長江文明

宮崎と鹿児島の南九州の古代の文化は、北九州の文化と非常に異なっている。例えば、地下式横穴墓などはほとんどが南九州でしか見られないものだ。また、花弁状竪穴住居もそうである。これほど際立った文化の違いは重要だ。

北九州の文化は、魏志倭人伝にも見られるように漢人の文化の影響を強く受けていると考えられる。しかし、宮崎や鹿児島の文化は漢人のものとは違う。どうもこれは揚子江流域で発展した長江文明の文化ではないかと思われる。

長江文明とは長江流域で起こった中国の複数の古代文明の総称である。その始まりは紀元前14000年とも言われている。稲作と漁労を主な生業としていたため稲作漁撈文化とも言われる。紀元前2500年ころの地球の気候の寒冷化とともに南下してきた黄河流域の漢人との抗争に敗れ、雲南省の苗族や、カンボジア、日本などへの民族移動が起きたと言われている。

長江文明の特徴は、母系社会であること、稲作や高度な航海技術を持っていたこと。文字を持たなかったこと。太陽と鳥を崇める宗教を持っていたこと。鏡と剣による祭祀があったこと。高度の玉の加工技術があったこと。呪術が盛んだったこと。顔に入れ墨を入れていたことなど、魏志倭人伝の邪馬台国の描写に共通するものがある。

大陸から長江文明の集団が東シナ海を渡って直接鹿児島や宮崎に渡来してきたことは大いに有り得ることだ。やっぱり邪馬台国は宮崎平野にあったのだ。


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# by tnomura9 | 2017-05-12 22:51 | 考えるということ | Comments(0)

宮崎県立西都原考古博物館

国内の考古学博物館のホームページが充実してきているようだ。情報も豊富で写真や図柄もきれいだ。宮崎県立西都原考古博物館へは実際に行ってみたが、ホームページを閲覧していたので分かりやすかった。いながらにして全国の博物館めぐりができるのはありがたい。


宮崎県西都市の西都原古墳群の中にある、県立考古博物館。西都原古墳群の説明を写真入りで見ることができる。また、宮崎県内の出土品の検索ができる。


装飾古墳データベースでは、古墳のVRデータの動画などが見られる。


福岡県糸島市の伊都国関連の出土品の展示がある。伊都国は魏志倭人伝の中でも詳述されており、中国との交流を考える上で比定されている国のうち最も重要な国。動画などがあり楽しい。



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# by tnomura9 | 2017-05-12 06:16 | 話のネタ | Comments(0)

地下式横穴墓

宮崎の西都原古墳群には前方後円墳の他に、地下式横穴墓が発掘されている。地下式横穴墓は竪穴を掘り、そこから更に横穴を掘ってその先に玄室を作り被葬者を葬る形式の墓である。この形式の墓は宮崎や鹿児島だけにしか分布しておらず、特に宮崎の西端のえびの市に集中して見られる。

この墓には鉄の大刀や鎧兜など鉄器を主とした副葬品が多量に発見される事が多い。その数と質は前方後円墳のそれを凌駕している。複雑な構造の墳墓と高度な副葬品から日本発祥のものではないのではないかと思っていたら、中国の山東省の春秋戦国時代の盧の国の墓と酷似しているらしい。盧の国は孔子が宰相を務めていた国である。


驚いたことに江戸時代に宮崎県串間市の王の墓古墳から完全な形の玉璧が出土していた。壁は古代中国で祭祀用あるいは威信財としてつかわれたものなので誰でもが所持できるものではない。この串間市出土の玉璧の由来も中国の山東省らしいのだ。

日本への文明の伝来は、朝鮮半島から北九州にもたらされたものだけではなく、大陸から鉄器を含め高度の文化を持った民族が直接南九州に渡来した可能性が見えてきた。東シナ海を渡る航海技術も持ち込まれたに違いない。

