<   2010年 04月 ( 6 )   > この月の画像一覧

退行

最近忙しくかったり、対人関係に緊張を強いられたりすることが多かったら、本を読むとめまいがするようになっていた。そこで、アニメやライトノベルを憑かれたように読み続けたらだんだん気分が良くなってきた。

一種の退行現象だが、感情的な緊張が強い時は癒される感じがする。

作品の構成や、登場人物のキャラクターや、背景の知識に興味が移ってきたら、卒業できる状態にまで回復しているようだ。
[PR]
by tnomura9 | 2010-04-26 10:27 | 考えるということ | Comments(0)

長門有希に倣う

長門有希といっても知らない人が多いだろう。勝間和代のような実在の人物ではなく、『涼宮ハルヒの憂鬱』というライトノベルに登場する脇役の少女(高校生)だ。

どういうわけか、ネット上では『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場人物の中でもダントツに人気がある。

美少女なのだが、眼鏡をかけていて、放課後誰もいない文学部の部室の片隅でパイプ椅子に腰をかけて、ひたすら本を読んでいる。話しかけても、極度に要約されたあっけないほど短い返事しか返ってこない。表情の変化もなく感情を読み取ることもできない。

小説の設定では、この少女は実は宇宙人の作ったアンドロイドで、ここぞというときにはとんでもない能力を発揮して主人公を守る。また、感情の表出はないが、まったく無感情というわけでもなく、人柄が信頼でき、頼りになる存在として描かれている。

しかし、なぜこのキャラクターに人気があるかという考察をここでしたいわけではなく、放課後ひたすら本を読む様子に感銘を受けたのだ。

読まないといけない本があまりに多い時には、つい、無意識にどの本がどのくらい役に立つのかという選別をやってしまいがちだ。そのため、どうしても自分の趣向にあった本ばかりを読む結果になる。

日経新聞の『私の履歴書』に書かれていたのだが、グリーンスパン元FRB議長は、ある時期、統計調査の報告書ばかり読んでいたそうだ。その知識が、後年FRB議長になった時非常に役に立ったという。

本を取捨選択せず、ひたすら活字を読むという長門有希の態度には大いに倣うべきものがあるような気がする。
[PR]
by tnomura9 | 2010-04-21 18:44 | 考えるということ | Comments(0)

『貧相ですが、何か?』を読んだ

土屋賢二著『貧相ですが、何か?』を読んだ。

この本の魅力は、逆説の面白さだ。冒頭のまえがきにはつぎのように書いてある。

本書を書店で手に取っている人は、おそらく本書を買うかどうかという問題に直面しているにちがいない。

しかし、本書を買うかどうか問題にしてはいけない。問題にしたら最後、十中八九、買わないという常識的結論が出るに決まっている。これでは、いつまで立っても自分の殻を破ることはできない。

買うかどうかという問題を立てるのもよくないが、問題を立てた上で熟考するのはもっとよくない。わたしを見てもらいたい。商売柄、人並み以上に熟考しているが、その私が普通の人以上に幸福になっているだろうか。熟考に熟考を重ねているうちに、判断が二転三転し、最終的には決まって誤った選択をしてしまうのだ。

では熟考しなければいいのかというとそうでもない。わたしを見てもらいたい。わたしは、人並み以上に軽率であるが、そのわたしが普通の人以上に幸福になっているだろうか。これまで考えが足りないために、何度不幸を招いたかわからない。

読む方は、「熟考しても、熟考しなくてもいけないのか」と煙に巻かれたような気分になる。著者は哲学が本業なので論理的思考はおてのものだ。論理的にパラドックスに追い込まれるので読者はどこか変だぞと思いながらそれを面白いと感じるのだ。

しかし、論理というものは、使いようでどうにでもなるというような鷹揚な性質がある。ヒュームが看破したように帰納法では原因と結果をつなぐ論理的な必然性はないからだ。

著者は、この論理の逆説性を活用しながら、周囲の(多くが女性の)友人をこき下ろしながら、彼女らへの愛情を切々と述べている。全く素直でない人なのだ。

したがって、このような文章を読むときは論理性よりも視点のずれを楽しむことになる。この著者の文章が人気があるのは、そのような視点の転換を読者が楽しんでいるからだろう。

余談だが、視点の転換というかアイディアの斬新さについては、最近のライトノベルはすごいと思う。最近仕事が忙しくて、難しい文章を見るとめまいがしていたため、子供の読み終わったラノベやアニメやコミックばかり読んでいたが、そのうちに、ストレス解消ばかりでなく、新しい何かが起きているのではないかという印象をうけるようになった。楽しみがまたひとつ増えた。
[PR]
by tnomura9 | 2010-04-19 08:37 | 考えるということ | Comments(0)

『HTML5, きちんと』

HTML5を概観したスライドを見つけた。

HTML5, きちんと

HTML5 は、HTMLをXMLするのではなく、HTMLを高機能にしてWebアプリケーションを記述しやすくするのが目的らしい。学問的に厳密性を求めると結局XHTMLのように実用的ではなくなるのではないだろうか。

