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考えるということの過去記事

「考えるということ」というタグのエントリーが150を超えてしまった。同じことを二度書かないように、過去記事のうち方法論について書いたものをリストアップしてみた。

思考力を高めるための方法はないかといろいろと本を読んだり、工夫をしたりしてきた。結局のところ、それは、「オッカムの剃刀」や「アレキサンダー大王の剣」のような本質的でない余分なものを削ぎ落とす単純化、多くの事象に共通するパターンを見つけ出す抽象化、論理をどううまく使うかということ、連想力や図形の認識力や外界のモデル化のような脳の機能をどう有効利用するかというようなことなどではないかと思う。要するに、複雑な構造物をどう分析し総合していくかということで、別に何も新しいことはない。

思考力を鍛える方法というのは、現在は個人の内観に頼っているようなところがあるが、将来は脳の情報処理機能が解明され、それに従った科学的な方法が出てくるに違いない。そうなったら、認識論のような哲学の分野も、科学的な説明に置き換わっていくのではないかと思う。

何が何だ
含意
飛ぶ矢のパラドックス
論理とは何か
論理哲学論考
『論理哲学論考』を読む
語りえぬものについては、沈黙しなければならない
論理哲学論考の文番号
失敗に学ぶ
マインドマップ
生涯ノート
空のマインドマップ
質問力
思い出し書き
本の線引きは謎を残せ
あれかこれか
学習法のまとめ
対比
KISS
時間
バカの壁
三階層で考える箪笥思考法
音読の勧め
どうして太陽は東から昇るのか
シャドウイング
究極の速読術、「要するに」
「である」と「ではない」
見ずに書く
感覚に注意を払うこと
記号論
チョムスキーの生成文法
事実と意見
連想力をつける
忘れる効用
アンカーを作る
意味論、統語論、語用論
パターンマッチ
学習とは何か
括弧思考法
細部にこだわる

役に立つ知識
フィンランドメソッド
「分ける」と「あつめる」
汎用的な道具
京大式カードの再発見
主語述語読み
名前
5W1H
脳内関所
なぜ
論理
コントロールとエフェクト
抽象化
2分岐
似たものの違いを探す
連想は2変数関数であるということ
著者の意図を探す
路線図ノート法
CPUとしての短期記憶
過去との関連性で読む
書評 - 「超」読解力
考える楽しみ
弁証法
書評 - カント『純粋理性批判』入門
ブラックボックス
誤解
思考の本質
シミュレーション
学習の戦略
くり返し
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by tnomura9 | 2007-05-27 16:54 | リンク | Comments(0)

くり返し

参考書のノートをA5カードに作成したものを何回も見返していたら、だんだん理解が深まってくるのに気がついた。

まるで、スポーツの要素技術の訓練のときに起きてくるような変化だなと思った。剣道の素振りなども最初は腕全体に力が入って動きがぎこちないが、練習を重ねるうちに力が抜けて、竹刀の軌跡もスムーズにかつスピーディーになってくる。こういった運動の巧緻化は小脳の働きだ。そこで、「小脳 情報処理」で検索したら、びっくりするような情報が引っかかってきた。

それはエイ・ティー・アール人間情報通信研究所の川人 光男さんが作ったロボットアームで、このアームを制御するコンピュータには、小脳の情報処理の仕組みを微分方程式の形で再現したプログラムが組み込まれている。このロボットは手のひらの上に1メートルの棒を立てて、倒れないように制御できる。

小脳には外界や運動をモデル化し、そのモデルによって運動の予測を行う機能があるそうだ、次の文章は元記事からの引用だ。
 仮説では、人間の小脳の新小脳(腹外側部)と呼ばれる部分に、人間のあらゆる行動や思考のミニチュアモデルのようなものがあるとする。棒を立てる場合、新小脳に棒の揺れ方をまねた内部モデルが作られ、新小脳がその内部モデルを使って揺れを想定し、その揺れに腕が対応するよう、実際の神経情報を流して筋肉を動かすのだという。

驚いたことに、小脳のモデルは、大脳の働きと思われていた思考のモデリングも行っているらしい。
 「サルが眼球を動かしたときに小脳の中を流れるパルス(短い電流)の数、人間が腕を動かしたときの筋肉の固さ、人間が複雑な思考作用に取り組んだときの小脳の血流などを調べた。その結果、こうした内部モデルが、従来は小脳の機能とされていた運動面だけでなく、大脳の仕事と見られてきた学習や言語、思考、コミュニケーションなど人間特有の脳の働きにも見られることが分かったのです」

