HTMLとCSSの再学習のために16年ぶりにウェブのページを書いた。CSSがなんだか面倒くさそうだったのでHTML文書の作成自体を敬遠していたのだが、コンテンツとレイアウトの分離の威力に驚いた。サンプルページはここだ。ちなみにプロトタイプのコードは次のようになる。機能だけしかないむき出しのページだが、ちょっと満足。
ファイル名:default.html <!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.0 Transitional//EN" "http://www.w3.org/TR/xhtml1/DTD/xhtml1-transitional.dtd"> <html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml"> <head> <meta content="text/html; charset=utf-8" http-equiv="Content-Type" /> <link rel="stylesheet" type="text/css" href="framework.css" /> </head> <body> <div id="container"> <div id="tab_bar"> <div class="menutab on"><a href="http://www.mnet.ne.jp/~tnomura/renewal/">ホーム</a></div> <div class="menutab off">タブ1</div> <div class="menutab off">タブ2</div> </div> <div class="line"></div> <div id="content"> </div> <div id="menu"> <div class="sidetab">工事中</div> <div class="sidetab">工事中</div> <div class="sidetab">工事中</div> <div class="sidetab">工事中</div> <p></p> <div>外部リンク</div> <p></p> <div><a href="http://tnomura9.exblog.jp">tnomuraのブログ</a></div> <div><a href="http://www.mnet.ne.jp/~tnomura/">昔のページ</a></div> </div> <div id="footer">http://www.mnet.ne.jp/~tnomura/renewal/</div> </div> </body> </html> ファイル名: framework.css html { background-color: lightgray; height: 100%; margin: 0px; padding: 0px; } body { background-color: orange; width: 750px; margin: auto; padding: 0px; } #container { width: 750px; height: 100%; margin: auto; margin-top: 10px; } #header { width: 730px; /*background-image: url('img/header.gif');*/ padding: 10px; background-color: white; } #tab_bar { width: 750px; height: 32px; margin: 0px; padding: 0px; background-color: lightgray; } #content { float: left; width: 578px; padding: 10px; background-color: white; border: 2px orange solid; } #menu { float: right; width: 144px; height: 100%; margin-left: 0px; } #footer { clear: both; width: 602px; background-color: orange; } .line { clear: both; margin: 0px; padding: 0px; border-top: 2px orange solid; } .menutab { float:left; width: 60px; margin: 0px; margin-right: 2px; padding: 5px; background-color: white; display:block; margin-top: 3px; } .sidetab { width: 130px; margin: 0px; padding: 5px; background-color: Khaki; display:block; margin-top: 5px; } .on { background-color: orange; border-bottom: 1px orange solid; } .off { background-color: white; border-left: 1px black solid; border-top: 1px black solid; border-right: 1px black solid; } .side_on { background-color: yellow; } #
