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自己雇用

不況の本質は、物やサービスが売れないということだ。

しかし、人間が生きていくためには、衣食住やその他のサービスを本質的に必要としている。したがって、人間が絶滅しない限りは、物やサービスの需要がなくなってしまうことはない。恐慌に近い不況のさなかでも需要を発見できれば収入を得ることができるはずだ。要は、どうやって自分がサービスを提供できる需要を発見するかということだ。

不況の中では、企業の売り上げは減少するので雇用は少ない。失業しても再雇用される可能性は非常に少ない。さらに、昨今のリストラを当然と考える時世ではいつ自分の身に失業という事態が襲ってくるかもしれない。日頃から、自己雇用の準備をしておくことは大切なことだ。

しかしながら、フランチャイズ傘下で店を始めるにも、一般的に2000万円近い初期投資がいる。そうして、フランチャイズ下での利益は本部にかなりの部分を持っていかれるので、意外に手元に残る利益は少ない。また、店の運営についても本部の意向に縛られる。フランチャイズの支店のオーナーになるということは雇用ではないが、完全に独立した自己雇用ではない。それでも、オーナーであればいきなり解雇を言い渡される危険は少ない。

起業というとまとまった初期資金や、高度な技術などが必要だと考えられやすいが、グラミン銀行の例をみるとわずかな資本で起業し、それをきっかけに拡大再生産を行っていくことがそう難しくないことが分かる。

最貧困層の起業がどうしてあのように効率の成功を収めているのだろうか。グラミン銀行の返済率が高率であるということは、債務者の事業がうまくいっていることを示している。そこで、これらの人たちの起業の成功率の高さの要件を考えてみた。

ひとつは、最貧困層の生活費が非常に少額だということだ。したがって、わずかな収入の向上で余剰利益を投資に回していくことができる。実際、貧困層から脱出した人々は生活費も増えるため初期のころのような劇的な生活環境の向上は見られなくなる。

貧困層を脱出した人たちの危険要因は病気だ、自分の田畑を持つことができるようになり、主人にも三輪自動車を買うことができるようになった家族が、主人の胃がんのため、すべてを売り払ってしまわなくてはならなかった。

ここから分かるのは、自己雇用を考える場合は、生活費を極力簡素化する必要があるということだ。出費が少なければ、起業したときの固定費が少ないので、業績をあげるために無理をする必要がなくなる。

また、自分の健康管理が重要な要件となる。健康であれば、手元に資本がなくても働くことで収入を得ることができる。病気になってしまうと働けない上に医療費は必ず払わなくてはならない。生活習慣病や喫煙のような自分で自分の首を絞めるようなことは極力避けなければならない。

二つ目の要因は、できるだけ少額の資本で起業することだ。たとえ誰かが成功した方法で起業したとしても、収益が必ず上がるとは限らない。また、起業が安定して回転していくまではどうしても初期の赤字状況を経なければならない。大きな投資をしてしまうと、回転資金も大きくなるため息切れをしてしまう。失敗しても立ち直れるくらいの小さい規模で始めることが必要だ。

三つ目の要因は、常にニーズを探すこと。貧困者の起業が成功しているのは、彼らに商品やサービスを創造する技術と勤勉さが備わっていたからだ。貧しかったのは、働いても働いても利益を拡大再生産に使えないという経済的なシステムのせいだったのだ。稼いだ資金をすべて生活費にまわしていたのを、少額の融資をうけることで内部保留できるようになったのだ。

今は雇用で生活が安定していても、消費の需要にどのような流れがあるかということに常にアンテナを張っていなければならない。スーパーに出かけたらどういう商品が売れているか、逆にどういう商品は売れていないか。また、日常生活でも、不便だと感じたこと、こういうものがあればいいのにと感じたことなどはメモする週間くらいは身につけておいたほうが良い。

自己雇用の準備をするのなら、常日頃から準備をしておかなくてはならないのだ。失業したときにあわてて手持ちの資金で起業してもニーズをつかんでいないので机上の空論となり失敗してしまう。日頃から、自己雇用するためにはどういうことをすればよいか考えておく必要があるのだ。

