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現実の否認

「現実の否認」というキーワードについて考えていたら、意外と自分の周りにいろいろな事例が転がっているのに気がついた。

例えば、「大量の読みたくもないが読まなければならない文書が溜まっている」という現実、「大量の文書を読みこなすほどの読書力はない」という現実、「これだけの量の文書を読みこなすのは不可能」という現実。それにもかかわらず、「文書が読みこなせてないのに不思議と仕事は回っている」という現実。

実際には、なんとなく仕事を片付けているうちに、文書の内容が古くなったらそのままゴミ箱に投げ入れ、どうしても必要な知識はぱらぱらとページをめくった後線もひかずにゴミ箱へ入れ、必要だが今勉強している暇のない知識は、涙ながらにゴミ箱へ送り出している。また、後で使うかもしれない重要な知識に関する文書は、本棚や段ボール箱の中に入れて大切に保存し、2,3年たってから何が入っていたか思い出すこともなくゴミに出している。

これらは、現実否認のおかげで、大量の情報を失っているという自責の念にとらわれずに、毎日の生活を継続していくための精神の平衡を保っていられている。現実否認の積極的な効用のひとつだ。

しかしここらで一つ現実に向き合ってみることも必要かもしれない。つまり、大量の文章を読みこなすのは不可能である、読みこなせたとしてもそれを脳に記憶させようとすると脳がその負荷に耐えられない、大量の情報があっても、必要なのはその本の一部でしかない可能性が高いなどの現実だ。

現実を直視したうえで、どう大量の文書を処理するかというと、要するに、自分が何を必要としているかということをはっきりさせたうえで読むということ、自分の知りたいことだけを知ると割り切ることだ。読みながら、読んでいる記事の何が面白いのか、自分の意図にどの部分が必要なのかと考えながら、わがままな読み方をすることが大切だ。本の内容よりも自分の本を読む意図をはっきりさせる気持ちで読むのだ。

もう一つは自分の脳の処理量を過信しないこと。大量の新しい情報は記憶できないことを認めることだ。したがって、あまり大量のものを記憶しようとしない。気にとめたキーワードや事項も再想起して記憶を確認しようとせず、むしろ忘れるために読むようにする。読んだあと、何も思い出せなかったとしても気にしないことだ。

さらに、本当に必要なものは精読しないと身につかないことを認めておくこと。遅読を恐れないで、積極的に活用することも必要だ。

要するに読まなくてはならない書類の内容の全部を身につけることはできないと現実の認識をすることが大切なのだ。

この読み方では大量の情報を失ってしまいそうだが、実務的には情報そのものよりもその情報への参照(リファレンス)のほうが大切だ。必要になった時リファレンスを頼りにもとの一次情報にアクセスできる体制があれば、必ずしも情報の保存は必要ない。情報のデジタル化はこのような離れ業をだんだんと可能にしてくれている。
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by tnomura9 | 2010-02-28 11:07 | 考えるということ | Comments(0)

しがみつかない生き方

香山リカ著 『しがみつかない生き方』 幻冬舎新書をよんだ。

有名な10のルール

  1. 恋愛に全てを捧げない
  2. 自慢・自己PRをしない
  3. すぐに白黒つけない
  4. 老・病・死で落ち込まない
  5. すぐに水に流さない
  6. 仕事に夢を求めない
  7. 子どもにしがみつかない
  8. お金にしがみつかない
  9. 生まれた意味を問わない
  10. <勝間和代>を目指さない

に章立てをして、それぞれについて著者の臨床経験を織り込みながら、精神科の立場から、何が問題でどうすればよかったのかを考えていくという形式になっている。

たとえば、大学時代に活発にサークル活動をしたりして元気だった女性が、社会に出たあと不実な恋人にふりまわされてどんどん精神的にも肉体的にも追いつめられて行った例が書かれている。家庭も友人も仕事も順調なのに、ただ思うに任せない恋にしがみついて病気になっていくその女性を例に、何かを絶対視してすがりつくことの危険さを強調している。

どんなに周囲が、その恋人は誠意がないから諦めなさいと言っても、その女性はその恋人をかばうばかりか自分が変われば振り向いてくれるのではないか、家庭や仕事よりも自分にとってはその恋人のほうが大切なのだと聞き入れない。