by tnomura9
| 2015-12-02 22:56
| 考えるということ
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Microsoft の surface pro 4 を衝動買いした。しかし、買ったものの何に使うのか正直困惑した。ベッドに横になってネットサーフィン(死語)しようと思っても少しでも画面に手が触れると他の機能が起動してブラウザが見えなくなってしまう。キーボードカバーはカバーなので膝の上に置いてタイプするのが難しい。
ところが、いろいろといじっているうちに、ペンの頭のボタンを押すと、いきなり OneNoteというアプリケーションが起動した。説明書もないし何に使うのかもよく分からない。ところが、ネットの記事や設定メニューのヘルプをしらベていたらこれが優れものだった。
一言で言うと、ペイントソフトのシートを何枚も束ねたノートブックのようなものだ。画面のどの位置にも活字を入力できるし、その上からペンで図を描くこともできる。活字の入力はsurface pro の手書き入力の効率がいいので、キーボードを外してしまってペン1本で入力してもストレスは感じない。まるで紙と鉛筆でアイディアを整理しているような感覚だ。
アイディアをまとめるのにワープロの文字情報だけでは不便なので紙に書いていたが、散逸しやすいので、後でワープロに打ち直していた。しかし、これならパソコンの中でずっと保存しておくことができる。写真やネットの情報も取り込めるようなので、使い慣れたら手放なせなくなるかも知れない。贅沢だが、0neNote を使うためだけに surface pro 4 を買うという選択枝もあるかもしれないと思った。 OnNote で作った図 #
by tnomura9
| 2015-11-26 13:35
| 考えるということ
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今から書くことは私見なので間違っているかもしれない。しかし、対角線論法の本質に関連しているように思ったので書いてみる。 _ 1 2 3 1 0 0 0 2 0 1 0 3 1 1 0 ここで、A のべき集合を [0 0 1] のように表すことにすると、この時演算表の各行の数列は A のべき集合の要素を表す。例えば2行目の [0 1 0] は {2} を表している。従って、a が A の要素のとき、g(x) = ψ(a,x) という関数は A = {1, 2, 3} の各要素が a に対応する A の部分集合の要素であるか否かを表すことができる。すなわち g(x) は a に対応する A の部分集合と同一視できる。 この表について、対角線論法では ψ(x,y) から対角関数を作る。すなわち、Δ(x) = ψ(x,x) である。このとき、g(x) = ¬ Δ(x) = ¬ ψ(x,x) で表される関数は、A の要素 x に対応する A の部分集合が x を含まないことを示している。そこで g(x) に対応する a0 があると仮定すると g(a0) = ¬ ψ(a0,a0) = ψ(a0,a0) となり矛盾が生じる。従って ψ(x, y) には g(x) に対応する A の要素 a0 は存在しない。これはどのような自然数 n についても成立するので、結局自然数の集合とそのべき集合との全単射は存在しないという結論が得られる。 実際、上の演算表から g(x) を作ると g(x) = [1 0 1] となりこの演算表には現れない。3ビットの配列は、次のような8個の可能性があるが、どの3つを選んで演算票を作っても、それから作られる g(x) に対応する A の要素はない。 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 1 1 1 0 0 1 0 1 1 1 0 1 1 1 これは、当然といえば当然で、8個ある A の部分集合のうち 3 個しか演算表には使えないのだから演算表に表すことができない A の部分集合は必ず存在する。しかし、次のような演算表を考えてみたらどうだろうか。 _ 1 2 3 1 0 0 0 2 0 0 1 3 0 1 0 4 0 1 1 5 1 0 0 6 1 0 1 7 1 1 0 8 1 1 1 この演算表から ψ(x,y) : {1,2,3,4,5,6,7,8} × {1,2,3} -> {0,1} を考えると任意の {1,2,3} の部分集合に対応する a ∈ {1,2,3,4,5,6,7,8} を見つけることができる。