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アイディアと表現形

見せブラは背中の開いたシャツや、肩を露出したタンクトップなどを着るときに、ブラのひもが見えてもいいようにデザインされている。

ただ、その表現形としては、上着や水着に近い材質を使ったり、タスキのように十字に交差させたり、肩ひもを透明にしたり、背中のあいたシャツの真ん中にブラジャーの紐のように見えるひも状のものを縫いつけたりなど様々な表現になる。

しかし、それは、ブラのひもを見せてもいいようにするというアイディアが把握されていれば、それらを統一的に理解することができる。

知るということは、このアイディアを知るということと、その表現形を知るという二つの部分に分けることができる。見せブラというものはどういうものかというアイディアを知っていれば、それが何のために考案されたのかが理解できる。しかし、様々な見せブラの形態を知っていないと実際にそれがどういうものかを知っているということにはならない。反対に様々な見せブラのサンプルを見せられても、それが人目についてもいいようにデザインされているというコンセプトを知らなければ変なブラが流行っているなくらいにしか見えないだろう。

見せブラのような分かりやすいものは、この二つを取り立てて意識する必要はないかもしれないが、たとえば、圏論のようなものはどうだろうか。数学的構造を射(関数)の観点から解析していこうというのが、圏論の考え方だが、その考え方から圏の持つ様々な性質を定理として証明していくためには、力技が必要だ。圏論のアイディアを具体化する定理として表現された表現形を知るのには別の労力が必要になる。

しかし、数学の構造を射であらわそうという圏論のアイディアを知らずに、いきなり定理の証明に向かったらいったい自分が何を学んでいるのかさっぱりわからないだろう。それとは反対に、数学の構造を明らかにしたいという圏論の目的を知っていれば、なじみのある集合論や論理学とのアナロジーが働いて、定理の意義を理解しやすく感じるだろう。

アイディアの意味を知るということと、アイディアの表現形に通暁するというのは知識を獲得する上で性質の異なる能力であるが、どちらも欠くことはできない。
by tnomura9 | 2009-06-22 12:44 | 考えるということ | Comments(0)
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