代はないのではないか。
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by tnomura9 | 2010-09-06 12:49 | 考えるということ | Comments(0)
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