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逆システム学

すっと積読していた『逆システム学』 金子勝・児玉龍彦著を読んだ。衝撃的だった。ちょっと悔しくなって読み続けられなくなってしまった。

逆システム学とは耳慣れない言葉だが、要素還元主義という広く行き渡っている科学的な考え方に対比させた方法論だ。普通に見られる科学的な考え方の根本には要素還元主義がある。すなわち、現象をその要素に還元してその仕組を解析して、それを再構成することによって元々の現象を理解したり予測したりする方法論だ。

しかし、現実の現象はそのような要素的な仕組みの総合で説明できない場合があるのは複雑系の啓蒙書を読むと良く分かる。フィードバックやフィードフォワードのあるシステムでは、局所的な要素の間の関係が明確でも、大域的な動作が予測不可能な場合がある。

逆システムの考え方はさらに現実の現象にはそのようなフィードバックが複数あり、1つの要素の変化が考えきれないほど多くの連鎖反応を経て全体の現象に影響しているのだと考える。

例えば、経済活動は基本的に富むものをさらに富ませ、持たざるものは持っているものまでも取り上げられるという貧富の差を発生させる。しかし、その結果として、治安の悪化など社会不安を増大させ安全にたいするコストを上昇させ、商品の需要が減少し、良質の労働力が枯渇するなど、社会というシステムが稼働するのに負の影響が発生してくる。そうすると、これに対し累進課税や、社会福祉や、賃金の上昇など冨の再配分を行いこれらの負の影響を回避しようとする制度が発生してくる。このように社会経済をこのようなシステムとして見た時には、要素還元主義の分析では実際の現象を説明できず、また、それに基づく政策も効力を発揮し得ない。

逆システム学の考え方は、現象の裏のこのような多重フィードバックを想定し、要素的な仕組みが全てを説明するというのではなく、システムのパラメータを変えた時の反応でシステム全体の多重フィードバックの影響を推察しようではないかという考え方のようだ。

観念的なようだが、現象を解析するときの視点を変えてみようではないかということだ。たとえば体重は比較的安定しているが、これは、食事量や運動量だけでなく、生体のシステム全体としての振る舞いが多重フィードバックを行っているからだ。食事量が減れば消化吸収の能力が上がり、無駄なエネルギーを排出する量が減少する。ダイエットがうまくいかないのはこのようなシステムの連鎖反応のせいなのだ。したがって、体重の変化の背後にシステムの存在を想定していないと、有効な体重管理をすることができない。

例えば摂取カロリーを制限した時に、血中の糖や、脂肪酸や、インスリンやその他のホルモン、CRPなどの炎症関連物質等々様々なパラメータに変化が起きるだろう。それらの値の時系列の相関を調べるうちに、相互に抑制するもの、促進するものなどが見らるだろう。それらの直接的な因果関係や関連はそれだけの分析では分からないが、分析を積み重ねていくことによって、漸近的にシステムの相互作用の実質に近づけるという方法はとれるだろう。

また、フィードバック制御には時間の因子が必須だということは特筆すべき事だ。デジタルシステムのフィードバックシステムも遅延の要素をいれないと矛盾した回路になってしまう。

しかし現象が多重フィードバックのシステムであり、1つの要因の変化が多くの他の要因を変化させ、その変化がまたさらに新しい変化を引き起こすといっても、その現象の大域的な振る舞いはそうバリエーションがあるわけではない。つまり、爆発的に一方向に進行しシステムが崩壊するのか、あるいは多重フィードバックの全体としての効果でシステムが安定するのか、あるいは、一定の変動を伴いながら振動するのか、あるいは、変動しながらも一定の安定を保ち、システム全体の性質に変化が起きて進化していくのかである。

現象の個々の振る舞いの制御が問題になることも多いが、バブル崩壊のように経済システム全体に重大な危機をもたらす変化もある。このような破局からの被害を最小にするためには、どうしても現象を複雑なフィードバックループのシステムとして考え、その本質を探る考え方が必要なのだ。
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by tnomura9 | 2014-09-27 07:59 | 考えるということ | Comments(0)