あとの九つの章の内容も基本的には同じテーマが流れている。要するに、現実の否認だ。現実の環境が満足行くものであれば現実を否認することはないだろう。満足でないから否認が始まるのだ。しかし、著者が問題にしているのは、不満足な現実はその患者さんの一部でしかないのではないかと言うことだ。

上の女性の例でも、不都合な現実は恋人の不実だけなのだ。家庭や仕事に問題はなく、恋人だってその男性が世の中で最後の男性というわけでもない。しかし、彼女がその恋にしがみつくことによって、どんどん苦しい立場に追い込まれていく。

精神科医の立場からは、患者さんの精神的な苦しみを取り除くことが目的なので、現実を受け入れて別の方向を見いだすことができれば、病気にならなくてもすむと助言をする。

しかし、現実の否認がかならずしも悪いことではない、立志伝中の人たちは現実を受け入れて諦めなかったからこそ大きな成果を得られたのだ。反面、その人達はそのような現実を変えるだけの能力と幸運を与えられていたからそういうことができたのだとも考えられる。

現実を否定して立ち向かうべきなのか、それとも、現実を容認してちょっと酸っぱい心の平安を得るのかそれは人それぞれでこれがベストだという答えはないのではないだろうか。

宮本武蔵が『五輪の書』の中で、
我、事において後悔せず
と言っている。自分の歩いてきた道を失敗も含めて全てを受け入れると言う強い気持ちだ。また、良寛さんの手紙の文句に、
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
というのもある。同じ心境から発せられた言葉だろう。

自分がどうすればよいのかということには力を尽くさなければならないが、自分は何者なのかということにはあまり注意を払わない方が良いのかもしれない。
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by tnomura9 | 2010-02-26 08:33 | 幸福論 | Comments(0)

外部脳としてのパソコン

パソコンを外部脳として活用するための要件を考えてみたが、3つに要約できるようだ。

1. 情報の収集と空間的圧縮
2. 情報の検索
3. 情報の加工と出力

このうち、情報の収集はネットの情報のブックマークやダウンロードが主になる。また、情報の空間的圧縮もスキャナーなどで比較的簡単にできる。誰でも、普通に写真や文書の情報をデジタル化してその容積を圧縮することはやっているだろう。また、iPod や ポメラを使えば、メモのようなものもその場で電子化して、保存や再利用に充てることができる。要は大量の情報を比較的コンパクトな空間に閉じ込めておけるということだ。

情報の検索については、ネットの検索エンジンやデータベースのURLを知っていることは重要なポイントだ。しかし、ローカルのディスクのファイルに対して検索をかけようとすると、今のシステムで満足にいくものを作ろうと思ったらかなりの知識が必要だ。

しかし、全文検索は、Windows 7では標準的な使い方なら特に意識しなくても使えるようになっている。カスタマイズしようとすると設定が必要だ。Windows 7の場合は、Shift_JIS も utf-8 も検索できる。EUC については検討していないができるのではないだろうか。日本語の検索の場合は複数の漢字コードがあることが話を面倒にしている。utf-8 などに意図的に統一することが必要なのではないだろうか。

文字コードが utf-8 ならデータベースとして SQLite 3 が使えるので便利だ。これは、SQL でデータを検索できるが、サーバークライアント型ではなく、データファイルを直接扱うことができる。個人用のデータベースとしては非常に使い勝手がよさそうだ。しかし、Windows ではコマンドプロンプトで utf-8 の入力ができないので使いづらい。

検索については、何もGoogleやYahooやBingに限らない、Youtubeでも、Firefoxのサイドバーの検索でも、Windowsの検索窓でも、SQLite のSQL文でも、検索できるものは片っ端から検索して慣れておくことが大切だ。英会話と同じで反射的に検索できるようになっていないと不便だからだ。パソコンを外部脳にできるかできないかは、体の反射として検索できるようになっているかどうかにかかっている。

情報の加工と出力については、ワープロやグラフィックスなど普段から利用している。また、プログラミングもそれに含まれる。それぞれの用途で道具に精通しておくことが必要となる。