自分が派遣社員の場合、失業のリスクはすでに織り込んでいないといけない。可能なら、貯蓄という形での内部保留をしておいたほうがいい。それがかなわない場合でも、万一失業した場合の自己雇用の形態についてのイメージを持っておく必要がある。自分には起業するためのものが何もないという言い訳は許されない。規模にかかわらず需要を探す訓練をしておく必要がある。

これからの産業の形態の流れから考えても、ロボットの進出は避けられない。しかし、いくらロボットが製品を作っても、それを消費するのは人間しかいない。そうであれば、ロボットが作った製品と人間の間をとりもつサービス業がなくなる心配はない。また、介護など、ロボットではできないサービスもなくならない。つねに備える気持ちがあれば、需要を発見するのはそう難しいことではない。

生活費を簡素にすること、少額の資金でできる起業について日頃から考えておくこと、需要を発見すること、貯蓄という形での内部保留を作っておくこと、最終的には自己雇用という選択を考えておくこと。不況を乗り切るためにこれらは必須の条件のように思える。
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by tnomura9 | 2008-12-31 06:55 | 話のネタ | Comments(0)

昭和恐慌

リーマンショックに始まった不況に底が見えない。

昭和恐慌に状況が似ているらしいと聞いたので、ネット検索して2,3の記事を読んでみたがもう一つよくわからない。つぎのような見方でよいのだろうか。間違っていれば訂正していただければ幸いだ。

第一次世界大戦が終わって、戦争特需がなくなり一斉に輸出高が減少した。

さらに関東大震災の被害で金融の決済ができなくなってしまったので、手形決済の遅れが必須となったものの処理を政府が行ったが、それに政商の保護という不透明な処理を潜ませたことが明らかになり、取り付け騒ぎが起きて、中小銀行が破たんし、中小企業への資金が供給されなくなった。

また、慢性的な不況を反映して為替相場が下落。国産品の競争力を高めようと生産合理化で意図的なカルテルを作ったため、さらに中小企業の倒産に拍車をかけるようになった。

為替を安定化するため政府は緊縮財政をひいて金を確保し、金本位制によって為替の下落を防ごうとしたが、折からの米国発の金融恐慌の影響で円高となり輸出額はさらに低下したうえ、金の大量流出を見てしまった。

また、米国発の世界恐慌のせいで繭の輸出量が激減し農家の収入が激減した。さらにデフレに米の豊作が加わって米が下落、農家の生活を破たんさせた。産業の受け皿が極度に縮小し、大学を出たけれど職が全くないという状況になった。

このため、高橋是清蔵相は金を禁輸し、管理通貨制度へ移行させ、軍備費増強と赤字国債の発行によりインフレ政策をとり通貨を供給させたところ、円価格は下落し、それとともに輸出は急増し、景気は回復した。しかし、いったん始まった軍拡は軍の意向でとどまらず、また、日本の輸出増に対し欧米がブロック経済をとったため、第二次世界大戦へと突き進んでいった。

というところだろうか。失政や、利権や、汚職や、失言や、マスコミのすっぱ抜きや、個々の企業の経営の失敗などの偶発的な要素もからまって不況に突入し、それが回復し、せっかく回復しても戦争へと突入していったように見える。

しかし、これを見ても政府の政策というものが奏功したのはそれこそ幸運だったからだとしか言えない気がする。政策そのものはきちんとしたビジョンによって粛々と遂行されたというより、さまざまな思惑の慣性力の合成として動いているようだ。

バングラデシュのグラミン銀行はバングラデシュ政府の政情の不安定さにも関わらず、大水害やサイクロンを切り抜けて活動し続けて、経済成長を底から支えているように見える。グラミン銀行が政府の干渉を受けずにここまで成長することが出来たのは、政府の利害とは全く縁のない最貧困層と女性をターゲットに営業されてきたからだろう。

政府とは違って、グラミン銀行の成功を支えているのは、個々の債務者の創意工夫と勤勉さだ。銀行は貧困者の自立の手助けをしているにすぎない。銀行がトップダウンに政策を押し付けるわけではなく、まさに個々の債務者の工夫と、創造性が銀行を支えている形になっている。

