現代の数学は、公理論的集合論という形式的体系の上に構築できるそうだ。
形式的体系の特徴は、すべての定理が、公理と推論規則という記号の操作だけで証明できるということだ。そうであれば、その上に構築できる数学の定理は、本質的に記号の操作だけで証明できるはずだ。言葉を変えると数学の証明を理解するのは、本質的に、統語論的な操作だけで可能であるということだ。 しかし、証明の正当性については、統語論で理解できたとしても、コンピュータではない人間は、その意味が理解できなければ納得できない。定理の意味は、統語論ではなく意味論の世界に属している。数学の形式的体系の意味とはそのモデルだ。集合論で得られた定理が、実際の集合に適用されてみてはじめてそれを理解したと感じることができるのだ。 数学を勉強するとき、この統語論の世界と、意味論の世界をある程度分けて考えたほうが、抽象的な証明を理解するのに便利なような気がする。証明が理解できないと考えるとき、その、証明の形式としての正当性と、意味としての妥当性への二つの疑問が混同して先へ進めなくなることが多いからだ。 壁にぶつかったら、いったんその定理の意味を問うことをやめ、純粋に形式的にはどういうものなのかという統語論を意識した視点で取り組むとよい。統語論的な仕組みが分かった時点で、それでは、モデルとしては何が考えられるのか、また、その意味は何なのかと考え始めるのだ。 数学の定理を統語論的な視点と意味論的な視点のふたつの立場にはっきり分けて眺めるのは、理解の壁を超えるためのヒントになるような気がする。
by tnomura9
| 2009-06-29 13:11
| 考えるということ
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Comments(2)
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のぶし
at 2009-06-29 23:46
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収束進化においては、物理的な制約が大きくなるにつれ外形が特定の形に近づくと思います。ですから、そういったものは化石研究で行われるように外形から生活などが推測されます。
なんか、数学で形式的にアプローチするのとにていませんか^^ 疑問なのは、制約に当たるものが数学では何なのかです。 例えで言えば、y=ax のaですかね・・・・ あと、素人考えですが、図形問題って形式から入りやすそうかも。
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tnomura9 at 2009-07-01 11:10
のぶしさん、コメントありがとうございました。
収束進化も形式的体系も、構造が似ていれば、具体的な例の間に共通性を見ることができるという抽象性が似ていますね。収束進化についてネットで調べてみたのですが面白いですね。モグラとケラの前足が同じ形だったり、タラバガニがヤドカリの仲間だったり、びっくりしました。
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