知的な学習についても、運動の場合と同じようにくり返しによるモデルの洗練が行われているのかもしれない。そうであれば、くり返しによって、単に記憶の強度を増すだけではなく、記憶の構造の再構築による理解の深化が行われている可能性がある。
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by tnomura9 | 2007-05-26 07:07 | 考えるということ | Comments(0)

学習の戦略

高校生のころ、書店で『学習の戦略』という本を見つけて買った。米国の大学一年生へのオリエンテーション向けの本だったようで、参考書の読み方や、ノートのとり方などが詳しく書かれていた。

参考書の読み方では、いきなり本文を読まないように勧めていた。、最初に前書きや目次をよみ、ぱらぱらと本文のスキミングを行って概略を掴む。次に、概略から思いつく質問表を作成する。本文はその質問表に答えを探す気持ちで読んでいくという内容だった。とくに、その本では、質問を作るということの重要性を強調していた。そして、質問の答えが得られれば、必ずしも本文を読む必要はないと書いてあったのが意外だったことを覚えている。

残念ながら、高校生の管理人には、その技術を活用することはできなかった。質問表が作れないのだ。内容を全く知らないのにどうして質問表ができるのだろうと不思議でならなかった。結局、前書きも読まず、目次も跳ばして、本文にいきなり取り掛かる読み方で受験時代を過ごしたが、今考えるともったいないことをしたと思う。

大人になってみると、本を読む前の質問などいくらでも作ることができる。「この本から、何を得ようとしているのか?」、「この本の内容を100%理解したいのか、それとも、概略が分かればよいのか?」、「どのくらいの時間をかけて読み終わるつもりか?」、「すでに知っている知識はないか?」、「内容のどの部分が未知の部分なのか?」、「読んでいてなぜ分かりやすいと感じるのか、または、なぜ分かりにくいと感じるのか?」、「内容の論理構造は単純で、用語と内容の単なる一対一対応なのか、それとも、複雑な論理構造をしていて論理的な推論をしないと理解できないのか?」等々。

学習の戦略は問うことから始まる。答えはすでに問いの中に存在するといってもいいかもしれない。高校生のときに質問表が作れなかったのは、知識の答えとしての問いを作ろうとしたためで、大人になって、すらすら作れるのは、知識を獲得するための戦略を立てることができるようになったからだ。

しかしながら、実を言うと大人になっても高校生と同じにいきなり本文を読んでいることが多い。本を読む前に考えるというのは、精神エネルギーの消耗が激しいようで、つい億劫になりがちだ。また、質問をしない理由の二つ目は習慣だ。事前に考えるという習慣がついていないためだ。管理人の場合、大人になっても事前に段取りをつけたことはあまりない。習慣的に行動しているうちにたいていの仕事はさばけていっているからだ。

高校生に限らず、大人になっても、まず問いを発するという習慣をつけることが大切だ。
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by tnomura9 | 2007-05-25 07:26 | 考えるということ | Comments(0)

シミュレーション

真っ暗闇で階段を下りたことがあるだろうか。あれば、あると思っていた最後の段がなくて転びそうになったことはないだろうか。人間は、歩くという単純な動作についても、外界のモデルを作り、予測しながら運動を調節しているようだ。言い換えると、まず、頭の中で自分の歩行のシミュレーションが先におこなわれ、その後で動作はそれをもとに行われているようなのである。

新しい知識を勉強しているとき、最初は雲をつかむようで分かったような分からないような気分だったのが、しばらく時間を置くと、突然はっきりと分かってあらゆるものが落ち着くべきところに落ち着いているような気がすることがある。これもひとつのシミュレーションだ、知識のモデルが頭の中にできているのだ。その証拠に、知識がこのような状態で組織化されていると、いろいろな状況でどういう風な変化がおきるだろうかということを予測することができる。

このような、知識のモデルをどのようにすれば、頭の中に効率的に作成することができるかということは分からない。しかし、アルキメデスの「ユーレイカ」ではないが、「あっ、分かった」という体験をするときは、このようなモデルが生まれた瞬間のような気がする。