今度の日本の不況にたいしても、政策に期待するよりも、むしろ、政府が関心を持たない領域、たとえば地産地消や地域のコミュニティ活動など底辺の立場から取り組んでいく必要があるかもしれない。マクロな政策が迷走するときこそ、簡単ではないだろうが、地に足をつけた現場の創造性を発揮するときなのかもしれない。グラミン銀行の成功はそれが夢ではないことを証明しているような気がする。
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by tnomura9 | 2008-12-30 16:50 | 話のネタ | Comments(0)

グラミン銀行

最近グラミン銀行に興味がある。

バングラデシュで始まったシステムで、最貧困層に無担保で低額のローンを貸し付けるがその返済率が99%で、借り手の60%以上が貧困層を脱出しているらしい。しかも、この高い返済率が30年も続いているということは、融資としてもかなり確実な方法といえる。

貧困層に無担保で融資をしたときの返済の保証となるのは、担保でも、高い利率でもなく、返済を確実にする債務者を見つける方法と、債務者の自己雇用を生み出す創造性だ。債務者が誠実でなければ融資を受けて利益を上げても返済しないだろうし、融資を元に仕事を作り出すことができなければ返済は不可能だろう。

それでは、どうやって優良な債務者を見つけることができるのだろうか。

ひとつは、融資が個人に対してではなく、5人のメンバーからなるグループに対して行われるということだ。融資は、そのうちの二人にだけなされるので、その二人が返済しない場合、あとのメンバーは融資を受けることができない。他のメンバーに迷惑をかけたくなければ、きちんと返済するしかないし、誠実でない人はメンバーに入れないようにするだろう。

ふたつ目は、行員が頻繁に債務者の住居にでかけ、彼女らの話を聞きその人生や人となりに精通するということだ。その段階で両者の間に信頼関係が築かれ、融資額や債務のスケジュールが最も適切となるように調整される。また、行員の目的が銀行の利益ではなく債務者の生活を改善することであることが確認され、信頼を受けることになる。

三つ目は、貧困者は生活を支えるだけの技術や経営力がないとみなされがちだが、実際はそうではないということだ。貧困の原因は、ワーキングプアに見られるように勤勉さと技術を持ち合わせながらも、経済の仕組みのために収益を上げられない状態にあることだ。なにかの、きっかけがあれば、報われない雇用や失業の状態から、自己雇用に移って利益を拡大再生産できるのだ。そのためには、ごく僅かの融資額からスタートすればよい。僅かの資金による僅かの利益を、拡大再生産することによって債務者は貧困から脱出することができるようになる。そのための企画は貧困者みずからがすでに持ち合わせていたのだ。

四つ目は返済が1週間ごとのため小額の返済で済むこと。まとまって返すのは心理的にも負担が大きい。小額の返済ならその垣根を低くすることができる。また、返済期限が1年という短期のローンであるということも重要だ。よい企画であっても10年先もそうかどうかは分からない。1年という短期で完済することで負債の額と情勢の変化による企画の利益変動の危険を抑えることができる。

これからの社会は雇用という形で生計を立てるのが難しくなっていくのではないだろうか。製造業にしても最近のロボット技術の進化をみると、いずれ工場から人間がいなくなってしまうのではないだろうかと思われる。ロボットは休まないし、病気をしないし、命令に従順だし、運営費も安く済む。人間に太刀打ちできるものではない。

したがって、これからは、会社に帰属することで給与を受けるよりは、創意と工夫で自己雇用しなければやっていけないのではないだろうかと思う。会社という大きいシステムは、あまり利益の上がらない隙間産業には興味を示さないだろう。しかし、自己雇用という立場からは会社が見限った利益は十分に自分の生活を支えることができる。

一時期サラリーマンの脱サラが流行し、悲惨な状況になった人も多いようだ。しかし、それは自分が精通していたものと違う職種を選び、現場を知らないまま頭の中で考えた構想で安易な企業をしてしまったせいなのではないだろうか。これに対し、マイクロクレジットの債務者たちは自分の現状をよく知っており、現場の立場からの自己雇用を行ったために成功することができたのだろう。まずは、失敗しても対応できるような非常に小さいものから始めることが大切なのだ。

