対比させない

Tリンパ球のヘルパー細胞には Th1 と Th2 の2種類があり、それぞれが分化するためのサイトカインや、分化した後のTh1 細胞や Th2 細胞が分泌するサイトカインの種類が異なる。そこでその違いが分かりやすいように表にしたものなどがあるが、これが記憶しずらい。分化するサイトカインや分泌するサイトカイン、などの概念が共通しているために干渉を起こしてどっちがどっちだったか混同してしまうからだ。

こういう時はTh1とTh2の対比をせずに Th1 に関する記憶が定着するまで意識的に Th2 の情報はインプットしないようにするといい。Th1 についてだけ徹底的に検索したり文書を読んだりして知識を得るのだ。Th1 の知識が確定していれば Th2 の知識は Th1 のアナロジーとして逆に理解しやすくなるだろう。

記憶をするときは印象をはっきりさせるために、類似の観念からの干渉を避けるべきだ。



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# by tnomura9 | 2017-03-11 09:33 | 考えるということ | Comments(0)

疑問を維持する

記憶は本質的に忘却するものなので繰り返し記憶することが大切だ。しかし、何を繰り返し見返すのかというと本を読んで自分が感じた疑問点を繰り返すのが一番効果的だ。

本をざっと眺めながら思いついた疑問点をメモ帳に記録していく。そうしてそのメモ帳を何度も見返すのだ。見返すときにその問いに答えることできるのか検討する。また、その問いから新しい疑問点が出てくればそれをまた書き留める。そうするうちに段々とどうしても知りたいと思う疑問が固まってくるので、それから初めて本文をしっかり読むようにする。疑問が沸かないうちは、参考書はパラパラと雑誌をめくるときの要領で眺めるだけにしておく。

疑問がはっきりしているときは、読解力もついているものだ。繰り返しは、本の内容ではなく自分の疑問について行うべきだ。


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# by tnomura9 | 2017-03-10 10:48 | 考えるということ | Comments(0)

ザッピング

ザッピングとはテレビを視聴するときにリモコンで頻繁にチャンネルを切り替える行動をいう。語源はリュックサック(zap)を背負って野山を気ままに散策することらしいが、一緒にテレビを見ている人には迷惑な話で、奥さんから我慢できないと避難されたり、心理学者からはストレスが溜まっているからだと断定されたりしている。しかし、これは動物行動学で言う探索行動の一種なのではないだろうか。

探索行動とは動物や幼児が周囲の状況を探索する行動のことである。実験室のネズミなどの場合も、迷路学習用の迷路に報酬をおかないで放しても、あちこちと移動して迷路の探索をする。また、このような探索行動を先に行ったネズミは迷路の先に報酬をおいた場合も学習の速度が速い。おそらく、探索行動によって脳の中に空間地図を作成しているのではないかと思われる。

探索行動の特徴は、行動にこれといった目的がないということだ。気ままに周囲を歩き回って、その状況を探索する。目的のない行動の特徴は、心理的なエネルギーが低く疲れをあまり感じないところだ。先程のザッピングにしても、パソコンやスマホによるウェブの散策にしても飽きずに長時間続けることができる。探索行動は思考活動と言うよりはもっと本能的なものだからかもしれない。

この疲れにくいというザッピングの特徴は参考書を読むときに利用できるだろう。要するに、特に読むという意識もなく本のページをあちこちと捲ってみるのだ。興味が湧けば読めばいいし、そうでなければさっと通り過ぎる。何かを学ぶという目的意識はおいておいて、とりあえず気ままに散策するのだ。そうしているうちにその本の空間的な情報が自然に頭の中に入ってくる。これは、あとで本格的にその本を読解するときに随分と助けになる。意識して読むわけではないので1回のザッピングで頭に残るものは少ないだろう。したがって、暇があれば何回も繰り返すことになる。

ザッピングは探索行動という本能的な行動であるので、精神エネルギーをあまり消費せず情報の探索ができる有効な方法のような気がする。

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# by tnomura9 | 2017-03-07 05:36 | 考えるということ | Comments(0)

Haskell やってない

このところ Haskell を全くやっていなかったので、覚えているかどうか ghci で試してみた。

Haskell で嬉しかったのは何と言っても高階関数だったので、

Prelude> map (*2) [1..10]
[2,4,6,8,10,12,14,16,18,20]