これは n がどのように大きくても {1,2, ... ,n} の部分集合に対応する自然数を {1,2, ... , 2^n} の自然数の中に見つけることができるから、結局のところ自然数の部分集合全てに対し、それに対応する自然数を見つけることができるという対角線論法とは真逆の結論が得られる。 なぜこのようなことができるかというと、上の演算表は正方形ではないため、行の全ての数に対する対角関数を作れないからだ。対角線論法では対角関数が存在することから結論を導くが、上の長方形の演算表では対角関数は存在しない。 カントールの対角線論法では 0.100101100 ... という無限小数の一点が存在するという実無限の立場を取っているが、小数点下の数が無限に続く小数の一点をどうしてとらえるのだろうか。対角線論法で次々と対角線上の ψ(x,x) の値を調べていっても調べることができるのは常に有限な確定した値で、無限大の桁の値を得ることはできないのである。対角線論法で得られる演算表に属さない自然数の部分集合は、対角線論法のどの時点でも有限集合でしかない。結局のところ自然数を使って実数を無限に切り取っていってもその操作をやり終えることはできない。実無限は便利な概念ではあるが、それを自然数の拡張である無限小数で完全にとらえることはできないのだ。 このように考えると長方形の演算表の議論では、自然数と対応するのは全て有限集合であるが、対角線論法の正方形の演算表を使った議論でも議論で作られる演算表に含まれない集合は全ての段階で有限集合であることがわかる。長方形の演算表を使って議論しても、正方形の演算表を使って議論しても扱われているのは常に有限集合であると考えてよい。また、どちらも集合の要素の個数をどこまでも増やしていくことができるので、実質上の無限集合を扱っていると考えることができる。 したがって、対角線論法では正方形の演算表を仮定したため、どのような自然数についても演算表に載らない部分集合があるし、長方形の演算表を仮定するとどのような自然数の集合についてもその部分集合に対応する自然数を見つけることができる。矛盾しているようだが、無限の性質をどれだけでも大きい自然数を見つけてくることができることと定義すると、演算表の作り方で全く異なった結論を許容することができるのだ。無限に広がる2次元の平面の中には無限に大きい正方形も、無限に大きい長方形も同じように収めることができるからだ。このあたりの様子はユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の関係に似ている。実際、コーエンの定理では、一般連続体仮説はZFC集合論からは独立しているらしい。 実無限は非常に便利な考え方だが、実無限と可能無限の間の関係性があいまいな気がする。無限については、ゼノンの一連のパラドックスに答えることができるようにならなければ、その本質を理解したことにはならないのではないだろうか。
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by tnomura9
| 2015-11-19 01:53
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ラッセルの集合が集合として存在できない理由は、不動点定理で説明できる。 ここで、集合の集合について ψ(x,y) は集合間の所属関係を表すとする。すなわち、ψ(a, b) = 1 の時は a ∈ b である。この時 ψ(x,x) は自分自身を要素として含むという述語である。ψ(a, a) = 1 なら a は自分自身を要素として含み、0 なら自分自身を要素としては含まない。そこで、g(x) = ¬ ψ(x,x) : A -> {0, 1} という関数を考える。この関数は x が自分自身を要素として含まない時は 1 となり、そうでない時は 0 となる。従ってこの g(x) に対応するインデックスを a0 とすると g(a0) = ¬ ψ(a0, a0) = ψ(a0, a0) となり矛盾する。従って、任意の g(x) : A -> {0, 1} が g(x) = ψ(a0, x) で表せるという仮定は否定される。すなわち自分自身を要素として含まない集合の集合を表すインデックスは存在しない。 数学の証明としてはこれでいいのかもしれないが、天から降ってきたように対角関数 ψ(x,x) が出現するのが気に入らない。もっと全体的な見通しのできる見方はできないものだろうか。 そこで、自然数の集合 A = {1, 2, 3} について ψ(x,y) : A × A -> {0, 1} を考えてみた。ψ(x,y) の作り方は簡単だ。任意の (x,y) について 0 か 1 を割り振ってやればいいだけだ。この関数は次のように演算表の形式で表現するのが一番わかりやすい。 _ 1 2 3 1 0 0 0 2 0 1 0 3 1 1 0 そこで、この演算表を眺めてみると、行の数値が a の時、その行の数列は関数 ψ(a, x) と対応していることがわかる。例えば、行 2 の場合は、ψ(2,1) = 0, ψ(2,2) = 1, ψ(2,3) = 0 である。また、この行の数列の取り方は他の行とは独立なので、どのような ψ(x, y) も作ることができることがわかる。 ここで、この演算表を元に g(x) = ¬ ψ(x,y) を作ってみる。演算表から対角関数 Δ(x) = ψ(x,x) は演算表の対角部分の値をとることがわかる。わかりやすいように関数の出力をリスト表示すると Δ(x) = [ 0, 1, 0 ] である。従って g(x) = [1, 0, 1] となるがこのリストと一致する行は演算表にはない。すなわち、g(x) はインデックスを持たないことがわかる。 これは当たり前といえば当たり前で、3ビットの数列は次のように8種類あるので、演算表の3行はそのほんの一部を表現しているにすぎない。 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 1 1 1 0 0 1 0 1 1 1 0 1 1 1 ラッセルのパラドックスはそれらの 8 種類を全て ψ(x,y) で表現できると仮定したために発生したのだ。実際にはこれらの数列のわずか 3 種類しか ψ(x,y) で表現できない。自分自身を要素としない集合の集合は、演算表の外にしか取れないのだ。 しかし、それにもかかわらず演算表の内部には自分自身を要素とする集合と要素としない集合の集まりは存在する。つまり、対角線部分の値をみると {1, 3} は自分自身を要素として含まない集合の集まりであり、{2} は自分自身を要素として含む集合の集まりだ。しかし、その集合を表す関数 g(x) = [1, 0, 1] を表すインデックスがないのだ。クラスがものの集まりであるのに、集合と考えると矛盾するのはそのためだ。 そう考えると、上のψ(x,y) の演算表にない行の数列(関数)は全てインデックスを持っていないのでクラスになることがわかる。例えば、「2 を含まない集合」のリストは [ 1, 0, 1 ] だが、この数列は演算表にはないので「2を含まない集合」は集合ではなくクラスである。 このように演算表にインデックスを持つもののみが集合で、それ以外はクラスであると考えるとスッキリするが、それでは演算表の中で集合の積や和などの演算は閉じているのか。演算表にインデックスを持つもののみを集合と考えると素朴集合論から矛盾を取り除けるのかなどといろいろな疑問が湧いてくるし、また、何が集合であるかという疑問も再び湧いてくる。もう少し、集合関係では遊べそうだ。
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by tnomura9
| 2015-11-15 08:30
| 考えるということ
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0以上1未満の実数を2進数表記にすると、0.1001011... のように小数点下に0と1が適当に並んでいるのがわかる。そこでこれを適当に並べて次のような表にしてみる。
1: 0.1001011... 2: 0.0101000... 3: 0.0001010... ... そうすると上の表の行の数を x 小数点下の桁数を y とすると、この表は ψ(x,y) : N × N -> {0, 1} という関数で表すことができる。つまり自然数 n に対応する実数の小数点下 m 桁の数は ψ(n, m) で表せる。 ここで、gn(x) = ψ(n, x) という関数を考えてみる。これは n 行の実数について小数点下 x が 0 であるか 1 であるかを示す gn(x) : N -> {0, 1} 型の関数である。 ここで任意の h(x) : N -> {0, 1} 型の関数がこの表の n 行目の関数として表現出来ると仮定する。そこで、gf(x) = f (ψ(x,x)) という関数を考えてみる。これは f が f : {0, 1} -> {0, 1} 型の関数であるとき、gf(x) は gf(x) : N -> {0, 1} 型の関数である。従って、仮定から gf(x) に対応する行 n が存在し gf(x) = ψ(n, x) = f (ψ(x,x)) が存在する。このとき gf(n) = ψ(n, n) = f (ψ(n,n)) となるので、関数 f : {0, 1} -> {0,1} について f (ψ(n,n)) = ψ(n,n) であるので、ψ(n,n) は関数 f の不動点となる。 そこで、関数 f として否定演算子 ¬ : {0, 1} -> {0, 1} を考える。すなわち ¬ (0) = 1, ¬ (1) = 0 である。このとき d(x) = ¬ (ψ(x,x)) に対応する行の数を n とすると、不動点定理から ¬ (ψ(n,n)) = ψ(n, n) となり矛盾する。