現場からの発想と小さなことからはじめるという二つの点をよく考えれば、たとえ破産を経験した人であっても、再び立ち上がることができるはずだ。そのためのきっかけとなるのがマイクロクレジットのシステムなのだ。

マイクロクレジットを、あれは、バングラデシュという貧しい国だからできることで、先進国である日本には当てはまらないと一蹴するのではなく、これからの雇用形態の変化に対応した貸し手にとっても、借り手にとっても有力な融資の新しいシステムであると考える必要があるのではないだろうか。
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by tnomura9 | 2008-12-30 00:04 | 話のネタ | Comments(0)

新車販売台数減少

12月の国内の新車販売台数が3割減だそうだ。

不況とはいえ3割も落ち込むとは考えられない現象だ。なぜ急に需要が冷え込んでしまったのだろう。単なるムード的な買い控えなのか、本質的な需要の飽和によるものかによって戦略が変わってくるだろう。

自動車の需要と供給の動きを見ると、ウサギと狐の頭数の周期的変化モデルを思い出してしまう。ウサギの食物となる植物がふんだんにある時は、ウサギの頭数の爆発的な増加が起きる。それに伴ってウサギを捕食する狐の頭数も増加する。狐の頭数の増加に十分なスピードがあれば、ウサギの頭数はやがて減少していく。ウサギが減ると、食料を調達できない狐の割合が増え、結果的に狐の頭数が減っていく。狐が減れば、ウサギが生き延びる確率が高くなり、再びウサギの増加が起き、それにつれて狐も増える。結局、ウサギと狐の頭数の周期的な変動が一定の範囲で安定して観測される。

もし、狐が人間に狩られて極端に減少してしまうと、天敵のいなくなったウサギは指数関数的に増殖し、あっという間に食料となる植物を食いつくしてしまう。植物の再生産能力が極端に落ちると、大地はもはやウサギの生存を支えられなくなり、ウサギも絶滅してしまう。

植物の再生力、ウサギの繁殖力、狐の繁殖力の間の微妙なバランスが、周期的な変動を繰り返しながらもウサギと狐の頭数を一定の範囲に安定させているのだ。

GM社の職員の給与を高目に保ちながら、自動車の販売台数と利益を増やしていくという戦略が成功したのは、自動車という商品の需要が圧倒的に大きかったからだ。自動車販売による利益は、社員の給与を高めに保つことで社員に自動車を購買させるというやり方ではあげることができない。それでは、自分の足を食うタコと同じになるからだ。社員以外の顧客の数が多く、飛ぶように売れたから、社員に自動車を購入できるような給与を与えることができたのだ。自動車販売と社員の給与とは、ウサギと狐に見られるような平衡状態をとることはできない。

自動車産業は常に拡大していかないと成り立たないシステムなのではないだろうか。一方的に拡大していくシステムは、やがては植物を食いつくしたウサギのように需要を食いつくしてしまう。

景気が一定の変動を繰り返しながら安定していくためのシステムの根幹はいったい何なのだろうか。
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by tnomura9 | 2008-12-27 18:31 | 話のネタ | Comments(2)

自分のスキーマを作る。

本を読むときに一番残念なのは何度読んでも理解できない時だ。

本の文章には確かに著者のアイディアやメッセージが込められているのだが、それをデコードして頭のなかのチャンクにしないと理解できない。理解が起きるためには、著者の頭の中がきちんと整理されていること、文書の内容が論理的に整理されていること、読者の脳のなかのスキーマがきちんと機能していることという3つの要素が要求される。

このうち、一番大切なのは読者の頭のなかのスキーマの能力だ。読者の頭のなかのスキーマが優秀ならば、多少不明確な記述や論理的にあやしい議論があってもそれを補って理解していくことができる。逆に、貧弱なスキーマしか持っていなければ、理解することすらできないだろう。

では、どうすれば自分のスキーマに磨きをかけることができるだろうか。一番手っ取り早い方法は、本の内容を予測しながら読んだあと、自分の予想と著者の議論の運び方を比較して、著者のスキーマがどんなものかを検討することだ。