関数の合成はパイプライン感覚でできる。

Prelude> sum $ map (*2) [1..10]
110
Prelude> (\x -> x `div` 5) $ sum $ map (*2) [1..10]
22

ghci で複数行の入力をする時の定番。let 関数は IO モナドの let なので注意が必要。

Prelude> :{
Prelude| let
Prelude| fact 0 = 1
Prelude| fact n = n * fact (n-1)
Prelude| :}
Prelude> fact 5
120

標準関数の中でも分かりにくいのが foldr と foldl なので可視化してみた。

Prelude> foldr (\x y -> "(" ++ show x ++ "*" ++ y ++ ")") "0" [1..10]
"(1*(2*(3*(4*(5*(6*(7*(8*(9*(10*0))))))))))"

Prelude> foldl (\x y -> "(" ++ x ++ "*" ++ show y ++ ")") "0" [1..10]
"((((((((((0*1)*2)*3)*4)*5)*6)*7)*8)*9)*10)"

if .. then .. else 制御文

Prelude> let fact n = if n == 0 then 1 else n * fact(n-1)
Prelude> fact 5
120

ガード

Prelude> let fact n |n == 0 = 1| otherwise = n * fact (n-1)
Prelude> fact 5
120

case 式

Prelude> let fact n = case n of {0 -> 1; _ -> n * fact (n-1)}
Prelude> fact 5
120

結構色々覚えていたので安心した。結局のところ Haskell の使い方より、Haskell を何に使うかを思いつかないのが問題のようだ。

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# by tnomura9 | 2017-03-05 21:26 | Haskell | Comments(0)

スキミングとスキャニング

スキミングとスキャニングは英文の速読法の用語だが、日本語の文章でもすぐにでも活用できる速読法だ。視野の拡張などという摩訶不思議な技術がいらず、普通の読書スキルの人でもすぐに使えるという意味でも秀逸な方法だ。

スキミングは文書の全文を読むのではなく、段落の冒頭の1行だけを読んで段落の残りの部分は読まないやり方だ。各段落の1行目だけを読んでいって文書全体の内容の概略を把握する。段落の先頭の行を普通に読んでいくだけなので特別な技術はいらない。普通の読み方をしている人でも文書の概要を素早くつかむことができる。

ただし、これには条件がある。それはその文書がパラグラフライティングという技術的な書き方をされていることという前提があるのだ。パラグラフライティングとは何かと一口に言うと、要素的な意味のまとまりをパラグラフで表現して、それを単位として文章を論理的に構成するというやり方だ。

パラグラフライティングでは、段落には原則的に一つの主題しか配置しない。そしてその一つの主題の要約を文頭の1文で表すのだ。パラグラフの最初にそのパラグラフの主題を要約する中心文を置き、そのパラグラフのあとの部分にはその中心文を補足する内容の文章を配置する。読み手は中心文を読むことでパラグラフの内容が推測でき、あとの部分を読むことで予測した内容の詳細を知ることができる。

さらに、パラグラフライティングでは段落の配置も極力論理的に展開することを推奨している。段落が論理的に配置されていれば、一層文章の概要を把握するのが容易になる。

このようなパラグラフライティングで記述された文書は、段落の冒頭の文だけを読み進めることで、その文書の概要や構造を把握することができる。文書がパラグラフライティングで書かれていないときは、スキミングの効率は悪くなるだろう。

次にスキャニングの方だが、これはいわゆる拾い読みだ。自分の関心のある事柄に関することのみを拾い読みするやり方だ。自分にとって役立つ1行の文があればその本を読む価値があるとよく言われるが、そういう観点からは、スキャニングはずばり本の美味しいところだけを攫う方法だ。

スキミングとスキャニングは特殊な訓練のいらない優れた速読法だが、それが効果を上げるためには文書の側で制御された論理的な記述がされている必要がある。

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# by tnomura9 | 2017-02-28 18:11 | 考えるということ | Comments(0)

指でなぞる

昔の速読術では読んでいる行を指でなぞるように勧められていた。後では非効率的だということで推奨されなくなったが、最近参考書を読むのに指を使って読むようになったら疲れなくなった。

具体的にどうしているのかというと、キーワードの箇所を指で押さえて、それについて思いつくことをぼんやりと思い出すようにしてから本文を読み進めるようにしている。キーワードについて何個か関連の知識や、疑問を想起できるまで指を勧めないようにするのだ。

また、図譜があれば、構造図の関連を指でなぞっていったり、解剖の図譜の血管の走行を指でなぞったりしていく、また、立体的な図譜の場合は指でその立体をなぞっているようなイメージを作ってみる。

