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脳の自己完結性

発信者の思考が言葉によって受信者に伝えられるとき、受信者は発信者の思考がこうではないかという推測しかできない。発信者と受信者のコミュニケーションですり合わせが行われたとしても、受信者は発信者の思考そのものを知ることはできない。

したがって、コミュニケーションが十分に行われたとしても、受信者の理解の作られ方は、受信者の環境で完結してしまう。受信者の環境とは、五感からの入力と、発語や手足の動作による出力、それらにつながる中央処理装置としての脳だ。学習とは外界からの入力、脳、外界への働きかけというオープンループフィードバック回路を通じて脳に作成される外界のモデルだ。

この自己完結性のために、仮想現実や幻覚のような実際に存在しない環境と現実に存在している環境を、脳は区別することができない。脳に形作られた外界のモデルに誤謬がないという保証はできないのだ。自分でこれは現実だと考えていることが、カフカの『城』のような壮大な妄想の世界ではないという保証は全くない。

映画『マトリックス』のおかげで、自分が現実と信じているものがそうでない可能性もあるのだという脳の状況を感じることができるようになったが、それでも、本質的に脳は真実とは何かを知りたがるものだ。古今の哲学の成果がいまだに面白さを減じないのは、自己完結的な要素の強い脳の環境と、五感という入力と発語や手足による出力という小さい窓を通して眺める自己以外の世界が本当にはどういうものであるかという興味が強く人を引き付けるからだ。
by tnomura9 | 2009-05-30 13:14 | 考えるということ | Comments(0)
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