それでは、次の例文のスキーマはどうなっているだろうか。

 スランプに対して備えがあるというのも実力の一つである。
 たとえば、弁護士になるための司法試験を受験するには、当時七科目の試験科目の準備をしなくてはならなかったが、私の場合は八科目あるのだと思って準備をした。第八科目は方法論(やり方)を研究するということである。そういう備えをしたために、予期しないことが起きても、何とか対処することが出来たのである。
 専門分野など、自分の得意な分野があるということだけではなく、日頃からそういうスランプへの備えをしておけば、総合的に見てそれも実力の一つということができる。逆に、そういう実力を備えずに戦うということは、砂上の楼閣にいるようなものである。

『スーパー「速学術」』 黒川康正著 三笠書房より


最初に、「スランプに対して備えがあるというのも実力の一つである。」という命題が、提案されている。ここで、自分ならどういう風に議論を進めるのだろうと考えてみるのだ。まず、スランプというものの定義をしてもよいかもしれない、また、なぜスランプが起きるのかというスランプの原因を探索するかもしれない。そうして、それらのスランプの性質に応じた対策を述べるかもしれない。

それでは、著者はどう述べているのだろうか、著者が述べているのは司法試験を受けたときに、方法論という余分な科目を設定してそのおかげで、他の科目に予期せぬ問題が起きたときに切り抜けることができたことを述べている。最初の提案の実例だ。

次に第3段落で、なぜそのような方法が良かったのか、その方法は他の分野にも通じる普遍的な方法ではないかなど、スランプに対する備えをすることの一般化をしている。

つまり、自分の予想と違って、著者のスキーマは「提案」-「実例」-「一般化」という構造をしていたのだ。自分の予想とまったく違っていたが、違っていたからこそ、著者の論の進め方をスキーマとして浮かび上がらせることができる。

もっとも、どんな本もいちいちこういう読み方をしていては面倒だが、ひまなときにひとのスキーマをもらってため込んでおくのもいいことだ。
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by tnomura9 | 2008-12-22 19:01 | 考えるということ | Comments(5)

推論を意識して読む。

推論の一番の特徴は何だろうか。それは、前提から推論された結論が目に見えないということだ。

山の上から立ち上る煙を見て、山の中で火が燃えていることを推理することができる。しかし、この場合、前提となる煙は見えているが、火が燃えているところは見えない。また、病気の診断にしても、犯人の推理にしても、病原菌や真犯人など推論による結論は目で見ることができない。それに比べて、前提の方は、病気の症状や証拠物件のようにはっきりと目にすることができる。

論理がややこしい文章を読むと、混乱して内容が把握できないことがあるが、目に見えるか見えないかという前提と結論の特徴を知っていると、頭を整理することができる。

たとえば、次の例文を検討してみよう。

 また、私はよく昼食をとりながら人に会ったり、簡単な打ち合わせをする。時間を有効に使う上では、昼食に取られる時間もばかにならない。それをどう設定するかによって、仕事の効率に差が出てくるからだ。私の事務所では昼食時間を午後一時からにしているが、それも理由があってのことだ。
 多くの会社は12時から1時までが昼休み時間となっている。このため、この時間帯はどの食堂やレストランも、昼食をとるビジネスマンやOLで満員になる。ちょっとでも遅れていくと、席が空くまでまたされるし、座れば座ったで、料理が来るまでやはり待たされる。
 そこで私は、昼食時間を1時間ずらしている。1時ならば多くの会社の昼休みが終わるので、席も空いている。調理場のほうも一段落するので、料理が来るまでそれほど待たされることもない。その時間の余裕で、何か他のことをする余地も生まれるというわけである。

『スーパー「速学術」』 黒川康正著 三笠書房 より

最初の段落で、著者は食事をとりながら仕事をして時間を節約しているという。とくに、著者の事務所は昼食時間が午後1時からになっている。

推論しながら読書するという立場からは、この、「昼食時間が午後1時になっている」というのが前提と考える、著者の事務所でそう規定されているからだ。山に立ち上る煙の場合の、煙が見えている状態にあたる。しかし、なぜそういうことをしているのかというのは、ここまでの記述では見えてこない。

この前提からどういう推論がなされるのかというのを考えながら、後半の記述を読むと、集中する昼休み時間に時間差をつけることによって、食堂の混雑を回避できるという理由が分かってくる。つまり、この部分が山に立つ煙を見て推理できる山の中の焚き火にあたる。

