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「分かりやすい表現」の技術

『「分かりやすい表現」の技術』 藤沢晃治著 講談社ブルーバックス を読んだが分かりやすかった。

第1章で、町にあふれる分かりにくい矢印や、案内板、NTTの何度読んでも分からない通知書などの例を挙げて、どうしてそれが分かりにくいのか、どうすれば分かりやすくなるのかを解説してあるので、分かりやすい表現の大切さに気づかされる。

第2章では、分かるということの本質が、知識の構造化であることを解説してあるが、やや抽象的で難しい感じがした。しかし、次の章で論じられている分かりにくい表現の各論について読むときに、わかることの本質とは何かを書いたこの章を読み返すと、その各論の意味が明確になる。

第3章は各論だ、分かり難い表現が生まれる理由16項目について、具体例と改善例を示しながらその意義を解説してある。

第4章は、「分かりやすい表現」のルールブックだ。チェックリストの形式になっていて、自分が作成した案内文書をこのリストでチェックしていくことによって、自然に問題点が浮かび上がり「わかりやすい表現」に変えていくことができるようになっている。このルールブックのリストの順番は第3章に解説された16項目の順番と同じになっており、チェックリストの意義は第3章を読み返すことですぐに思い出すことができる。

つまり、「問題がどこにあるのかに焦点をあてる」、「問題の本質となる情報の構造は何かを考える」、「問題を適切な大きさの部分構造に分ける」、「そのおのおのについて対策をたて、実行する」という手順を辿ることで自然に問題と対策の「分かりやすさ」に到達してしまうのだ。

本書は分かりやすい表現をするための方法の解説だが、分かり難い情報に接したときの料理法にも使える。

知識の構造に気がつくことが「分かる」ということなのだ。
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by tnomura9 | 2006-11-30 07:56 | 考えるということ | Comments(0)

汎用的な道具

知識の習得をするときに、汎用的な道具を持っていると便利だ。

汎用的な道具とは、プログラムの場合で言えば、構造化プログラミングとかオブジェクト指向とか言うものだし、生物学では、シグナル伝達とかレセプターというものがある。

生物の体の中では様々な化学反応が起きているが、レセプターという観点から眺めると、ホルモンもそうだし、発がん物質も、神経活動や、免疫、炎症、はては、インフルエンザの感染のメカニズムもレセプターという観点で統一的に眺めることができるので、次になにが起こるのかという予測が立ちやすい。

知識の習得の際に予測をたてて、その予測が実際と一致したのか、外れていたのか、そうであれば、なぜそうなったのかについて考えるということは効果がある。そのときに頼りになるのが、このような汎用的な道具なのだ。

汎用的な道具は、概念だけではない。起承転結などの文章を組み立てるときの型も、汎用的な道具として活用することができる。

また、フィンランドメソッドの宣伝になってしまうが、この文章を組み立てるときの型の重要性に気がついて意識して訓練しているところが面白い。

話は変わるが、フィンランドの小学生の国語教科書を翻訳したものを読みながら、どうしても違和感がとれなかった。そうして、それは、答えを出すという形式になっていないからだということに気がついた。あれはこれという書き方ではなく、これについてどう思うのかみんなで考えるにはどうしたらよいだろうというような書き方で、なんとなく居心地が悪い。いかに自分がプロセスではなく結果を求めるという考え方に染まっているのかが分かった。

こういうところから、他の人の話を聞かない、自分の結論が絶対だと信じてしまうというような、考えの癖が起こっているとしたら、ちょっと考え直さなくてはならない気がした。
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by tnomura9 | 2006-11-18 07:36 | 考えるということ | Comments(0)

ブログノート法

興味のある記事を思いつくままに書いて、出典のページをハイパーリンクしていったら。これが、究極のノート法ではないかと気がついた。ついにパソコンが紙のノートを超えた瞬間だ。

記事の本文は自分の頭の中にある考えだ。それに参照元のリンクをすることで、記事の信頼性と広がりをつけることができる。

学習の難しさには2種類あると思う。ひとつは数学を学習するときのように、論理や概念の抽象化に苦労する場合。もうひとつは、大量の情報を有機的に把握しなくてはならない場合だ。前者は徹底的に考えるしかないし才能の差がはっきりしている気がする。しかし、後者の場合は、いかに広範で正確な情報の収集し、それを有機的に組織化するかということだから、根気があればなんとかなるのではないだろうかと思う。ただ、問題は膨大な量の情報をどこに置くのかということだ。