西都原古墳群には、前方後円墳型の墳墓と、地下式横穴墓が同時期に造営されているように見える。つまり、ここでは大陸からの文化と北九州の文化が共存していたことになる。そうであれば、先進的なタタラ製鉄による大刀などの鉄製の武器も平和裏に多量に作られていた可能性も出てくる。邪馬台国宮崎説もあながち夢物語とはいえなくなってくる。


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# by tnomura9 | 2017-05-11 21:49 | 話のネタ | Comments(0)

弥生ミュージアム

国営吉野ケ里歴史公園で運営されているサイトで弥生時代についてまとめてあるサイトを見つけた。


弥生時代の生活を吉野ケ里遺跡などで発掘された遺物などから解説してあるが、衣、食、住ともに想像以上に高度なものであることが分かる。

魏志倭人伝には女性の衣服が貫頭衣であると書かれており、布に穴を開けた衣装を想像していたが、実際には2枚の布を縫い合わせたものだったらしい。襟のところがVラインになっており、なかなかおしゃれな感じがする。また、透き通る絹地で袖付きの服も発見されているとのことだ。

食事についても魏志倭人伝では高坏から手掴みで食べたと書いてあるが、洗練された木製のスプーンが出土している。魏志倭人伝の視点からみると弥生人は野蛮な民族のような印象を受けるが、野蛮な民族が海を超えて半島南部を支配できただろうか。倭国からの貢物などもわざと粗末に記録されているのではないかという気がしてきた。

邪馬台国についての議論も、弥生人の文化を正当に評価した観点から考える必要があるだろう。

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# by tnomura9 | 2017-05-11 06:15 | 話のネタ | Comments(0)

百足塚古墳

宮崎県の新田原古墳群の百足塚古墳から、宮崎県では珍しい形象埴輪が出土したというので探してみたら、ぶっ飛んだ。

新富町総合交流センター「きらり」で百足塚古墳出土埴輪の展示

胸も露わな巫女がスカートをめくって裾を見せている、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を思わせるショッキングな埴輪だ。また、百足塚古墳から出土した形象埴輪が今城塚古墳のものと類似しているというので調べてみた。

今城塚古墳

継体天皇の陵墓ともいわれる大阪市高槻市の大規模な前方後円墳だ。なにより、埴輪祭祀場の大規模な埴輪の展示が圧倒的だ。古代の祭祀の様子を活写している。

今城塚古墳を見た人が、百足塚古墳を作ったのかもしれないが、巫女の埴輪一体の自由奔放さが今城塚古墳の壮大な埴輪劇に十分対抗できているように思えた。

これらの埴輪の素朴な造形にも関わらず、見ているとなぜか浮き浮きと気持ちが高まるのはなぜだろう。



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# by tnomura9 | 2017-05-09 19:11 | 話のネタ | Comments(0)

邪馬台国宮崎説の記事リスト

邪馬台国宮崎説関連の記事

宮崎市に卑弥呼の墓
たたらの話
水行10日陸行1月
銅鐸と邪馬台国
生目古墳群
花弁状住居
天孫降臨
九州王朝説
狗奴国と製鉄
川床遺跡
貝の道
褐鉄鉱
百足塚古墳

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# by tnomura9 | 2017-05-08 18:35 | 考えるということのリスト | Comments(0)

褐鉄鉱

管理人が邪馬台国宮崎説について色々ネットを彷徨うようになったのは、「邪馬台国と製鉄」というサイトの記事を見てからだ。特に弥生時代に宮崎で製鉄が行われていたという主張に興味を持った。鉄器を持っていれば地理的には辺境にあるような宮崎でも倭国連合の盟主となれるのではないだろうかと思ったからだ。

しかし、調べてみるとそう簡単ではないようだ。

火山地帯の水に鉄分の多い地域では、葦などの沼に生える植物の根についた細菌が鉄分を沈殿させて、根の周りにスズという褐鉄鉱という鉄の鉄鉱石を作る。まさに宮崎平野だ。すずについては次のサイトの記事が分かりやすかった。