たとえば、一点から発した二本の半直線に内接する半径 r の円を作図する方法を考えるとする。

内接円の中心は、角の二等分線上にあるから、まず、頭の中で角の二等分線を引く。そうして、その二等分線上を円の中心を移動させることで内接円がいろいろと変化していくのを想像しているうちに、その半径が r になるのはどんな場合かを考える。それは、直線の一つと円の中心との距離が r である場合だ。

そこで、今度は直線との距離が r になるような点の軌跡はどうなるのかを頭の中で実験してみると、突然それは、直線との距離が r の平行線であることが分かる。それなら直線の一つから垂線をひき、直線からの距離が r の垂線上の点を通り直線と平行な線を引けばよい。この平行線と先ほどの角の二等分線との交点が求める円の中心になる。

また、何かの本で、「アインシュタインが重力で光が曲がるのを発見したのは、自由落下するエレベーターの中で直進する光の軌跡を外から観察したらどのように見えるかという思考実験をしたからだ。」というのを読んだだことがある。

最近はコンピュータシミュレーションで、仮想現実的なゲームもできるようになったが、人間の脳コンピュータも、微分方程式なしでこのようなモデルを作ることのできる優秀なシミュレーションプログラムを持っているようだ。
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by tnomura9 | 2007-05-21 07:34 | 考えるということ | Comments(0)

思考の本質

思考力は大切だが、世の中にはいろいろな思考力がある。文系の思考力があり、理系の思考力がある。交渉ごとを纏め上げる思考力と数学の定理を発見する思考力はまったく別のもののように思われる。しかし、これらは、やはり、思考力というひとつの範疇の中に属すると考えられている。それでは、一体思考の本質とはなんだろうか。

思考力の例としてよく挙げられるのが、将棋や囲碁だ。自分がどういう手をとったときに相手はどう対応するかということを予想し最も有利な方法を考えて決断する。

しかし、もっと単純な形で思考というものの性質を見せてくれるのが、Windowsのおまけについてくるフリーセルという一人遊びのトランプゲームだ。だれでも一度は遊んでみたことがあると思うのでルールの説明は省略するが、これが、思考というものの性質を目に見える形で表してくれる最適な例のような気がする。

ゲームの目的はトランプのカードを一定のルールで重ねていき、全てを上のスタックに挙げてしまうことだが。このゲームを続けるには、必ずどれかのカードを移動させないといけない。一枚または一重ねのカードを移動するたびに、ゲームの状況は変化する。あるカードを動かしたときどういう状況が発生するか推測し、それが手詰まりになってしまわないように判断しながら、次々にカードを移動させていくのだ。

つまり、思考の本質とは、思考の対象に操作をくわえることで、目的とする状態をつくりだすことなのだ。その際、ある操作をおこなったら、対象にどういう変化が起こり、その状態が望ましいものであるかを予測し、その操作を行うか否かを判断する必要がある。

結局のところ、思考は、

1) 思考の対象に加えるある操作を仮定する
2) その操作が起きたときにどういうことがあるかを推測する
3) その状態の変化が望ましいものであるかを評価する
4) 判断が好ましいものであればその操作を実行する。そうすると対象の状態が変化するので、1)の手順を繰り返す。

という、仮定ー>推測ー>評価ー>実行の手順をくりかえしているだけなのだ。推測や判断に背景になる知識や経験が必要なので、いろいろな種類の思考があるようにみえるが、本質は上の4段階の繰り返しだ。

人の思いつかないような仮定を見つけるのが創造的な思考だろうし、推測が正確なのが論理的思考で、評価が妥当なのが思慮深い判断で、実際に実行するのが決断力だろう。おのおのの段階で得手不得手があるだろうが、このように4段階に分けてみると、自分の思考力の癖のようなものがよく分かる。
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by tnomura9 | 2007-05-18 01:39 | 考えるということ | Comments(0)

難問

受験勉強で難問にぶち当たったときどう考えるだろうか。

「こんな難しい問題を解かないと合格できないのか、また、解き方を憶えないといけない。」と胃が痛くなる思いで考えるだろうか。

それとも、「こんな取り付く島もないような難問が解けるのだ、どこからアプローチしてみようか。」とわくわくするだろうか。

義務感から勉強しても喜びをあまり感じられないし、消耗が激しい。問題解決のために思考することそのものが楽しいと感じることができれば、勉強そのものが目的となる。勉強法で最も効率に影響するのは、ノートのとりかたや、記憶法ではなく、実は、モチベーションをいかに維持できるかということなのだ。