目で読むのが早いが、指でその速度をわざとゆっくりすることで、理解力の方はかえって増すような気がする。

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# by tnomura9 | 2017-02-21 10:19 | 考えるということ | Comments(0)

エクソソーム (exosome)

エクソソーム (exosome) というのは耳慣れない言葉だが、細胞が細胞質の物質を脂質膜に包んで放出したものだ。基本的には脂質膜に覆われた細胞質の一部だが、中にRNAの断片などを含んでいるらしい。30年前に発見されたが、以前は細胞が不要なものを輩出したものだと考えられて重要視されていなかった。

ところが近年このエクソソームに含まれる RNA が他の細胞に伝達され、その細胞の働きに影響することが分かり、細胞と細胞の間の情報伝達の機能をはたしていることが分かってきた。

特に注目されるのが癌とのかかわりだ。エクソソームには癌特有の RNA が含まれるため、早期の癌を血液検査で調べることができるかもしれないと期待されている。また、癌は生存するために必要な微小循環を作り出さなければならないが、癌細胞から分泌されるエクソソームが周囲の正常細胞を刺激し血管新生を誘発していることがわかり、癌の治療の面からも注目されている。

ポリペプチド、機能性脂質、神経伝達物質、サイトカイン、ホルモン以外にもエキソソームによるRNAの伝達で細胞間の情報伝達が行われているようだ。

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# by tnomura9 | 2017-02-14 11:24 | 話のネタ | Comments(0)

超常現象の謎解き

退屈なので携帯をいじっていたら次のサイトに出会った。


世に超常現象と騒がれている現象について調査して謎解きをしているサイトだ。この中で超古代・オーパーツについての一連の記事が面白かった。エーリッヒ・フォン・デニケンの『神々への帰還』を興奮して読んだ者にとっては寂しい限りだが、きっちりと謎解きがされている。現代文明を凌ぐ超古代文明があったのならどこかで古代の機械や建物の残骸が発掘されても良さそうだがどうしてないのだろうと思うこともあったので、納得できた。

パレンケ遺跡の碑文のピラミッドの地下に水路が見つかったり、テオティワカンのピラミッドの下に地下道があり多量の水銀が見つかったりなど、古代のロマンには事欠かないが、超古代文明は見つかっていない。

ただ、アトランチスについては、スベイン南部のアンダルシア地方のドニャーナ国立公園にあるのではないかという説に注目している。都市が三角州に作られていたこと、アトラスの柱(ジブラルタル海峡)の向こうにあったこと、タルシッシュ(タルテッソス)という青銅と造船で有名な古代都市が聖書にも記述されていることなどと符合するので発掘を楽しみにしている。それでも、宇宙船やレーザー兵器を作ったりするような超古代文明ではなさそうだが。

タルテッソスには未解読のタルテッソス文字があるが、これがアイルランドのケルト語ではないかという説がある。遺伝子解析でアイルランドの人のDNAとスペイン南部の人のDNAが近縁であるらしい。イギリスは錫の島と呼ばれており、タルテッソスはそこに産する錫を独占的に扱っていたらしいのであり得る話だ。タルテッソス文字がケルト語として解読されたら面白いだろう。

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# by tnomura9 | 2017-02-09 00:24 | 話のネタ | Comments(0)

20トンの石の柱を一人で立てた男

イギリスの古代遺跡ストーンヘンジでは最大50トンもの石の柱が立てられているが、どうやってそのような大きな石を垂直に立てることができたのか謎だとされている。宇宙人が反重力で手伝ったのだという説を唱える人もいるが...

ところが米国のミシガン州の男性が、たった一人で20トンもの石柱を垂直に立ててしまったという youtube の動画を見つけた。次のリンクがそれだ。


20トンの石を持ち上げるのに、シーソーのように両端においた重りで交互に石を傾けながら空いた隙間に木片を差し込むというやり方を使っていた。種明かしをすればなんだと言うことになるが、何百年も謎とされていたのだ。

頭の中でいろいろ難しく考えるよりは、手足を使って実験してみるほうが数段いいのが分かる。

追記

Wally Wallington という人だそうだ。次のビデオでも自在に巨石を動かしているのを見ることができる。

the forgotten technology

また、石の加工はシンプルな道具で十分できる。

How to Cut and Shape Stones
Cutting Stone At The Deer Isle Hotel

これを見ると、ピラミッドも十分人力で作れるのだろうという気がする。


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# by tnomura9 | 2017-02-04 08:03 | 話のネタ | Comments(0)