スズ・褐鉄鉱・高師小僧再論

褐鉄鋼は融点が400℃位なので、土器を焼く技術があれば鉄を取り出すことができる。ただ、残念なことにこうして作られた鉄は不純物が多くもろいので、鉄鏃はつくれるが、鉄の太刀を作ることはできない。褐鉄鉱からの製鉄は次のサイトに詳しい。なんと、縄文中期から製鉄が行われていたとのことだ。

縄文中期から、信濃では製鉄が行われていた

上の記事によると、鉄鏃の製法を知っていた縄文人も、青銅器の武器を使う弥生人に敗退していったとのことなので、製鉄によって強大な軍事力を得ることができたわけではないようだ。

したがって、宮崎平野が強大な鉄の軍事力を持っていたことが証明されるためには、砂鉄から精錬するたたら製鉄の証拠が出土しなければならないのではないだろうか。

宮崎平野が邪馬台国でそこでは製鉄が行われていたという魅力的な仮説に刺激されていろいろと調べてみたが、結局はわからなかった。宮崎県に住んでいるので宮崎平野が邪馬台国だったと考えるのは心躍るが、邪馬台国論争はやはり決定的な物証がない限り解決しないのだろう。これからの考古学の成果に期待したい。

というわけで、邪馬台国宮崎説に関する記事はこれで終わりにする。話のネタには充分なるのですごく得した気分だ。

おまけ

宮崎の古墳には人や動物の形の形象埴輪は少なく、圧倒的に円筒埴輪が多い。円筒形の筒の中ほどに丸い穴が開いているもので何に使われるのかよくわからないが、これが明治初期のキューポラ(鋳物炉)にそっくりだそうだ。古墳に鋳物炉の模型をならべたのであれば鉄の国日向といえるのかもしれないが、おそらくは違う用途なのだろう。

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# by tnomura9 | 2017-05-07 18:45 | 話のネタ | Comments(0)

貝の道

北九州の弥生時代や古墳時代の遺跡の発掘で貝の腕輪が出土するらしく装飾品として珍重されていたらしいが、材料となる南海産の貝は何と沖縄で採られていたらしい。沖縄から島伝いに薩摩半島西岸に集積され、そこから九州の西岸の沖を北九州まで運ばれていたそうだ。弥生時代に1000kmもの海上の交易路を通って頻繁に船の行き来があったのだ。これを貝の道と呼ぶらしい。

九州西岸の交易路が本流だが、一部大淀川周辺の宮崎平野を中継点とし、香川県や、岡山県の瀬戸内地方に至る東の海の道も提唱されている。ただ、大隅半島を回る経路は海流の関係で航海が難しかったらしいので、西岸の貝の道に比べると流通は多くなかったようだ。むしろ薩摩半島から都城盆地を経て一旦陸路を輸送し、宮崎から瀬戸内地方へ輸送していたらしい。

大淀川周辺の宮崎平野と瀬戸内地方との交流の隆盛は、発掘される土器の種類から分かるらしい。時代が下るに連れ、発掘される土器に瀬戸内地方の土器の影響が強くなり、分布図からは瀬戸内地方から都城盆地への強い関心が推察できる。おそらくは志布志湾の貝の道の集積地を目指していたのではないかということだ。

弥生時代から宮崎平野と瀬戸内地方や沖縄との交易があり、その中心となったのが装飾品用の南海産の貝であったというのが面白い。宮崎平野を交易の中継地点としても見ることができる。

宮崎平野は姶良カルデラの大爆発による火山灰が蓄積したローム層が地下にあり、必ずしも稲作に適していたわけではないようだ。また、文明の中心である北九州にも遠く政治的にも軍事的にもそう影響力を発揮できるような地政学的な利点はない。畿内の政治勢力を征服するような力があるとも思えない。大和朝廷の時代に政治的、軍事的に活躍したという記録もない。

それにもかかわらず、日向から神武東征が行われてそれが成功したのは事実のような気がする。また、もし、邪馬台国が宮崎平野にあり邪馬台国連合の盟主でありえたことが本当だとして、多数の巨大な古墳を造営できるような富を擁する国力の秘密は一体どこにあったのだろうか。