自分にモチベーションを高めさせるにはどうすればよいのだろうか。それは、徹底して考える習慣を作ることだ。極力記憶に頼らず、納得するまで考えることだ。人間の探索行動は本能的なものなので、記憶を強要されるのと違って、それ自身が目的になる。自分の探究心を喚起してやるとあとは放っておいても学習は進行する。

受験数学では、短期間に問題が解けるようにするために、解き方を暗記することを奨励しているが、これが、受験生の考える力を奪い、現在の教育荒廃の原因のひとつになっているような気がする。効率化は産業としては正論だが、リストラと同じで成長力を著しく損なう危険性があるのだ。短期的な利益は得られるが、長期的には衰退の原因となる。

このように、個人の勉強については問題を解くことそのものに対するモチベーションを高めるのが大切だが、企業の場合も同じことが言える。企業再建の記事を読むと、要となっているのは従業員のモチベーションの向上だ。モチベーションが高まった企業は、企業全体が考え始める。モチベーションは形には表れにくいが、奇跡の回復の原動力だ。間違えやすいが、報酬だけではモチベーションは高まらない。自分が発案したことが企業に採用され、効果を挙げるという参画感がモチベーションを高めるのだ。
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by tnomura9 | 2007-05-17 06:05 | 考えるということ | Comments(0)

頭が良くなる方法があるか

管理人が、面白くもない「考えること」というテーマで、だらだらとブログを書いているのは、トラウマがあるからだ。実は、高校のときは工学科系の研究者になりたかったのだが、数学が 24 点だったのであきらめたのだ。

しかし、わけの分からない記号や、方程式や、理論の話を聞くと血が騒いで仕方がない。なんとか、自分にも分かるようになれないか、普通の頭を鍛えて、良い頭にするにはどうしたらいいだろうかと本屋やネットをさまよっている。

年もとってきたので、「そんな都合の良い方法はない」というのも分かってきた。アマチュア数学者が自分の人生と財産をすべてつぎ込んで誤解を生産するような愚は冒さないだろう。野球でもプロと草野球の差は歴然としている。また、頭が良くても、金は稼げないことも見聞きしてきた。

それでも、頭の良さにあこがれる気持ちが減ってはいない。なんといっても格好いいではないか。他の人には見えないものがありありと見える心地よさはどんなものだろう。やっぱり、頭がいいというのはきっと楽しみが多いに違いない。

そんなことを考えながら、いま、レンジで暖めたパックの白米に生卵と醤油をかけて食べている。
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by tnomura9 | 2007-05-16 08:10 | 考えるということ | Comments(0)

誤解

今、二人の人間が言葉を使ってコミュニケーションをとっているところを想像しよう。発信者のほうは自分の頭の中にあるアイディアを、言葉という形に符号化して発信する。受信者は、その言葉を受け取って、言葉の意味を解読し発信者が何を伝えたかったかを知る。

この際に発信者と受信者が共有しているのは、言葉という記号だけだ。記号というのは、音声であれ、文字であれ、図形であれそれ自身が意味を持っているわけではなく、自分とは違う何かの意味を指し示している。記号論では、言葉などの記号そのものを「記号表現」、その記号が運ぶ意味を「記号内容」として区別している。

(注: ソシュールはシニフィアン(記号表現)を記号そのものではなく、音声や文字などの記号を言葉として認識する人間の脳の中のパターン認識の意味で使っているが、現在は記号そのものを「記号表現」としている文書が多いようだ。ここでも、記号そのものを「記号表現」と呼ぶことにする。)

つまり、発信者と受信者が共有できるのは、言葉という「記号表現」だけなのだ。発信者が言葉にこめた意味と、受信者がそれを解釈して理解した意味とが同じものであるという保証は全くない。

もちろん、言語の体系という暗号解読システムを両者が共有していれば、言葉によるコミュニケーションが成り立つわけで、受信者のアイディアと、受信者の理解の間に何の関連もないと考えるのは極端な考えだ。しかし、それも良く考えてみると、発信者の持つ暗号システムと、受信者の持つ暗号システムが完全に一致することはないだろうことはすぐに分かる。

一般的な言葉の使い方の範囲であれば、発信者と受信者の言葉の意味の理解が一致しているといえる場合が多いかもしれない。しかし、一般的な言葉では言い表せない抽象的な内容を言葉にしようとすると、発信者と受信者の言葉に対する理解を一致させることがかなり困難であろうことは想像できる。