いずれにせよ、パソコンを外部脳にするためには、考えなくてもパソコンを操作しているという域に達するまで使いこむことが肝要だ。
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by tnomura9 | 2010-02-23 13:02 | 考えるということ | Comments(0)

ゴッホの遠近法

今朝の日経の文化欄の『だましの名画』という記事に、ゴッホの絵画の見るものを不安にさせそれでいて惹きつけてやまない魅力が、その遠近法による空間の歪みによるものだと書かれていた。

確かに挿絵の「アルルのゴッホの寝室」という絵を見ると、床やベッドや椅子や机や壁の額縁の消失点がばらばらで一致していない。さまざまな視点から見た物体が同じ絵の中に配置されているため、奇妙な空間の歪みや、物体の動きが生じて、椅子やベッドが生き物のように存在感をもって自己主張している。

そのことが実際の空間を写生するというより、ゴッホの内面の苦悩を描写したような奇妙な感動を引き出してくる。人間の物をみるという機能が決して写真を写したように受動的なものではなく、そこに、見るものの感情や意思を含めて再構成された仮想現実を形成しているのだということを改めて感じさせられる。

物事を論理的に考えるということは、問題解決のために重要な方法の一つではあるが、それに人間の行動が絡んできたときに、論理性とはまた別の要因が絡んでくる。

単純な例では嫌いな学科は努力をしても成果が上がらないことがある。それが嫌いになった原因は、その科目の本来の問題ではなく、たまたまその教科を教えていた先生が嫌いだったというあまり本質的ではない理由もあるかもしれない。しかし、それによって多くの労力が無駄になってしまう場合もあるのだ。

学習法を考えるときに、論理的な方法論だけでなく、このような感情の影響も大きいことを知っておく必要がある。
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by tnomura9 | 2010-02-22 08:08 | 考えるということ | Comments(1)

データ拾い

フリック入力に慣れてから、メモを iPod touch で頻繁に取るようになった。従来はメモ用紙に書き込んで捨てていたようなゴミ情報も iPod のメモ帳に残していっている。そうしていると、ゴミとして捨てていたような情報が結構役立つのに気がついた。

以前は、情報の保管や記憶するのが面倒で思い切りよく捨ててしまっていたが、情報の保管場所のことをあまり考えなくて良くなったため、蓄積できるようになった。捨てずにとっておくと、たまに読み返したときけっこう役立つ情報だったりする。

また、iPod は全文検索機能がボタン操作一つで呼び出せるので、部分的な記憶しかなくても、もとのメモを探し出すことができる。

こういうことができるようになったのは、ポケットに邪魔にならずに入れておける iPod のサイズと、フリック入力の入力効率のおかげだ。このような小さい情報をパソコンにいちいち保存していくのは面倒だが、iPod なら常に持ち歩いているので、その場で入力しておくことができる。しかも、携帯電話の入力は煩雑感がありメール以外には使う気にならないが、フリック入力なら一カ月も練習していればそれほど入力の手間が気にならなくなる。

本のようなまとまった情報と違って、聞き書きのような小さな情報は紛失しやすい。しかし、こういう情報は本として購入することはできないから、蒸発させてしまうと再び入手することはほとんど不可能だ。iPod のおかげで、そういう情報を失わずに保存することができるようになった。

データのバックアップの問題や、データの再利用の手間などまだ iPod/iPhone が理想形というまでには感じていないので、まだ、iPhone を購入するほどの気持にはなっていない(iPod touch の薄さと軽さが気に入っているので、iPone になると重くて厚くなるのが引っかかっている)が、iPod のサイズと入力効率はポケットコンピュータを気持ちよく使うための重要なポイントだ。

iPod touch/iPhone のようなポケットコンピュータでデータを拾い集め、クラウドに保存した情報をノートパソコンと連携させて複雑な情報処理に利用するという形態が未来的なパソコンライフだろう。
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by tnomura9 | 2010-02-18 07:21 | 考えるということ | Comments(0)

学習の目的をはっきりさせること

大変な思いをしてやっている学習の最終的な目的は、必要な情報を必要な時に検索できるようになるということだ。

わかり切ったことのようだが、ここのところをはっきりさせておかないと、苦労して学んだことが何の役にも立たなかったということにもなりかねない。

色々な資格を取っても、実際にその知識を役立てる機会がなければ、それは無駄な知識になってしまう。少くとも何のためにその知識を身につけたいのか、その知識を具体的にどのような状況で使うのかということをかなり明確なイメージで持っておく必要がある。