思考の5つの要素

人間が思考するために使っている能力には比較的独立した5つの要素があるのではないだろうか。それはデータベース、パターン認識、論理、シミュレーション、直感の5つだ。

記憶とせずにデータベースとしたのは、記憶力を左右するのは繰り返しによって記憶を定着することよりも想起する力をつける方が記憶力をつけるからだ。人間の記憶は連想で出来ているようなので、連想する力をつけることが記憶の管理には重要になってくる。

パターン認識は現在見ているものと同じようなパターンを記憶の中から取り出す能力だ。ノイマン型のコンピュータにパターン認識をさせるのは大変だが、脳型のコンピュータをつくるとたやすくプログラムできるらしい。パターンとは何かという数理的なモデルができれば、コンピュータのパターン認識能力も飛躍的に伸びるに違いない。

論理は、こうなればこうなるという推論だが、本質的には起こりえるあらゆる可能性を列挙することだ。論理には演繹 deduction、帰納 induction、推理 abduction の3種類がある。演繹は公理や定理から論理的に導き出される結論について論証する。帰納は経験や実験結果をもとに、その中に内在する法則を導き出す。推理は限られた証拠の中から、最もありえる仮説を考えだすことだ。

シミュレーションは非言語的な論理だ。頭のなかに操作可能なモデルを作成する能力だ。コップの水がこぼれた時の様子を思い浮かべることができるだろうか。それは、過去の経験を思い出しているばかりではなく、その経験をもとに水の動きをシミュレーションしているのだ。脳の中のシミュレーションが高度なものであるのは、自分が入浴しているところを想像してみればよい。水面の波紋や、シャワーの水滴の軌跡など高度のシミュレーションが行われているのが分かる。この頭のなかで作成したモデルを操作する能力は、数学を理解するための必須の能力だ。この能力は代数を学ぶより幾何学を学んだほうが鍛えられるような気がする。

直感は事実の中に意味を見つけ出す能力だ。卑近なところでは「これは何の役に立つのか」とか「これは何に利用できるのか」というような考え方だ。あるいは、「要するに」という問題点を要約する力とも言えるだろう。

これらの能力がどう働くかは将棋を指すときのことを考えてみれば分かる。記憶は、過去の棋譜や詰将棋の解答の記憶だ。パターン認識はそれらの記憶から現在の戦局に似ているものを思い出す。論理はそれらを元に自分の次の一手のあとにどのような展開が起きるかを網羅的に考える。シミュレーションは熟練した指し手であれば、その後の起こりえる戦局の変化が盤面のイメージとして浮かんでくる。直感はそれらの考えられる指し手のうち最も重要なものを選び出す。

将棋はこのように思考の5つの要素をバランスよく使うので、思考のモデルとなるが、将棋の思考は将棋に特化しているため将棋が強ければ全ての思考活動で応用可能だというわけにはいかない。しかし、ある時期将棋の訓練をするのは思考力を鍛える上で大切かもしれないという感じはする。

これらの5つの要素が独立しているのは、単なる物知りや、おやじギャグや、理屈っぽい人や、手先の器用な人や、妙に穿った意見を言う上司などが存在することからも分かる。自分が差し当たり抱えている問題についてこの5つの要素のどれを補強しなければならないのかを意識的に反省してみることも重要である。
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by tnomura9 | 2014-09-24 04:55 | 考えるということ | Comments(0)

比喩と論理

本を読んでも頭に入りづらい知識をどう料理すればよいかというのが管理人の長年のテーマだが、それは比喩と論理を上手く使う事ではないかと思うようになった。

比喩とは「彼女の笑顔はまるで花のようだ。」というような喩えではなく、新しい知識が既存のパターンと似ているのではないかという考察だ。

例えば写像は集合の要素を別の集合の要素に対応づけることだが、これには定義域としての集合と値域としての集合およびそれを結びつける写像という3つの要素からなっている。また、これを図解すると定義域の集合から値域の集合へ向かって写像の矢が伸びているというパターンになる。

