誰と誰がつきあっているかということに関する女性の直観には恐るべきものがある。一緒にいる時間が妙に多いとか、ちょっとした目くばせなどで分かってしまうのだそうだ。
こういう場合の直観は、明らかに、非常にわずかな変化や証拠を元に仮説を組み立てる能力にある。他の人にはわからないような変化や、一見何の関連もないような事実を結び付けて、統一的な解釈を作り出してしまう。これが、推理小説のように思いもかけない方法で行われると、読者はそうだったのかという今流行の「アハ」体験を感じるのだ。ばらばらな事実の背後に統一的な構造が見えたとき、人間は一種の快感を覚えるもののようだ。 ボーっとしていれば何も起こらないだろうが、何かの異変に気がついた時、意識していようといまいと脳の中で探索が始まるのではないだろうか。この探索行動は並列進行しているような気がする。つまり、複数の異変に対し、同時的に探索が起きるようだ。探索行動はある種のエネルギー水準が高い状態に相当する。この探索行動の過程で、脳のなかの記憶や、外界から入ってくる刺激へのアクセスが活発に起きるのだろう。 ところが、並列進行している探索行動が、ある種のネットワークを作った時に、突然にこのエネルギー水準が低下するのではないだろうか。いままでバラバラだった情報が、ひとつのまとまりを形成したときに一気に探索のポテンシャルエネルギーが低下して、「ユーレイカ」でみられるような分かったという感覚をもたらすのではないか。 このばらばらな情報をひとつにまとめ上げる能力には個人差があるような気がする。直観力の優れた人はこのようなパターン認識が得意な脳を持っているのだろう。
by tnomura9
| 2009-06-24 07:25
| 考えるということ
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