オブジェクトモデルと無限集合

オブジェクトモデルでは集合や個体を表すオブジェクトを全て集めたもの(の候補) Uc (a candidate for the universe) は常に有限集合だ。しかし、Uc のオブジェクトとして無限集合を考えることはできる。

無限集合の要素は無限にあるので、無限集合を表すオブジェクト A の外延は無限に要素を含むことになり、Uc には含まれない要素もその外延は含むことになる。しかし、Uc はいつでも拡張可能なので、A の外延の要素のうち Uc に存在しないものが必要になったときは、その要素を含む新しい Uc に拡張することができる。

このようにオブジェクトモデルにおける無限集合では無限を可能無限の立場から捉える。無限集合のオブジェクトを Uc に含ませることはできるが、それは外延の要素が常に不確定な特殊なオブジェクト(集合)として扱われる。その外延の要素には常に Uc には含まれていないものがあるが、必要に応じてそのようなオブジェクトを含んだ Uc に拡張することは可能だ。

無限集合の要素は無限だが、それらの全てを考えることができるという立場には矛盾が潜んでいる。要素が無限に存在するということは、それらを全て並べてみせることは不可能であるにもかかわらず、それら全てを集めることができるとして、それらの集合を考えるからだ。数えきることはできないにも関わらず、数えきってしまうと考えるのは明らかな矛盾だ。

可能無限の場合には無限は単に拡張可能性を示しているに過ぎない。1から100までの整数の集合を考えることできるが、これにさらに101を加えて整数の集合を拡張することができる。また、10000でも100000でも大きな数が必要になったときにはいつでも整数の集合を拡張することができる。それらの操作を延々と続けることのできるものを整数全体の集合(の候補)と考えるのだ。この考え方では捉えることのできるのは常に整数全体の集合の部分集合である有限集合だ。しかし、それはいつでもどんな大きな数についても拡張可能である。

したがって、無限集合を表すオブジェクトの外延にはつねに Uc に含まれないものがあるが、それは必要に応じて Uc を拡張することによって Uc に含まれるようにできる。無限集合の外延とは、その外延に含まれる要素を決定するためのルールである。

このようにオブジェクトモデルでは、無限集合は外延の要素が Uc に含まれないものがある特殊なオブジェクトとして Uc の中で取り扱うことができる。

たとえば、Uc のオブジェクトとして自然数のオブジェクトという無限集合と、1から100までの自然数というオブジェクトが含まれていたとしよう。この中には101というオブジェクトは存在しないが、議論の中で必要になってきたときは 101 をオブジェクトとして含む Uc に拡張すれば良い。拡張した Uc の中に矛盾が存在しなければ、自然数の集合という無限集合を考える事ができる。

しかし、ラッセルの集合は Uc の要素として考えることはできない。Uc のオブジェクトのうち自分自身を要素として含まない集合のクラス Rc を考えることはできる。しかし Rc を外延とするオブジェクト Rc を Uc の中に見出すことはできない。かりにそのようなオブジェクトを考えるとラッセルのパラドックスが発生するからだ。

ところが Uc の外には Rc クラスを外延とするようなオブジェクト Rc' を考えることができる。そこで Rc' を要素として含むような Uc の拡張を考えてみる。すると Rc' の外延はたしかに Rc ではあるが、Uc の拡張における自分自身を要素として含まない集合のクラスは Rc' を含まないといけないのでこれを表す Rc'' は Uc の拡張には存在しない。

つまり Uc の拡張によってラッセルの集合 R を捉えようとしてもどのような拡張を行っても R を外延とするオブジェクトを Uc の要素として含むことはできない。このようなものは無限集合ではないといえる。

このように可能無限から無限集合をとらえると、Uc の中で無限集合というオブジェクトを含む事ができて、同時に無限の要素を含む集合というものを明確に定義できる。このような立場からは Uc は常に有限集合なので、その部分集合であるクラス全体に対して矛盾なく排中律を適用することができる。

この無限集合に対する取り扱い方は、普段コンピュータのプログラムをするときに普通にやっていることだ。コンピュータのメモリは有限なので、無限の数を取り込むことはできないが、どんな大きな数もそれが有限な数なら計算することができる。どんな数でもいいという点で有限のメモリの中に無限の自然数を閉じ込めることができるのだ。

全てのオブジェクトを含む Uc は存在しないが、どのような要素でも必要なときに Uc を拡張して取り入れることができれば 、Uc が有限集合であっても、無限集合という仮想的な集合を集合の仲間として取り扱う事ができる。

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# by tnomura9 | 2017-02-01 00:36 | 考えるということ | Comments(0)