パソコンの最も重要な利点は、情報の圧縮ができるということだ。分厚い文書もハードディスクの中に納まってしまうし、ネットにアクセスすれば、膨大な情報が利用できる。しかも、ひざの上のノートパソコンで瞬時に取り出すことができるのだ。

さらに、ブログをノートに使う利点は二つある。ひとつは、自分のノートを読んだり修正したりするのにパソコンを選ばないということ。手元にあるどのパソコンでもアクセスできる。もうひとつは、広大なネットの情報に簡単にハイパーリンクできるということだ。

リンク集だけを使っていたときはあまり利点を感じていなかったが、自分の書いた記事にハイパーリンクすると自然に組織化され、読み返すときも読みやすいのに気がついた。ブログに記事とハイパーリンクのパターンはしばらく試してみる価値があるようだ。問題はハイパーリンクしたくなるような良質のページがネット上に存在するかということだが、この点では、日本語のページはまだまだのようだ。しかたなく英語のページをリンクしなくてはならないことも多い。Wikipediaのようなサイトがどんどん増殖してくれるといいと思う。
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by tnomura9 | 2006-11-17 00:13 | 考えるということ | Comments(0)

フォスファチジルイノシトール

リン脂質はグリセロールという3価のアルコールに、二つの脂肪酸と、リン酸化合物がくっついた形をしている。動物組織のフォスファチジルイノシトールの場合、グリセロールのsn-1の位置にステアリン酸、sn-2の位置にアラキドン酸、sn-3の位置にリン酸基を介してイノシトールがついている。リン酸は3価の酸なので余ったひとつの酸素は電離して負の極性を持っている。フォスファチジルイノシトールは脳の組織に特に多く、リン脂質の10%を占めるが、広く他の組織にも見られる。

親水性のリン酸化合物と疎水性の脂肪酸は反対の方向を向いているから、リン酸化合物の頭に脂肪酸の2本の足がくっついた尻尾の二つあるおたまじゃくしのような形をしている。この両親媒性のおかげで、リン脂質を水の中に入れると脂肪酸を内側に、極性基を外側に向けて、二重層の生体膜が自然に出来上がってしまう。今流行の自己組織化というやつだ。そうしてできた脂質の膜に、チャンネルや、レセプターなど、生体機能をもったたんぱく質が浮かんでいるのが、細胞膜の風景だ。

水に入れるだけで勝手に細胞膜が出来上がってしまうというのは、それだけでエキサイティングな現象だが、リン脂質の機能はそれだけにとどまらないことが最近分かってきている。

実は、膜のリン脂質は細胞の外側と内側で種類が違うのだ。フォスファチジルイノシトールは内側に多く、外側はスフィンゴミエリン、フォスファチジルコリンが多い。フォスファチジルイノシトールは内側を向いているので、細胞質の機能と関係が深い。

フォスファチジルイノシトールではイノシトールがリン酸基を介してグリセロールに結合しているが、イノシトールは炭素6個の環状構造をしており分子サイズが大きいので、細胞膜表面から突出して細胞膜のランドマーク的な働きをする。このランドマークにいろいろなたんぱく質がPHドメインを介して結合するため、フォスファチジルイノシトールはたんぱく質を膜に係留するアンカーのような働きをしているのだ。

たんぱく質を細胞膜に接着させる利点は3つある。ひとつは酵素反応の場を提供するということだ。たった一つの酵素だけは意味のある生化学反応が行われることはなく、多くの酵素による反応を経て、はじめて、生理学的に有意義な生化学反応がおこる。細胞膜に関連のたんぱく質を集合させることによってこのような反応が効率的に行われると考えられる。

第2は酵素が細胞膜の内側に接着することで、受容体を介して細胞外からの刺激を受けることができるということだ。シグナル伝達の最初の段階が細胞膜の直下で行われることは効率から言っても当然といえる。シグナル伝達系のシステムは複雑で必要以上にリン酸化のカスケードが並んでいるように思えるが、それは信号の増幅や調節に役立っている。

第3の利点は、フォスファチジルイノシトールそのものを分解することで、イノシトール3リン酸やジアシルグリセロールというセカンドメッセンジャーを作り出すことができるということだ。細胞膜そのものが原料となるので、セカンドメッセンジャーの作成は迅速に大量に行うことができる。

