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言葉の本質的抽象性

「机の下にサッカーボールがある。」という文を読んで、この文をどう理解するだろうか。

一般には床に置いた机の下にサッカーボールが転がっているところを想像するだろう。

しかし、机が物置にさかさまに他の物の上に置かれていて、サッカーボールはその下の隙間にある場合もこの文章は成立する。また、机が天井から斜めに吊り下げられていて、その下にサッカーボールがひもでぶら下げられているかもしれない。

「机の下にサッカーボールがある。」という文章は、「本質的」に抽象的であって、机の下にサッカーボールがあるいろいろな状態に共通する性質を述べているにすぎない。したがって、この文章の構造をどのように分析し、語句の意味を辞書から取り出してきたとしても、床に普通に置かれた机の下の床の上にサッカーボールが転がっているという意味は特定できない。

文の持つ本質的な抽象性のために、文を形式的に分析するだけではその意味の特定ができないのだ。この文を読んだ時に一般的に頭に浮かぶイメージは、この文をもとに詳細を補って読み手が作り上げたものだ。さらにいうと、そうして作られた具体的なイメージですら、特定の机と特定のサッカーボールを表しているわけではなく、そのイメージも現実のイメージから抽出されたもので、いろいろな具体例を含む抽象的なスキーマなのだ。

ジョンテイラー・瀬戸賢一著 『認知文法のエッセンス』 に紹介してある例だが、ずいぶん前に買って積読状態だったのを昨日から読み始めたら面白い。「認知文法」が一体何なのかまだよくわからないが、日頃考えていた「言葉とそれを読む人間の脳の中での理解の関係」についてもやもやしていたものが、すっきりと整理されていくような感じがした。一気に読み通せるような本ではないが、しばらく楽しめそうだ。
by tnomura9 | 2009-06-05 07:23 | 考えるということ | Comments(0)
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