このように、「見えるか、見えないか」という基準で、記述のなかの前提と推論を区別することによって、その中の論理的な関係を浮き上がらせることができる。それによって、文章の論理構造がより明確に認知されるようになる。

目に見えるものは直接的な体験で幻覚でもなければ、その存在は保証される。目に見えない推論のほうはそうではない。1時過ぎたらレストランの客が少ないだろうという推測は、それを体験しない限りは保証されないのだ。

文章にすると前提も推論の結論も同じ文字で表現されているので、論理的に込み入った文章になるとそれを区別するのが難しくなる。そのさいに、これは目に見える直接体験なのか、目に見えない間接的な推測なのかと意識しながら読むとよい。

「見えるものは前提、見えないものは推論」という簡単なルールは、論理的な文章を読むときに使い回しのできる便利なツールだ。
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by tnomura9 | 2008-12-20 14:55 | 考えるということ | Comments(0)

二分思考

人間を良い人と悪い人に分けてしまうような二分思考は、思考の柔軟性や現実性を奪ってしまう可能性があって危険だが、参考資料をすばやく読んだり、新しい知識を速く習得したいときは便利な場合がある。

学習というと、参考書を読み込んだり、重要事項を暗記したりというイメージがあるが、試験のある学生時代ならともかく社会人の場合は知識の獲得よりは、どう利用できるかのほうが大切になる。こまかい情報はどこにあるかを知っていて、検索できれば十分だ。参考資料の内容の厳密な習得よりも、概要をできるだけ速く理解することのほうが重要になる。

理解という言葉は抽象的でどんな条件を満たせば理解したと言えるのかと問われると困るが、実務上は必要な情報を検索して利用することができることと定義することができるのではないだろうか。したがって、目先の問題に対して有用な解決法の候補を想起できないといけない。

ところで、記憶の中に蓄えられている情報を想起するときは、簡単な構造のものが想起が楽だ。冒頭に述べたような人をよい人と悪い人に分けるような二分法は構造が最も単純で明確だ。この単純明確さを利用しない手はない。

たとえば、高血圧について調べているとしよう。高血圧というキーワードだけでは漠然としているが、これを「高血圧は良いか悪いか」という問いで、二分思考を使うと、「高血圧は悪い」ということになる。また、高血圧を「原因」と「治療」に分ける方法もある。さらに、「原因」は「原因不明の一次性高血圧」と「ホルモンの異常などが関与する二次性高血圧」に分けれられる。また、「治療」のほうも「食事や運動のような一般療法」と「薬物療法」に分けることができる。

このように、二分思考を次々に適用していくことで「高血圧」という漠然としたキーワードから必要な情報にアクセスしていくことができるようになる。これは、二分思考が、いろいろな事態を正と反の二つの場合に完全に分類してくれるという分析性と網羅性の二つを兼ね備えた効率的な思考の道具だからだ。

二分思考によって引き起こされやすいステレオタイプな硬直した思考にさえ用心していれば、これは、新しい知識の理解と想起のための切れ味の良い道具になってくれる。
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by tnomura9 | 2008-12-19 07:50 | 考えるということ | Comments(0)

分割する

参考書の段落をさっと見て内容が理解できるだろうか。

ふつうはできない。同時に把握できるワーキングメモリーの数は高々7つだからだ。マジカルナンバーセブンは記憶というより認知に関する現象なので、一度に認知できるのがせいぜい7項目しかないということなのだ。ひとつの段落に現れる単語の数は7個をはるかに超えているので、一瞥で段落の内容を理解することはできない。

下線を引いたりしてマーキングをする目的のひとつは、この一度に認識しなければならない項目数を減らすことだ。また、一度に7つしか認識できなくても、階層的に連想を作っていけば何項目でも認知することはできる。ノートの取り方が階層的になるのはそのためだ。

したがって、段落の内容を理解しようとすれば、まず部分に分解しなければならない。段落の文章を最初から順に読んでいくよりも、段落の内容を7つ以下の部分に分割するにはどうすればいいかと考えながら読んだほうが、読解が楽になる。

段落を読もうとするときは、まず分割することを考えるほうが効率的だ。
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by tnomura9 | 2008-12-18 13:02 | 考えるということ | Comments(0)