このように、フォスファチジルイノシトールは、たんぱく質を細胞膜に接着させるために重要な働きをしているが、それだけでなく、シグナル伝達に欠かせないことが分かってきた。フォスファチジルイノシトールがシグナル伝達に関係する様式は三つある。

ひとつはPLCによってPIP3がPI3とDAG(ジアシルグリセロール)という2つのセカンドメッセンジャーに分解されることによってシグナル伝達を促進するということである。PI3は小胞体のPI3受容体に結合することによって、多様な反応のセカンドメッセンジャーとなるカルシウムイオンを爆発的に放出させる。また、DAGはPKCを活性化させシグナル伝達を促進する。

もうひとつはPI3キナーゼを介する経路で、リガンドと結合した受容体で活性化されたPI3キナーゼによってPIP2(フォスファチジルイノシトール-4,5-2リン酸)がリン酸化されてPIP3(フォスファチジルイノシトール-3,4,5-3リン酸)になると、これがAktと結合してAktを活性化しがん細胞の増殖を促進する。また、PTEN蛋白はPI3キナーゼとは逆に、PIP3のリン酸基をひとつ取り去ってPIP2に変化させ、Aktが細胞膜に接着するのを防ぎ、癌の増殖を抑制する。

三つ目は、フォスフォリパーゼA2によってフォスファチジルイノシトールからアラキドン酸が遊離されると、それを元に、生理活性のあるプロスタグランディントロンボキサンロイコトリエンなどのエイコサノイドが作られる経路だ。

細胞のシグナル伝達すべてにフォスファチジルイノシトールが独占的に関与しているわけではないだろうが、シグナル伝達を理解するうえでPIP3が重要なターゲットであることは疑いない。
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by tnomura9 | 2006-11-16 08:04 | リンク | Comments(0)

教育基本法

フィンランドでは、教育費は鉛筆から消しゴムにいたるまで無料だそうだ。教育費をとらないのではなく「とってはいけない。」そうなのである。

習熟度別クラス編成は廃止され、「様々な個性の生徒集団」を同じ教室で教えている。授業に参加しない子供がいても、ひどく叱られる事はない。先生は子供の特性に応じて、最も効果的な方法をとる。

他人と点数を比較するようなテストはなく、成績はあくまでも個人の習熟度に対してつけられる。また、個人の知識を増やすだけの教育を目指すのではなく、問題を解決する能力を育てる。それも、他とのコミュニケーションや共同作業をつうじて、個人の能力も伸ばしていくのである。

知識は中立のものではなく、ただひとつというものでもなく、しかも、社会的な脈絡の中で作られるものだという「社会構成主義」の考え方だ。個性は尊重され、しかも、他の個性との調和を図りながら、問題解決の能力が育てられていく。

こんなうそのような教育がフィンランドでは行われ、OECDの学習到達度テストで世界一の成績を納めているのである。フィンランドの教育関係者がしばしば語る言葉は、「教育というボートに乗った子どもは一人たりともボートから落とせない。」というものだそうだ。

福田誠治著、『競争しなくても世界一 フィンランドの教育』を読むと、フィンランドの教育法に触れた日本の教育現場の衝撃と日本の教育を変えていきたいという情熱が感じられる。

騒がれている教育基本法の改正のニュースを聞くと、愛国心ばかりが報道され、世界の教育の進歩がどのようなものか、日本の教育をどうすればよりよいものにすることができるのだろうかという現場サイドの話が全く見えてこない。有識者による教育審議会というものの実力を疑いたくなってしまう。高度に専門性の必要な教育という分野に、知識も経験もない素人が思いつきで発言しているようにしか見えないのである。

行政は現場の実態や意欲を無視して、机上の空論を現場に押し付けるのではなく、むしろ、日本の教育を、子どもたちをよりよく育てることのできるものに変えていきたいという、現場の情熱を援助する立場に立つ必要がある。

子供たちから夢を奪い、大量の自殺者や、不登校や、ニートを作り出す今の教育制度は、市民フォーラムでやらせの質問を仕組む文部科学省を含めてシステム疲労の状態にある。自立的に学習する子供を育てることや、親の経済状況に関係なく能力に応じて高度な教育をうける機会を平等に与えることは、強要された見せ掛けの愛国心より、ずっと国の安全保障に繋がるのではないだろうか。
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by tnomura9 | 2006-11-13 23:10 | 話のネタ | Comments(0)