また、大和朝廷は数多くの天皇の后を遠く離れた日向の地から迎えており、大和朝廷における日向の重要性は疑いないだろう。しかし、その理由が分からない。

宮崎平野が邪馬台国であったかどうかも含め、宮崎の数多の古墳群の謎は未だ解けておらず興味が尽きない。

本題とは別だが、在野の研究者たちの大胆な構想と比較して、考古学者たちがどのような仕事をしているかと言うのが興味があるが、次のブログの一連の記事では考古学者の視点からの考え方がわかり面白い。



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# by tnomura9 | 2017-05-07 14:03 | 話のネタ | Comments(0)

川床遺跡

邪馬台国宮崎説の弱点は遺跡からの鉄器の出土が少ないことだ。大型の古墳はたくさんあるのに、なぜか鉄器の出土は非常に少ない。

少ない中でも1986年に発掘された新富町の川床遺跡からは、円形、方形周溝墓44基、土壙墓149基で構成される集団墓で、鉄刀、鉄鏃などの鉄製品が91点副葬されていた。弥生時代後期の遺跡らしい。個々の墓の副葬品は少なく各墓で1,2個、殆どの土壙墓では鉄鏃1個が副葬されていた。また、周溝墓では鉄刀などが副葬されているが、宗教的な豪華な副葬品はない。その様式は北九州のものらしい。

発掘のレポートを読んでみたが、延々と土壙墓の計測データが書き並べられていた。素人的に言えば副葬品が鏃1個の代わり映えしない墓を延々と発掘するのは地味な仕事だなと思った。

弥生時代前期の宮崎の墳墓の発掘は少なく、発掘されたものは優れて北部九州、東九州の系統の文化らしい。

土壙墓の被葬者は兵卒なのだろうが、その墓にも鉄の鏃を副葬するほど鉄製品は行き渡っていたのかもしれない。弥生時代末期でも北部九州から遠くはなれた宮崎にも鉄器が浸透していたことを示している。

実際の考古学的な発掘調査はほんとうに地味な作業だ。その成果と邪馬台国が直接的に結びつくことはないだろう。文献から色々と思い巡らすのは楽しいが、地道な発掘調査の集積がなければただの架空の物語になってしまう。邪馬台国をめぐる論争は当分終わることはないだろう。



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# by tnomura9 | 2017-05-06 23:39 | 話のネタ | Comments(0)

狗奴国と製鉄

菊池秀夫著『邪馬台国と狗奴国と製鉄』という本では弥生時代や、古墳時代に出土した鉄器の分布を調べてある。それによると圧倒的多数が北九州、熊本、大分に集中していた。製鉄を含め鉄の使用は北部九州に集中していたようだ。

このことと、疑似倭人伝の

「女王国の以北は、其の戸数・道里を略載することが可能だが、其の他の傍国は遠く絶(へだ)たっていて、詳(つまびらか)に得ることができない。斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国。此れが女王の境界が尽きる所である。

其の南には狗奴国がある。男子を王と為し、其の官に狗古智卑狗(くこちひく)が有る。女王に属せず。」

という記事から狗奴国の狗古智卑狗を熊本県の菊池市辺りであるとしている。阿蘇や熊本県北部に鉄器や製鉄の遺跡が多くみられるため、邪馬台国の強力なライバルであった狗奴国はこのあたりであったろうと推論してある。ただ、狗奴国を邪馬台国の南に位置付けてあるが、上の魏志倭人伝の記事は、列挙してある国名は全て邪馬台国の北部にあり、奴国がその北端で、その南に狗奴国があると読むこともできる。そうであれば邪馬台国が宮崎でも問題ない。

歴史的には奴国がそれらの国の宗主国であると考えたほうが自然だが、邪馬台国は連合国なのでそれを束ねる象徴としての卑弥呼が宮崎平野に居住していた可能性は否定できない。(ちょっと強引かもしれない。)

いずれにせよ、邪馬台国九州説の方が畿内説より自然に魏志倭人伝やその他の事情を説明できるような気がする。


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# by tnomura9 | 2017-05-06 13:25 | Comments(0)