新しい知識を習得するときは、この既知のパターンを利用する事になる。圏と圏の間の射である関手 F : C -> D の場合 domain の圏 C と codomain の圏 D を関手 F で結びつけているというパターンは集合と集合の射の場合に似ている。したがって、関数の機能と集合の写像の機能を似たようなものとして理解する事ができる。

しかし、似て非なるものという言葉の通り、圏の対象と射からなる内部構成は、集合の要素の集まりと言う均一な構成とは異なっている。したがって、関手は対象の写像である対象関数と、射の写像である射関数という2つの異なった要素から構成されている。また、射関数は恒等射と射の合成の保存という性質を持っていなければならないので、単純に集合の写像の類推で理解する訳にはいかない。

一旦類推で理解した新しい知識のパターンはこのように、論理的な検討をしてそのパターンが本当に適切なものなのかどうかを検討しなくてはいけない。そのときに必要な論理的な検討というのは、本当にそのパターンでいいのか、その知識をそのパターンで理解したときにどういう推論ができるのか、その推論の結果は他の関連事項と整合しているのかどうかなど、様々な面から推論を行ってみる事だ。この論理的なチェックに合致しなければ、最初のパターンは改変するか、別のものに置き換えなければならない。

要するに新しい知識に触れたとき、既知の知識のパターンと似ているものはないかを探し、似ているパターンがあれば、とりあえずそのパターンで理解することにして、次にそのパターンに論理的整合性があるかどうかを検討するという2段階の操作が、新しい知識を習得するときの方策の全てだ。

従って、新しい知識を習得するためには、類推するための既知のパターンを多く持っている必要がある。また、その既知の知識の論理構造について熟知しておく必要があるという事になる。それが不足している場合には、その知識を習得するための予備的な知識の獲得を先にやっておかなければならない。

新しい知識を習得するときは、このようにパターン認識と論理的検討という2段階の操作を意識して行う事が大切だ。これを仮説と検証という言葉で置き換えても良い。古くからある定番の方法だ。

さらに、これに加えて既知の知識について十分習熟しておかなければならないという要件がある。既知の知識が論理的な検討もされておらず、単に知っているだけという状態では、とうてい新しい知識を消化するための叩き台にはなり得ない。スポーツの基礎練習のように、知っていると思っている事も繰り返し検討して血になり肉になるようにしておかなければならない。

学問に王道なしという言葉は、学習が進むにつれて身にしみて感じられるようになる。最初は既知の知識のアナロジーでぼんやりとわかっていたことが、論理的に批判的な検討をしていくうちに、そのパターンの細部の構造を理解できるようになり、また、新しい知識と既知の知識との関連も明確になっていく。それを根気よく繰り返していくうちに、最初の認識がもっと精密な堅牢な知識に変化していく。また、知れば知るほど必要な知識の深さと広さを実感するようになるからだ。
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by tnomura9 | 2014-09-15 13:34 | 考えるということ | Comments(0)

圏論記事リスト

このブログで書きためた圏論の記事のリストだ。

この一連の記事の目的は Haskell と初歩の集合論と初歩の群論の基礎知識しかないものがはたして圏論を理解できるようになるのかというかということを検証することだ。最終目標としては Haskell のモナドを理解できるようになることと。米田の補題を理解できるようになることだが、壁に突き当たっている。

しかし、基礎知識が不足しているアマチュア・プログラマが圏論にどう挑戦していっているのかというライブレポートにはなると思う。したがって、記事の性質上誤っているところは多々あるに違いない。折々、気づいた誤りは訂正していきたいと思っているが、判断は読者に頼りたい。