思考力の二つの要素

管理人が脳や学習法に興味を持ったのは、数学がどうしてもできなかったからだ。どうして、級友はやすやすと問題を解くのに、自分には解けないのか不思議で仕方がなかった。級友の思考方法と自分のそれとどこかが違っているに違いない。そのどこかが分かれば、自分も数学ができるようになるのではないかと思って発想法の本などを読み漁ったが、はっきりした答えは得られなかった。

一口に思考法といっても、どうするかという方法論はいろいろあるが、そもそもそれが何であるかとはっきり示したものに出会ったことがない。思考法というものがあいまいな証拠に、全ての分野で優秀な人というのはいないし、頭の切れるひとが、必ずしも事態を収拾できるわけではなく、他の人の方がうまくやってしまう事例も多い。

それでも思考することが大切なのは明らかで、考えないで問題解決はできないのだ。したがって、有効な思考法をもつということの重要性は強調されすぎるということはない。

それでは、思考の本質とはなんだろうか。それは、問題解決のために迂回路を見つけるということだ。直球で問題が解決できれば、思考が必要になることはない。直球で問題が解決できないからこそ、迂回路を探さなければならないのだ。

さらに、迂回路の候補を挙げるだけでなく、そのうちのどれが解決に結びつくのかを評価できなければならない。そのさいの有力な武器となるのが論理力なのだ。論理力というと三段論法などの論理法則を思い浮かべるかもしれないが、それだけでは、役に立たない。論理の本質とは、起こりえる全ての可能性について検討することなのだ。

たしかに、全ての可能性を考えると無限の選択肢ができてしまうので、きりがない。したがって、そのうちの起こりえない可能性をすばやく消去することは必須だ。しかし、その枝刈りの過程で解決に結びついたはずの選択肢を捨ててしまうこともある。数学が得意でも、現実の問題の処理に失敗する例がある理由だ。孫子の「算多きは勝ち、算少なきは負ける。」という言葉は含蓄がある。

結局、思考力とは、問題解決のための選択肢をできるだけ多く考えつく能力と、そのうちから、解決のために必要な選択を適切に選ぶことのできる能力の二つの要素からなっていることがわかる。この二つの要素に注目していろいろな事例を検討すると、どうして成功したのか、どうして失敗したのかの要点が見えてくる。

フィンランドメソッドでは、先生は生徒に「ミクシ(なぜ?)」攻撃を仕掛けて、事実や意見そのものよりも、その理由に注目させる。また、生徒が作成した作品の良いところ10個と、悪いところ10個を上げさせ、なぜそう思ったのかを討論させる。その過程の中で、結論にいたるプロセスを意識させ、結論の必然性や他の可能性がないかどうかなど思考に本質的な知的活動を誘導することに成功しているようにみえる。

フィンランドメソッドのような革新的な方法がなぜフィンランドで全国的に採用されたのかは、わからない。フィンランドメソッドでは、互いの目を見て話すよう指導するが、フィンランドの伝統にはそれはないので、フィンランドメソッドがかの国の伝統的な考え方というわけでもないようだ。しかし、このようなトレーニングを受けた子供たちが成人したらどういう可能性がでてくるかと思うと楽しみな気がする。フィンランド関連株は買いかもしれない。
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by tnomura9 | 2006-11-10 08:07 | 考えるということ | Comments(0)

新国(にいこく)

管理人のお役所にたいするイメージは、なんとなく、硬直した組織、非効率、融通が利かない、現場とズレているといったマイナスイメージがあるがそうではないところもあるようだ。

国土交通省北陸地方整備局新潟国道事務所

サイボウズの導入事例のページから引っ張ってきた記事ではあるが、それを割り引いても、全員で情報を共有して、臨機応変に仕事が行われている様子が分かる。

上海の汚職事件など、官僚組織の強い所では、汚職の発生が必須のようだが、それは、情報の共有が行われていないからだろう。グループウェアの利用で管理者サイドからの情報だけでなく、現場からの情報が迅速に届くようになったら、そういうシステム的な欠陥も防ぐことができるのではないだろうか。

ITが真に有益な技術となるキーポイントは、「情報の共有」だろう。オーウェルの『1984』では、情報化が進むことで個人が完全に管理される社会が描かれているが、オープンソース活動の隆盛を見ると、そうではない方向に進んでいるようにも見える。ITの発明が人間をどちらの方向に引っ張っていくのか興味深い。
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by tnomura9 | 2006-11-03 17:46 | 話のネタ | Comments(0)