将棋の三手詰の問題を200問ほど解いたら、大体解けるようになった。そこで、試しに五手詰の問題をやったら何とか解ける。七手詰も一問だが解けてしまった。
ここから、「やはり基礎が大切だ。」とか、「たくさん問題を解くことが大切だ。」とかいう結論を導き出してもつまらないので、何で解けるようになったのかを考えてみた。 最初は、なぜ解けるようになったのか自分でも言語化できなかったが、よく考えてみたら、最終的な詰み型のパターンを探していると、自然と詰み上がりへの道筋が見えるのに気がついた。どうやら、詰みのパターンをパターン検索しているようだ。指紋の照合をやる時のように、目の前の問題のパターンに適合するパターンを頭のなかのたくさんのパターンの中から検索しているようだ。 そこで、思い立って一手詰めの問題を解いてみたら、解けない問題があった。頭金や腹金などの明らかな詰みのパターンはすぐに分かるが、両王手で詰ますものや、王手になる駒を受けが取ろうとすると別の王手がかかってしまうものや、王手が同時に自分の他の駒に連絡するものや、開き王手で王手をかけるとき動かした駒が受けの駒の利きをブロックするものなどトリッキーなパターンは最初解けなかった。 一手詰めの問題を一通り終えて、再び三手詰めをやってみたら、今度は瞬殺で解けるようになった。 よく考えると、詰将棋の問題を解くときには、二つの要素が必要なようだ。一つは頭の中で駒の配置のイメージを変化させる能力。もう一つが駒の配置から適応する詰み型のパターンを検索する能力だ。これらは、明らかに右脳を使う作業だ。詰将棋の解き方が言語化できなかったのもそのためだろう。 パズル的な思考が皆が皆詰将棋のようなやり方で行われているのではないかもしれないが、同じパズル的思考である数学の問題を考える能力が、実は右脳にあるとしたら面白い。
by tnomura9
| 2009-07-03 08:09
| 考えるということ
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