数学の知識は分かってしまうと逆に説明が難しくなる。用語の意味が自分の中で当たり前になってしまい、分かりやすく説明するためにどこまで基礎知識を遡ればいいのか分からなくなるからだ。分からない状態と分かった状態との間のミッシングリンクを埋めるにはどうすればいいかというのは興味ある問題なので、自分自身の誤解や誤りはそのまま残しておきたいと思う。今から見ると明らかに誤りである記事もなぜそのような誤解をしたのか理由を考えると面白い。

言い訳がましいが、誤解の分析は正確な理解にたどり着くための重要な手段となる。

圏論は面白い(1) メタグラフ
圏論の言葉
圏論の言葉 その2
Isomorphism, retraction, section
構造を保存する写像
endomap の構造
モノイド対象
モナド
圏論の攻略法
mono, epi, iso
部分対象 (subobject)
イコライザー equalizer
積 product
プルバック pullback
射の積 product of arrows
冪対象 mapping object, exponentiation
サブオブジェクト・クラシファイアー subobject classifier
natural number object (NNO)
可換
自然数の加法
一意的
関手のイメージ
自然変換のイメージ
随伴関手のイメージ
小さい圏で遊ぶ
小型圏の関手
自然変換のイメージ(再考)
プログラマのための圏論攻略法
unit と counit
cone と limit
双対 dual
圏論では射の中身もみえない。
単純な双対の例
可換 commutative
関手の圏
自然変換の垂直合成と水平合成
自然変換の水平合成
二項演算
モノイドと自由モノイド
群と自由群
忘却関手のイメージ
部分圏のイメージ
自由群の準同型写像の作り方
自由群と随伴関手
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by tnomura9 | 2014-09-14 12:22 | 圏論記事リスト | Comments(0)

知の大衆化

管理人は以前から思考法に興味があった。それは数学ができなかったという原体験が元になっているが、別に数学者になりたい訳ではなかった。しかし、他の人に分かることが自分にはわからない、それも情報源がほぼ同じであるにもかかわらずそのような現象が起きてしまうという事実が不思議でならなかったのだ。

画期的な発明や発見は普通の人には無理だが、しかし、既に確立しているような内容の知識であっても理解するのは結構たいへんだ。そうであっても、最先端の知識が少数の人にしか理解できないのであれば、それを応用したり他の分野に利用したりなどということは不可能になる。微分積分のような知識も最初は世界中で数人の人しか理解できなかったかもしれないが、今は高校生が普通に学習している。それは微分積分の知識が整理され、応用例もたくさん出てきたために、普通の人でも理解できるようなカリキュラムが整備されてきたからだ。

社会全体のイノベーションは、このような高度な知識のかなりの部分が大衆化される必要がある。高度な知識を探求するスター選手と同時に、そういう人たちが開拓した知識をなんとか理解できる大多数の普通の人も必要になってくる。それらの多くの普通の人が、高度な知識を理解できるようになるためのコツのようなものはないのだろうか。

管理人は、ある程度ならそのような事が可能になるのではないかという気がする。このブログで追求しているのはそのような方法があるかどうかということなのだ。

考えるということのリスト
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by tnomura9 | 2014-09-11 12:51 | 考えるということ | Comments(0)

篠原ともえ

今日テレビの音楽番組を見ていたら、篠原ともえがゲストで出演していた。個性的な髪型の黒髪と真っ赤なドレスとよく動く表情が異世界的な美しさを感じさせてびっくりした。すごい美人というわけではないのだが、芸術的な雰囲気をまとっている印象があった。

篠原ともえというと、ハイテンションの変な女の子という昔の印象があったので、興味が出てきてグーグルで調べてみたら、「変身」「可愛くなった」「美しくなった」というコメントが多かった。

奇抜なファッションと突き抜けた元気さで一斉を風靡した女の子も、35歳の美女に変身し、天文宇宙検定三級だそうだ。

赤いスイートピー King Of Pops2 - Guitar☆Man GPK featuring 篠原ともえ
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by tnomura9 | 2014-09-06 22:27 | 話のネタ | Comments(0)