何となく知っておいたら便利だろうという漠然とした動機で学習を始めるのが悪いということではないが、学習に要する労力のことを考えたら、ある程度の事前の見通しは必要なのではないだろうか。

学習に多くの労力を割くのは、必要な時に必要なものを取り出せるようにしておくためだということを再確認しておくことが大切だ。

さらに、学習の目的をはっきりさせるのは、その学習が役に立つレベルに達する前にやめてしまうということを防いでくれる。中途半端に学習を中断してしまうと、それまでの努力が無意味になってしまう。もう一頑張りすれば役立てることができるようになったのに途中でやめてしまったばかりに、ただ少しかじったというだけの知識で終わってしまわないようにすることができる。

いずれにせよ、学習した後で自分がどういう状態であってほしいのかというイメージを鮮明に持っておくことは大切なことだ。
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by tnomura9 | 2010-02-17 15:06 | 考えるということ | Comments(0)

HTMLでリンクを作る

自分のパソコンのローカルディスクの文書を利用した二次資料を作ろうと思ったが、それには、リンクを簡単に設定できるHTML文書が便利だ。

久しぶりにHTML文書を作ろうと思って調べていたら、書き方がやけに面倒になっていた。HTMLに機械で判読できるような構造を記述するためのXML的な使い方の拡張のようだが、二次資料の文書を作るだけのためには煩雑な気がした。

結局、<head> の部分に次のようなメタタグを入れるだけにした。キーボードから入力するのが面倒なら、適当なホームページのソースを表示してコピペするとよい。

<meta http-equiv="content-type" content="text/html; charset=UTF-8">

漢字コードをUTF-8にしたのは将来的なことからだ。巡回しているホームページはShift-JIS のところが多いが、Google や Bing などでは、すでにUTF-8 になっている。メモ帳では、UTF-8 の編集が面倒なので、エディターは、Terapad を使うことにした。

こういうリンク集のようなものをデスクトップに置いて使うとダブルクリックで使えるし、自由に編集できるのでブックマークより便利なことがある。作るのが面倒でやらなかったのだが、Windows 7 で全文検索もできるようになったし、パソコンをデータベース化するのも面白いのではないかと思うようになった。
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by tnomura9 | 2010-02-12 07:22 | 考えるということ | Comments(0)

Windows 7 の全文検索の実験

ダウンロードした管理人のプログの記事のキーワードが、Windows 7 の全文検索で検索出来なかったことについて気になったので2,3のテストをしてみた。

まず、漢字コードの違いで検索ができなかった可能性を考えて、Terapad で shift-jis と utf-8 の二種類の漢字コードで検索出来なかったキーワードを含むテキスト文書を作って検索したら、両者とも検索できた。

ところが、検索出来なかったHTML文書のコピーを作成して、検索できたテキスト文書と同じフォルダに置いたら、やはり特定のキーワードが検索出来なかった。そこで、検索出来なかった記事の部分をコピーしてテキスト文書にペーストしたらあっさり検索できた。いろいろ試しているうちに、検索出来なかったHTML文書は、キーワードの種類というより、その中に含まれるある記事全体のインデックスが作成されていないようだった。

この実験でわかったことは、Windows 7 のインデックス機能はなかなか優秀で、shift-jis の文書も、utf-8 の文書も同様に全文検索出来ることだ。検索出来なかった文書については理由を特定できなかったが、HTML 文書がインデックスを作成するときの HTML フィルターと相性が悪かったのではないかと思った。

少なくとも、あまり特殊なHTML文書を書かない限り、Windows 7 の全文検索は、漢字コードの種類に関わらずきちんと検索してくれるのではないだろうか。少なくとも、テキスト文書なら、検索漏れはあまり発生しないように思える。

Windows 7 の全文検索の紹介記事は、Google の検索にもあまりヒットしてこないのでそんなに利用されていないのではないかと思うが、もったいない話だ。
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by tnomura9 | 2010-02-11 07:37 | 考えるということ | Comments(0)