これは任意の h(x) : N -> {0,1} 型の関数が上の表で表現できるという仮定が誤っていたことを示している。すなわち、d(x) = ¬ (ψ(x,x)) で定義される関数を上の表で定義することはできない。つまり、自然数と0以上1未満の実数を全単射で対応づけることはできない。 上の表の行の 0 と1 の数列は、対応する列の数が 1 の時は自然数の集合の部分集合にその列の数が含まれ、0 の時は含まれないということを表していると考えると、これは自然数とそのべき集合の関係を表していると見ることもできる。従って上の自然数と実数についての証明はそのまま自然数と自然数のべき集合との関係の証明となっている。 また、すべての集合の集合については、その要素である集合はその外延としてすべての集合の集合の部分集合と対応づけられるはずだから、すべての集合の集合の要素についての上のような ψ(x, y) が定義できるはずである。従って上の証明と同じ証明でラッセルのパラドックス ¬ (ψ(n,n)) = ψ(n,n) が発生する。 この証明の中心となっているのが ψ(x,x) という対角関数である。なぜこの関数を導入すると矛盾が起きてしまうのかを考えてみる。gn(x) : N -> {0, 1} 型の関数を gn(x) = ψ(n, x) で定義すると、これは gn(x) を n と同一視すれば n(x) = ψ(n, x) と表現できる。すると n(x) = ψ(n(x), x) となるので、x = n の時 n(n) = ψ(n(n), n) という自己言及の命題が発生してしまう。つまり、すべての f(x) : N -> {0, 1} 型の関数を ψ(x, y) で表現できると仮定すると、対角関数 ψ(x,x) の導入によって不動点が発生してしまうことを示している。つまり、素朴集合論のように関数 n(x) を n と同一視するような高階関数を含む体系は、自己言及関数 ψ(x,x) によって不動点が発生し、不動点の扱い方次第で矛盾が発生してしまう。 ところで、有限集合では上のような表で 0, 1 による配列の可能性を網羅することは不可能であることはすぐに分かる。例えば {1, 2, 3} については _ 1 2 3 1 0 1 0 2 1 0 0 3 0 1 1 という 3 × 3 の表で3ビットの配列をすべて尽くすことができないことはすぐに分かる。3ビットの2進数は次のように 2^3 = 8 個あるので 3 × 3 の表には収まらないのは当然だ。 000 001 010 011 100 101 110 111 n ビットの数を n × n 行の表に収めることはできないので、同じような外型が対称的な表を作成する限り n が無限に大きくなっても n ビットの変化の可能性を収めることはできない。カントールの定理の結論が導き出されたのは、このような表を作るやり方ですべての可能性を表現しようとしたためだ。ただし、有限の集合ではこれは明らかだが、無限集合についても証明するためには対角関数 ψ(x,x) が必要だった。この関数は ψ(x,y) が外型が対称的な表であることを示している。 ただし、対照表が n × n でなければ、すべての有限集合のべき集合は自然数と対応づけることができる。{1,2,3} のべき集合は {1, 2, ... , 8} の自然数と対応づけることができるからだ。実数の場合も小数点下 n 桁で打ち切ったものは自然数と対応づけることができる。n がどのようになってもそれは可能である。しかし n が無限大の時はできない。無限大は数ではないからだ。 自然数と偶数が全単射で対応づけることができると言っても、それはあくまでも有限の数と有限の数との対応であって、有限の数と無限の数との対応関係は現れない。 n と 2n との対応は n がどんなに大きくても有限の数と有限の数の対応だ。自然数と実数の対応関係はそうではなく、有限の数と無限との対応関係を問うために対応関係を作ることができないのだ。 自然数と実数との対応関係を作ることは不可能だが、それは無限を含む実数を一つの点で表すことができると考えるためだ。無限小数は一点で表すことはできず常に確率的な揺らぎを持っていると考えるべきなのだ。 従って、自然数の無限と実数の無限の間に濃度の差があると単純に喜んでいてよいものか納得できないものがある。
参考サイト ラッセルのパラドックス傾向と対策(あいまいな本日の私) A Universal Approach to Self-Referential Paradoxes, Incompleteness and Fixed Points. Noson S. Yanofsky Diagonal Arguments and Cartesian Closed Categories. F. William Lawvere #
by tnomura9
| 2015-11-12 06:17
| 考えるということ
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