頻回に読み返す

読書は、下線などを使って読み解くことよりも、一度読んだ個所を頻回に読み返すことのほうが大切だ。

その際、細かい内容を思い出そうとする必要はない。下線や、番号を使ってマーキングした場所を俯瞰的に眺めながら、それらのマーキングの意味を考えるのだ。

たとえば、マーキングが一つの主題を分類しているのか(並列関係)、論理的な連鎖で記述されているのか(直列関係)、どの部分が主要なテーマで、どの部分が派生的なものか。自分が必要としている情報がどの部分に書いてあるのか、さしあたって利用する可能性はないが、面白そうなところはどこかなどだ。

このときに、必要なのは、論理的な検討よりも、その記事を眺めたときに感じる感情だ。重要だと感じたり、さしあたって必要ないと感じる場合もある。また、面白いもっと調べてみたいと思うこともあるだろう。たとえ、技術的な解説を読んでいるときであっても、その内容に感情的な色付けを行うことによってその知識の構造や意味が浮かび上がってくる。

読み返すときは、論理よりも感情を使って読むことが大切だ。
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by tnomura9 | 2008-12-17 08:08 | 考えるということ | Comments(0)

「なぜ?」はいつ使うか

本を読むときには、頭の中で概念やキーワードのシステムからなるチャンクを作っていくことで理解が進んでいく。

このチャンクを作る時に意識していないかもしれないが「なぜ?」とか「何?」などの問いを発することが重要な役割をもっている。これらの質問は、あるキーワードから別のキーワードへ連想を成立させるための、連想の方向性を決める働きをしているからだ。

この「なぜ?」という問いがなければ連想は成立しないといってもよい。「赤」と「リンゴ」という語を関連付けているのは、リンゴが赤いという関係あるいは意味だ。この「意味」を尋ねるのが他ならない「なぜ?」という質問なのだ。

チャンクの要素のキーワードは「意味」という連想の方向性で関連付けられているのだ。

それでは、文章を読んでいく時にこの「なぜ?」という問いはいつ発すればよいのだろうか。それは、段落の先頭で行われるほうが良い。段落の、最初の文章について「なぜ?」という質問を発すると、そのあとの本体となる部分となる文章からチャンクをつくりあげるのが楽になる。

次の例文は、『非線形科学』 蔵本由紀著 集英社新書の帯の部分の引用だ。

自然界の秩序はどのように生み出されているのだろうか。すべてのものがエントロピーを生成し崩壊に向かう物理法則のなかで、どのように、森羅万象が形づくられているのだろう?自然にでき上がる模様などのパターン、自ずと同期するリズムや振動 -- 実は、意思を感じざるを得ないような不思議な自然現象にも、複雑で手のつけようのなさそうな現象にも、明快な法則・能動因が潜んでいる。そして、非線形科学は、これまでの科学とは異なる視点から、その動的な機構を明らかにする。

この引用文の場合、冒頭に著者自身が「なぜ?」という問いを発している。自然界にみられる秩序やパターンを生み出す根源は何なのだろうか。物理法則の上からは、すべての現象がエントロピーを生成して熱平衡状態という崩壊に向かうのに、どうして、自然の中には森羅万象というさまざまな組織化がみられるのか。自然に見られる模様やパターン、リズムなどがどうして、単調なエントロピー増大の法則という物理法則から生まれ出てくるのだろうか。この組織化はなぜおきるのだろうか。何がこの組織化の原動力になっているのだろうか。

これらの問いを最初に発しておくと、この本の著述の目的が、自然界の複雑な現象のなかに、明快な法則と能動因が潜んでおり、非線形科学の手法がそれを明らかにしてくれるということを説明することだと分かる。

「なぜ?」という質問は子供でも使えるのに、その適用範囲は広く、抽象的な概念なのでなかなか用例として説明することができないが、とにかく、段落の冒頭の文について意識的に「なぜ?」という質問による検討をしておくと、後の文章がずいぶん読みやすくなる。チャンクを作るための連想の方向性をあらかじめ用意することになるからだ。
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by tnomura9 | 2008-12-15 06:11 | 考えるということ | Comments(0)