HTML5の現状はまだ混とんとしているようだが、ブラウザーで対応しているのなら積極的に利用されていくのだろう。近頃の iPad フィーバーを見ていると、HTML5 も普及していくのだろう。

個人的には、自分で使う簡単なツールがHTML5でほいほい作れるようなら魅力を感じる。HTMLが普及したのも初心者でも簡単なページは作れる(ように思える)からだ。簡単なプログラムを簡単に書けるプログラム言語は魅力的だ。しかも、自分で作ったプログラムを自分のサイトでアップできるならとても魅力的だ。
[PR]
by tnomura9 | 2010-04-08 13:37 | 話のネタ | Comments(0)

HTML5

最近HTML5のことがよく話題にのぼるようなので、HTML5でどんなことが出来るのか検索してみたら、

Google Experiments

にサンプルがたくさん紹介されていた。Chrome だけでなく、FireFox でも表示できる。ブラウザでサイトにアクセスするだけで、グラフィックスをインタラクティブに操作できてしまう。

すごいことになってきていると思ったが、また新しいことを覚えないといけないのかと思ったら頭痛がしてきた。最近疲れ気味で、難しい文章を読むと目眩がしてくるので、アニメやライトノベルばかり読んでいる。

しかし、インストールの操作なしにアプリケーションが使えるのは便利だ。ソフトがバージョンアップされてもアップデートの必要もない。全てのアプリケーションをブラウザの中で動かすという Chrome OS のやり方も実用的になってくるのかもしれないと思ってしまった。

参考
Wikipedia HTML5
HTML5 における HTML4 からの変更点
[PR]
by tnomura9 | 2010-04-05 08:15 | 話のネタ | Comments(0)

医療改革

4月から診療報酬の改訂が施行される。医療資源の合理化のもとに、開業医の手数料は減らされ、勤務医の待遇改善と医療資源の合理化を目的に大病院の手数料は増額された。

一見合理的に見える改革だが、しかし、この方式では地方の医療がさらに壊滅的な打撃を受けるような気がする。この方式では、要するに医師を多く抱えた病院はどんどん経営が楽になり、医師不足に悩む地方の公立病院がますます成り立っていかなくなる結果になりそうだからだ。

したがって、医師はどんどん都市部の大病院に集まり、一方で地方の病院で少ない医師数で頑張っている医師たちは、疲労のために病院を去っていくだろう。勤務医にしても教育環境や情報の豊富な都市部で働く方が、その反対の地方で働くよりは利点が多いからだ。

医療資源の合理化は必要だろう。高度な技術を要する手術や進行癌の治療のような集学的な医療はある程度施設が集約されていた方がいいかもしれない。しかし、問題はそれを診療報酬の体系を変えることで、利益誘導的に、自然淘汰を行わせようとする方法だ。その方法だと、副作用のほうが甚大なのだ。

今度の医療崩壊の原因にしても、診療報酬の体系が引き起こしたのではない。研修病院の一種の規制緩和が、医師の分布の不均等を引き起こしたためで、診療報酬以外の制度の失敗が原因なのだ。

一方でほとんどの公立病院が赤字である理由の責任は、診療報酬の体系にある。赤字に成らざるをえないほど不十分な診療報酬しか支払われていないからだ。同じ条件で民間病院はやっていけているではないかと言うかもしれないが、民間病院は不採算部門は切り捨てることができる。公立病院は性質上不採算部門を必然的に抱え込まないといけないのだ。そうでないと、公的病院である意味がない。税の控除をしても公立病院が運営できないと言うことは、運営できない診療報酬しか設定されていないと言うことなのだ。

一部の放漫経営による赤字なら経営の責任だろうが、大半の公立病院が赤字であるとすると、それは、診療報酬の決め方に問題があるのだと考えたほうが自然だ。

今度の選挙で自民党が敗退したのは、医療や年金などのセイフティーネットの政策の失敗からだ。特に、地方の医療が壊滅的な打撃を受けたのが大きいのではないだろうか。故郷で安心して暮らせないという状況を作り出してしまったからだ。

財務省や厚生労働省には「医療費亡国論」という考え方があるそうだ。財を生産しない医療費をこれ以上増大させたら国の経営が破綻するという考え方だ。しかし、この考え方では、労働に従事しない障害者や老人には医療はいらないという考え方につながって行かないだろうか。そんな社会になってしまったらどんなに人の心が荒廃するだろうと思うと寒気がする。

医療には商業主義的な競争原理とは別の視点が必要だ。現在の医療の問題は、すべてのものを金に換算して考えると言う拝金主義的な物事の抽象化が関与しているのではないだろうか。全てを貨幣に換算してしまうと、個々の現場の独自性は失われてしまう。個々の現場の特質を考えた、貨幣による経営とは別の視点からの経営が必要なのだ。

ものづくりには、資金で抽象化できない細部の知識や経験が必要だ。日本人の考え方が、貨幣根本主義に染まってしまったら、日本という国のシステム全体の変調が起きてくるのではないだろうか。
[PR]
by tnomura9 | 2010-04-02 08:07 | 話のネタ | Comments(0)