Windows 7 の全文検索を使ってみた。

Windows 7 の全文検索機能を使ってみたくなって、自分のブログの記事をダウンロードしてテストしてみた。残念ながら、一部のキーワード 「エジプト」 とか 「メトロポリタン」 とかでは検索できなかったが、たいていは検索できた。

一部のキーワードが検索できなかったのは、日本語の検索の場合、形態素解析が必要なので分析機能の問題かもしれない。あるいは、漢字コードの種類の自動判別の問題かもしれない。

漢字コードの混乱は全文検索には不便だ。多言語コードの統一規格が普及すればそういうトラブルが減るのではないかと思う。

ローカルディスクの文書情報の全文検索機能は、必須ともいえるのではないかと思うが、今まであまり取り上げられていないのが不思議な気がする。Linux の場合は namazu というフリーのソフトがあるが、最近はあまり使っていない。というか、自分で保存したファイルの全文検索自体をあまりしてこなかった。検索はほとんどグーグルだったからだ。

グーグルの検索は便利だが、ページランクというフィルターがかかっている。もっと、ローカルディスクのファイルの全文検索の手段についても使い慣れておく必要がある。しばらくは、Windows 7の機能を使いながら全文検索に慣れて、もっと検出率の高いソフトがあればそれも調査しておく必要があるだろう。

もう一つ大事なのは、リンクリストだ、保管している一次資料へのリンクを編集したものだ。これは、できれば全文検索できないようにしておかないと検索結果と重複してノイズが多くなる。

まあ、いずれにせよ、全文検索やリンクリストに今までそれほど関心がなかったというのは、ディスクの肥しをいかに活用していなかったかということだ。もったいなかった。

自前の二次、三次の資料がないのはあまり情報を活用しているとは言えないのではないだろうか。パソコンのディスクを、自分の机の上と同じくらいに熟知するくらいの気持ちがあってもよかったのではないかと反省している。
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by tnomura9 | 2010-02-08 10:19 | 考えるということ | Comments(0)

Windows 7 の全文検索機能

Windows 7 の全文検索機能について Google で検索したがわかりにくかったので、まとめてみる。

Windows 7 の全文検索は、インデックスを使って行われるので、瞬時に検索が終了する。インデックスは自動的に作成されるが、コントロールパネルで検索が実行されるフォルダーを指定しなくてはならない。

スタートメニューからコントロールパネルを選択すると、コントロールパネルウィンドウが開く。ウィンドウの表示方法リンクをクリックすると、プログラムが小さいアイコンで表示されるので、そのなかの、「インデックスのオプション」をクリックする。するとインデックスを作成するフォルダーが表示されるので確認する。今回は、既存の設定のままでためしてみるので、D:ドライブが登録されているのを確認しておく。

管理人の場合は、USBメモリに保存しておいた複数のフォルダに分かれた800件くらいのHTMLファイルをフォルダごと D: ドライブにコピーした。たったこれだけの操作で、インデックスが自動的に作成される。エクスプローラを D: ドライブで表示して、検索テキストボックスにキーワードをいれて検索したら、瞬時に結果のファイルリストが出てきた。すごい ....

エクスプローラのメニューバーのプレビューウィンドウを表示するアイコンをクリックすると、表示部分が分割され、ファイルのリストをクリックすると、その内容が左の画面に表示される。

蓄積された文字情報を活用する基本的な方法は、検索とブラウジングだが、その両方がほとんど何の操作をしなくても使うことができる。Windows 7 は使えるかもしれない。Windows 7 は OS だが、そのままで、簡単なデータベースとして使うことができる。

ディレクトリを作ったり、ファイルをコピーしたりなどの普通の操作をしているうちに、プログラムレスでデータベースができてしまうなど、一種のOSの未来形とも言える。Word や Excell はひとつのアプリケーションの中に全てを納めようとしてアプリケーションが肥大し、動作がもたつくようになってしまったし、機能の重複が起きてしまっている。単機能で軽量のアプリケーションを組み合わせて目的に応じてカスタマイズするようなことが、GUIでもできるようになってくるかもしれないのだろうか。
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by tnomura9 | 2010-02-06 21:43 | 考えるということ | Comments(0)