おそらく、発信者から受信者への一方的な記号による伝達は、かなりの誤解を含んでいる可能性が高い。本を一冊読めば、読者はかなりの量の誤解を抱え込むことになる。

それでは、言葉という、本質的に誤解を含みやすい媒体を使って、発信者と受信者の意味理解をすり合わせるにはどうしたらよいだろうか。それは、受信者から発信者へのフィードバックを行うことである。発信者の発言にたいし、受信者が自分の理解を述べ、それに対して発信者が返答するというサイクルを繰り返すことだ。

それでも、両者の間の誤解は完全には解消しないかもしれないが、実用的といえるところまでは、言葉という「記号表現」に、意味という「記号内容」をあまりずれがないように付与することができるだろう。

このように、発信者と受信者がすぐに言葉をかわせる近しい関係にあるときはフィードバックは有効な方法だが、しかし、独学のようにそうできないときはどうすればよいのだろうか。

独学の場合は発信者と受信者のフィードバックは不可能に近いので、同じ言葉を扱った資料をたくさん読む必要がある。同じ言葉に対し、いろいろな人の意見を読んで、その意見と自分の理解との比較を通じて真の意味を推測するしか方法がないのだ。それでも、直接のフィードバックにかなうものではない。独学が効率が悪いのはそのためだ。

いずれにせよ、本を一冊読んだとき、自分が大量の誤解を抱え込んでしまったのかもしれないと用心することは、有益なことだ。
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by tnomura9 | 2007-05-14 22:24 | 考えるということ | Comments(0)

マイナスのマイナスはなぜプラス?

負の数を引き算するとなぜ正の数の足し算になるのか。

1 - (-2) = 1 + 2 = 3

になるのはなぜだろうか。これも 0 の性質を利用すると説明できる。

(-2) - (-2) = 0 ..... 同じ数を引くと 0 になるから
一方、
(-2) + 2 = 0 ........ 負の数の定義から
したがって、
(-2) - (-2) = (-2) + 2
おなじものから (-2) をひいたものと、2を足したものは同じ値になるので、
- (-2) という操作は + 2 という操作と置き換えることができる。同じ議論は他の数でも行うことができるから結局負数を引く操作は正数を足す操作とおなじである。

これを「借金が減れば、財産が増えたのと同じことになる」というアナロジーや、数直線上の点の移動として説明してもよいかもしれないが、なんとなく分かったような分からないような気分が残る。あっさり、そんなものとして覚えてしまったほうが、かえって良いのかもしれない。

アナロジーによる説明は、分かりやすいようでいて誤解につながる危険性が高いのではないだろうか。極力アナロジーを使わずに直接的な説明をすることが大切だと思う。
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by tnomura9 | 2007-05-13 20:35 | 話のネタ | Comments(0)

マイナス×マイナス

知っているようで知らないこと。その2。マイナス×マイナスがなぜプラスになるか。

まず、(-1)×(-1) = 1 を証明する。

(1 + (-1))×(-1) = 0×(-1) = 0
したがって、
1×(-1) + (-1)×(-1) = 0
-1 + (-1)×(-1) = 0
よって、
(-1)×(-1) = 1

任意の負数×負数が正数になることの証明

任意の正数 a, b について、
(-a)×(-b) = (-1)×a×(-1)×b = (-1)×(-1)×a×b = a×b
よって、
(-a)×(-b) = a×b

管理人も、マイナス×マイナスがなんでプラスになるのか分からずに随分悩んだほうだ。借金に借金を重ねて財産になるわけがないと納得がいかなかった。結局分配法則を負数に拡張すると自然に導かれる結論なのだが、上の議論くらいなら中学生にだって分かりそうなのに、どうしてはじめから教えてくれなかったのだろう。

数の世界が先にあって、その中に計算法則があるのを発見するというのが通常の考え方だが、数を自然数から、負数、実数、複素数と拡張していくときは、逆に、計算法則が成り立つように数の世界を作っていく。数と計算法則の関係の逆転現象が数学らしくて面白い。

数学の面白さは、こういう、視点の「コペルニクス的回転」が随所で見られることだ。数学の証明を追っていくのは面倒だが、視点を変化させることで、複雑なことが単純化されたり、思ってもいなかった世界が開けていくというセンスは、一般のことにも応用できそうな気がする。

しかし、何で負数にも分配法則が成り立つのだろう?
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by tnomura9 | 2007-05-12 03:57 | 話のネタ | Comments(0)