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聖書のリアリズム

聖書の創世記の第3章でアダムがエデンの園を追放されるときに、神に語られた言葉のうち次のようなものがある。

お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。

古代のユダヤ人がこの言葉をどう理解していたのかはわからないが、文字通り読んでも重い言葉だ。

自分の一生をこのようにしかとらえられないとしたら、耐えられないだろう。

しかし、この言葉はリアリズムでもある。祖父母は苦労して働き、親を育てたが死んでしまった。親の苦労も知っているが、やはり、死んでしまった。自分も必死に働いてこの年になったが、次は自分の番だ。これをどう感じようと、紛れもない連綿と続く現実だ。人生の喜びと苦悩は、塵から生まれ塵に帰るまでの瞬く間の出来事でしかない。

しかし、この言葉は死に向かうための準備をさせてくれる気がする。人が死ぬのは避けられないことなのだ。避けられないことを悩んでも仕方がない。

ただ、ユダヤ教、キリスト教圏の人たちが、自分たちの苦労は神の言いつけを守らなかったからだと理解しているとしたら、彼らの、贖罪への関心の重要性がわかる。神に背いたための苦しい人生であれば、神の許しを得ることは苦しい人生からの解放になるはずだという考えだ。人が生まれながらに罪びとであるという原罪の考え方は、日本人には理解しがたいが、人間が必ず苦労して生きて死んでいくのを見るとあながち外れてはいないかもしれない。

とりとめのない話になってしまった。ただ、冒頭の神の言葉を呪いと受け取るとつらいが、このように語る神自身の方が切ない思いでこれを人間に告げたとすれば、人間はまだ神の愛の内にあることになる。新約聖書の放蕩息子のたとえは次のようなものだ。

「放蕩息子」のたとえ
11また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。 12弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 13何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。 14何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 15それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 16彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 17そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 18ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 19もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 20そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 21息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 22しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 23それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
25ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。 26そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 27僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』 28兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。 29しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。 30ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』 31すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。 32だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

この慈悲深い父親(神)の

お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。

という言葉が神の本心であるとしたら、救われる気持ちになる。

実際のところ神に本心は何ですかと問うこともできないし、現実にどの人も苦労の末に死んでいくのだが。それでも、キリストのたとえ話には希望を感じることができる。思いやりや憐みのある世界では、どんなに過酷であっても絶望することはないだろう。

# by tnomura9 | 2024-02-05 08:04 | 考えるということ | Comments(0)

Courtney Hadwin

天才少女シンガー その2

Courtney Hadwin(13歳の時)


現在



天才少女はすぐに大人になる。





# by tnomura9 | 2024-02-04 17:24 | ボーカロイド | Comments(0)

Angelina Jordan

Angelina Jordan


ノルウェーの天才少女シンガー



7th Heaven



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7th Heaven






# by tnomura9 | 2024-02-01 00:14 | ボーカロイド | Comments(0)

実体と機能

分かりにくい本を読むときは、書いてある内容を実体と機能に分けて考えるのがよい。

概念を目に見えるイメージができる実体とその実体が持つ目に見えない機能に分けて考えるのだ。ソシュールの記号論でいうとことの記号表現と記号内容に当たると考えると良い。また、理論の実例と言語で説明されたその詳細ともいえる。

例えば、ここに1個のリンゴがあるとする。リンゴの視覚的なイメージは簡単に作れる。このイメージが実体だ。そうして、このイメージが代表している1という概念が機能になる。リンゴのイメージは実体としてイメージできるが、そのイメージが表しているのは1という目に見えない機能である。目に見える実体とその機能は一体として人間の認識を構成している。

ベン図で表現される和集合は実体だ、それによって表現される、二つの集合の要素を集めて作られる集合という概念がその機能になる。

また、半順序集合の上界の定義について、

半順序集合 P の部分集合が M の時 x が M の任意の要素 y 以上の時すなわち、∀y x≧y のとき x は M の上界である。

という定義があるとき。上界という言葉から集合をイメージしていると上の定義は意味が分からなくなる。このとき、x の実体として集合 P の要素をイメージしていれば、部分集合 M のどの要素よりも大きい P の要素をイメージすることができる。そうなると、M の上界が複数個ある場合もイメージできるし、その上界の集合のうち最も小さいものという上限の定義も理解できる。

数学の参考書を読んでいて理解しがたいと感じるときは、このような実体のイメージがはっきりしていないことが多いので、概念の実体と機能に特に注目して理解を深めると分かるようになることが多い。

# by tnomura9 | 2024-01-28 15:44 | 考えるということ | Comments(0)

HIMARI のアンコール曲

クラシックの曲は長いので、俄かクラシックファンにはちょっと敷居が高い。その点、アンコール曲は比較的短い。しかし、HIMARIのアンコール曲は果敢に難局に挑戦している。


バッハ無伴奏バイオリンソナタ




ツィゴイネルワイゼン

アンコール曲ではないが、8歳の時の伝説の名演奏。



# by tnomura9 | 2024-01-23 22:05 | ボーカロイド | Comments(0)