パラドックスのトリック

「Aならば¬A ∧ ¬AならばA」は恒偽命題だ。

Aと¬Aが同時に真となるわけはないので、それは当然のことだ。なのに、パラドックスの場合はそれが起きているように見える。

例えば「わたしは嘘つきです」という文を考えてみると、この人が嘘つきなら、この発言は嘘だからこの人は嘘つきではないことになる。また、このひとが嘘つきではないなら、このひとの発言は本当だから、このひとはうそつきであることになる。結局このひとが嘘つきなのか、本当のことを言っているのかどちらとも決められないというパラドックスが発生することになる。

実は、上のパラドックスの推論にはトリックがあるのだ。

「もし、この人が嘘つきなら、そのひとの発言は嘘なので、このひとは嘘つきではない」という推論が行われているが、この形の議論では、前提と結論の間に暗黙のタイムラグを発生させてしまう。

この人が嘘つきである(と仮定する)->推論の結果->この人は嘘つきではない(という結論になる)という議論では、「この人が嘘つきである」という前提と「この人は嘘つきではない」という結論の間に、「推論」という時間経過を暗黙に認めてしまうためだ。

「このひとは嘘つきであって、かつ、嘘つきではない」という命題では、「この人が嘘つきである」という状態と、「この人が嘘つきではない」という状態が「同時に」存在するような印象をうけるので直感的に矛盾を感じる。

しかし、「もし、この人が嘘つきであれば、この人は嘘つきではないことになる」という命題になると、「この人が嘘つきである」という状態と、「この人が嘘つきではない」という状態に推論という時間差が発生するため矛盾を感じにくくなる。

また、「もし」という仮定の言葉が、「この人が嘘つきであるというのは仮にそう考えているだけで、本当に嘘つきであるかどうかは未定なのだ」という印象を強くするため、結論の「この人は嘘つきではない」という結論をなんとなく受け入れてしまう。また、「Aならば¬A」という推論が恒偽命題ではないこともこの錯覚を強める。

しかし、「この人が嘘つきである」という仮定から論理的に「この人は嘘つきではない」という結論が出たのなら、「この人が嘘つきである」ことと「この人が嘘つきではない」ことは同時に発生しているはずなのでその場合明らかに矛盾なのだ。

パラドックスの「Aならば¬A ∧ ¬AならばA」という命題はAが真という状態とAが偽という状態が「同時に」起きているばあいあきらかに恒偽命題であってそういう事態は起こりえない。しかし、前提のAであるという状態と結論の¬Aという状態の間にタイムラグがあればこれは普通に起こり得る状態なのだ。Aは最初真であったとしても次の時間には偽になるということは可能だからだ。

Aという前提から推論によって¬Aという結論が得られるのは、同時には不可能だが、推論というタイムラグがあれば、Aが¬Aに変化することは構わない。Aという状態に何らかの操作を加え、¬Aに変化することは一向に構わない。ネオンは点灯している状態と消えている状態をいとも簡単に繰り返している。

「Aならば¬A ∧ ¬AならばA」という命題は、Aと¬Aの間に「ならば」というタイムラグが発生すればとくに問題はないのだ。「Aならば¬A ∧ ¬AならばA」という命題は前提と結論の間にタイムラグがある場合真となることができる。

また、Aが真であるか偽であるはずなのに、真とも偽とも言えないというパラドックスの不思議な状態もこれで理解できる。Aは真と偽の間を繰り返しているのだ。

パラドックスはタイムラグを考えれば実現可能だということはわかるが、ラッセルのパラドックスの場合はそのような時間経過はないかと思うかもしれない。しかし、実は、ラッセルのパラドックスの中にもその議論の中に時間経過が発生している。

まず、思いつくすべての集合のうちで「自分自身を要素としていない集合」を集めてみよう、すると、「自分自身を要素としない集合」の集合を作ることができる。その時点で改めてこの集合についても考えてみる。そうすると実は、この集合自体が「自分自身を要素としない集合を集めた集合であったことが分かる。このように、「自分自身を要素としない集合を集める度に、次々に「自分自身を要素としない集合の集合」の要素が発生してしまう。それ以前の要素となる集合を集めないと新しい自分自身という集合は発生しないので、明らかに、ここにはタイムラグが発生しているのだ。

このように前提と結論の間にタイムラグを仮定すると、パラドックスの恒偽命題を恒真命題として扱うことのできる理由がわかる。

また、パラドックスの多くが自己言及文であることも理解できる。入力に何らかの処理を加えた出力を入力にフィードバックするのは現実の電子回路ではよく見かける。この場合出力が入力に瞬時に伝達されるとフィードバック回路は安定して動作することは不可能だが、実際には出力から入力へのフィードバックには時間的な遅れが発生するためそういう回路でも安定して動作することができる。

パラドックスとはよく見かけるフィードバック回路だったのだ。
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by tnomura9 | 2010-06-02 07:15 | 考えるということ | Comments(0)
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